第10話 スケバンにやられる?

 休み時間、両隣の真純ますみ美丘みおかとキャッキャ盛り上がっていると、このみちゃんに肩をつつかれた。


「サキ……、呼んでるけど……」


 不安そうな表情の彼女の肩ごしに、知らない女子が後ろの出入り口で私をにらんでいた。


「アンタが美浜咲?」

「そうですが……」


 静かなところへ行こうと言われた。


 しぶしぶ彼女の後ろをついて行こうとすると、ぬわっと現れた二人の背の高い女子に左右から腕を取られ、強制連行されるかたちになった。後ろを振り向くと真純と美丘がこのみちゃんが棒立ちになり真っ青な顔をしている。


 昇降口を通り過ぎ廊下の突き当りに行きつく。そこは生物室の出入り口になっているのだが、脇に広がった空間があって、そこに押し込められると職員室からも見えない。ドンと胸を押され、冷たい壁に背中を押し付けられる。


「ちょっと……、い、いったい何なんですか?」


 抗議する。


「……」


 三人は申し合わせたように何もしゃべらない。背の高さと鋭い目つきで私は完全に制圧されている。


 11HRからはここまで視線が届かない。このみちゃんが昇降口の柱に身を隠し、こちらを見守っている。三人の不良には気づかれてない。


 上履きの色は一年生だ。言葉の響きが刺すように冷たい。目つきだけでなく体全体から敵対心が滲み出ている。


「16ホームの牧村くんのことなんだけど……」


 三人の中で一番体格のいいキツネ目の女が切り出す。どうやらこれがかしらのようだ。


「牧村くんって……?」

「すっとぼけるんじゃないヨ!」


 いきなり右の胸を鷲掴みにされた。痛くて叫ぼうとしたら、手のひらで乱暴に口をふさがれた。後頭部がガツンと壁に当たった。


「牧村ジュンのことだヨ!」


 ああ、ジュンくんのことか。そうか、牧村ジュンくんって言うんだ……。市内で一番多い苗字と私の好きな名前の組み合わせ。とても素敵だ。危機的状況にもかかわらず、王子さまの名前がわかって嬉しい。私にはまだ心理的余裕が残っていた。


「は、はい……。知ってます。それが……」


 上目遣いに言った言葉が震えてしまう。同じ一年生なのに敬語になってしまう。三人がを見合わせてニヤッとした。揃いも揃って私より背が高いから妙な威圧感を感じる。


 一番怒りのオーラが強そうなキツネ目の頭目が切り出す。


「はっきり答えてちょうだい。アンタ、彼とつきあってるの?」

「は?」


 予想もしない所から飛んできたボールがポカンと後頭部に当たった感じとでも言おうか。つきあってるって? 彼とはあの日以来会ってないし。今日が金曜日だからすでに一週間たっている。


「16ホームだったんですね、牧村くんって」

「『牧村くん』なんて呼ばないで『ジュンくん』って呼びな。『牧村健司』っつうエロオタクもいるんだよ、うちのクラスには。わかったか?」

「は、はい……」


 彼は直接名前もクラスも教えてくれなかったけど、下の名前は保健室の養護教諭フミカから聞き、苗字とクラスはたった今、目の前の不良たちから聞いた。これで少しは彼に近づきやすくなっただろうか。


 11ホームから15ホームまで校舎の一階。16ホームは二階。それも廊下の一番向こう。男子トイレの前。非常口に用のない限り女子には行きにくいところだ。これで学校で会えない理由がわかった。


「先週、アンタ、体育館からジュンくんに抱かれて保健室に駆け込んだろ? セーラー服の前がはだけたみっともねえ格好でよう。それも、おっぱいまさぐられながらなあ。この子が見てるんだヨ!」


 キツネ目は一人を指差して言った。確かにあの時私たちとすれ違った女子だ。背は高いが顔がいじけている。こういう女は嫉妬深い。そして十中八九、頭は悪い。それも、すこぶる悪い。


「アタシ見たんだ。保健室から教室に戻る時もジュンくんに抱っこされてさあ」推測した通り本当に頭の悪そうなしゃべり方をする女だ。「こうやって片方のオッパイつかまれてさあ……。す、スカートの下から、つっぱったパンツ見えてたし……」

 

 つっぱってなんかいない。ごくごく普通の安物のショーツだ。こういう頭の悪い女には「つっぱったパンツ」に見えるのだろうか。気に入らない女子が身に着けているものはみんな「つっぱって」見えるのだろう。


「つかまれてたオッパイはどっちだ?」


 キツネ目が頭の悪そうな女ににやけ顔を向ける。


「えーと……」頭の悪そうな女が両手をもぞもぞと動かす。算数の苦手な小学生が指を折り曲げて計算しているような風情だ。やっと当時の状況が再現できたのだろう。


「こっち。えーと、だから……左? そう、左だ、たしか」


 キツネ目も彼女の頭の悪さに呆れ、イライラしている様子だ。

 

「そうか……。で、ジュンくんとはどういう関係なんだ?」


 キツネ目は右の乳房を解放した。同じ手で今度は左の乳房に人差し指を食い込ませてくる。ちょうど乳首の上だ。きりきりと押し込まれ、グリグリとほじくられる。鋭い痛みが全身を走る。セーラー服の上から乳首の位置が正確に射貫かれている。得体のしれない恐怖がぞわぞわと湧き上がって来る。


「どういうって……。あ、痛い……。か、借りていたものを返しただけです。あの日で会うのが二度目で……」


「まさか、誘惑しようなんて思ってないだろうなあ? アンタってモテるらしいから‥‥‥」


 左の乳首がブラの上からつねらた。


「うっ‥‥‥! い、痛い‥‥‥」


「答えろっつうの!」


 つねられたまま、ぐいっと上に引っ張り上げられる。同時に左右のかかとが上がってしまう。


「イッ!」痛い。ちぎれるように痛い! 「つきあってるだなんて、そんな……」


 背を思いっきりそらせる。ここで踵を降ろしたら乳首がちぎれる。鋭い痛みが後頭部を突き刺す。私の大切な乳首が‥‥‥。


「はうっ!」


 キツネ目が躰を寄せてくる。同時に股間に膝が食い込んできた。


「イ、イヤ!」


 脚が割られ恥骨にグイグイと圧を加えてくる。股間に押し込まれた膝で一番敏感なところをグングングンと三度蹴られた。ピリッとした刺激が脳を突く。性器に危害を加えられるのは生まれて初めてだ。こわい。冷汗が流れる。


「あなた、ちょっとかわいい顔してるからっていい気になるなよな」

「い、痛い……、あうっ! イヤ……」


 三人の長身が壁になり、私が何をされているか周りからは見えない。スカートがまくられ、ショーツの上から膝の硬い骨が当たった。


「ジュンくんは16ホームなんだからほかのクラスのあなたは出しゃばって来るんじゃねえ!」

「うぐっ! い、痛い!」


 乳首がさらに捻りあげられ、股間が膝で押される。恥骨にゴツン、ゴツンと何度も当たる。痛いけど、これでもまだ手加減されているほうだ。これが本気で蹴り上げられたらどうなってしまうのだろう。今の痛みより、数秒後に襲い掛かる恐怖を想像する。恐怖でおしっこがもれそうになる。


「それに美浜咲、あなた愛光園の子だって言うじゃない。ジュンくんはちゃんとした家庭の子なんだ。お金持ちの子だし。あなたとは釣り合わないから。身分不相応ってやつ? その辺のことよく考えろっつうの」


 キツネ目が「ちょうだい」と言って手のひらを出すと、右のオンナがそこにハサミを乗せた。文具ではない。小指掛けの付いた刃渡り20センチくらいはあろうかと思われるカッティングシザーだ。ギラリとした銀色の光沢に目を射られる。


「今度出しゃばったりしたら、こうしてやるから」 


 女はハサミの輪に指を入れ、両刃を開いた。そして摘ままれている私の乳首にそれを当てた。


「ひゃっ!」


 セーラー服とブラの上からでも余裕で乳首を切り落とすことができるだろう。恐怖で脚が震え、全身が強張った。


「わかったな⁉」

「う……」

「わかったのかって訊いてるんだよ……。答えろヨ!」


 シザーが強く押しつけられる。二枚の刃が徐々に狭まってゆく。あと3センチ締められたら、シャキン!と、乳首は切り落とされるだろう。この人たちは本当にやる。女の子の命ともいえる乳首のことなどなんとも思ってない。冷や汗が額を覆う。恐いよ。助けて。誰か助けて……。ジュンくん……。


 その時、ナイフのよう甲高い声が空気を切り裂いた。


「みんな、サキちゃんを助けて!」


 このみちゃんの叫び声だ。助けて……、このみちゃん、助けて!


 クラスの男子が一斉に教室から飛び出してきた。ガタガタ、ドタバタ、ズタズタといった雑音が廊下に響き渡る。非常ベルが鳴り響いたようだ。


「おまえら、美浜さんに何してるんだ⁈」

「美浜さん、大丈夫か⁈」


 サッカー部の中川君、それに野球部の木坂君と渡辺君が先頭。そのあとからこのみちゃん。それに続いてクラスのみんなの大津波が押し寄せてくる。


「サキを放しなさいよ!」真純の声だ。

「サキを傷つけたら許さないから!」美丘も叫んでいる。


 ほかの女子たちの甲高い声も廊下にガンガン反響している。


 突然の大騒動に、一階のあちこちの教室から生徒たちが飛び出して来て、こちらの様子をうかがっている。


「なんでもないわよ!」


 うちのクラスのみんなに囲まれると、キツネ目はひるんだ。二人の子分もくちびるを震わせている。


 中川君が私とキツネ目の間に割り込んで来る。


「美浜咲さんに何かしたら、オレたち、ゼッタイ許さねえから!」


 木坂君が詰め寄ると、気迫に押されたキツネ目が一歩後ずさった。子分たちも威勢を失い、身長が10センチくらい縮んだように見えた。


「女でも手加減しねーぞ!」


 渡辺君がキツネ目の右手首を空手チョップではたくと、金属音が廊下に響き渡った。床に落ちたハサミは真純と美丘たちの足元にまで滑って行った。「ヒャー!」と悲鳴が響き渡る。


 大丈夫。同じクラスの男子も女子はみんな私の味方だから。身分不相応に出しゃばりさえしなければ、何も起こりはしないだろう。でも、愛光園だからって、彼に近づくことがどうして身分不相応なのだろう。親に捨てられた子供は恋もしてはいけないというのだろうか。


 六限目の始まりを告げるベルが鳴る。スケバンたちは悪態をつきながら群衆をかき分け階段を上っていく。三人ともスカートの下からのぞくふくらはぎが震えている。


「きゃっ!」


 子分の一人が、そう、あの頭の悪そうな女が階段に足を引っかけて前のめりの転んだ。あんな長いスカートがまくれ上がって、ショーツが見えた。ベージュの地味なものだった。あんな地味なのをはいているから、私のちょっとかわいめのショーツが「つっぱって」見えたのだろう。

 

 彼女らの姿が見えなくなるまでうちのクラスの男子はにらみをきかせていた。


 私は脚がぶるぶる震え、冷たい床にへなへなとしゃがみこんだ。このみちゃんの胸に抱かれた時、すでに頭が真っ白になっていた。


「サキ、大丈夫?」

「‥‥‥」

「サキ、サキ! しっかりして!」


 私を心配そうにのぞき込むこのみちゃんと真純と美丘にひとこと何か言ったような気がする。でも何を言ったのかは覚えていない。目の前の大好きなクラスメイトたちの顔がだんだん薄れていくのに、ここにいないはずのジュンくんの顔だけが輪郭が鮮明になってきた。ああ、彼が守ってくれたんだ、と思った。


「ジュンくん‥‥‥」


 と呼んだような気がする。あるいは呼んでなかったのかもしれない。


 意識がフワッとどこかへ飛んで行った。


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