荒野の鱗風草
山本アヒコ
第1話
ひときわ強い風が吹きつけてきて、頭から体まで覆い隠した布が大きくたなびく。そのまま風にさらわれないように強く手で握る。
「……っ」
少女ロフシーはたった一人で土と岩しか見えない荒野を歩いていた。強い風が細かい土粒を巻き上げ視界は悪い。
向かい風に抵抗しながら、一歩一歩前へ進む。しかしそこにはすでに諦めの片鱗が漂っていた。彼女はもうわかっているのだ。この先に目指すべき場所など無いのだと。
「……」
また一歩進む。
少女の瞳には意志の光が消えかけている。どれだけの時間こうして歩んできたのだろうか。身にまとった布には土汚れが全体に染み着いてしまっている。
風に飛ばされた土が目に入った。思わず目を閉じると世界は黒一色に染まる。耳に聞こえるのは風の音と、わずかな自分の呼吸音。
「…………」
目を閉じたまま歩き出す。
(見えなくても、見えてもかわらない)
最初からロフシーの前には道などなかった。
「……んん」
歩いていたはずのロフシーは、いつの間にか倒れていた。うつ伏せの状態で顔だけ起こすと、目の前には高すぎる自然岩の壁があった。
「ここは、けほっ」
口を開こうとして咳きこむ。ひどくのどが渇いていた。腰のベルトにぶら下げていた水袋に手をやるが、もうずいぶん前にそれが空になっていたことを指の感触で思い出す。
「はあ……」
ため息をついて左へと視線を向けると、真っ直ぐ伸びる道があった。それは高すぎる岩山を貫いて、目では確認できないほど遠くまで続いている。両側を高い崖に挟まれた道は自然にあるものだが、これほど直線が続いているのは異様だった。
「えっと……うわっ!」
そのまま周囲を見て背後までいくと、そこにあったものに驚きの声をあげてしまう。
岩壁を背に、男が足を投げ出して座っていた。両手はやや広げられた状態で上に伸びている。手首が鉄の輪で拘束され、そこから鎖が岩に打ち込まれた杭に繋がっていた。
ロフシーは再び周囲を確認する。男の他に人はいない。道は先程のものがひとつあるだけで、周囲は高い岩壁に囲まれているだけだった。
「だ、だいじょうぶですか?」
ロフシーはおそるおそる近づき男の頬に触れた瞬間、思わず手を引いてしまった。
死者の冷たい肌ではなかった。しかし生きている人間のような温かさでもなかった。ひどく曖昧で、そこに本当に存在しているのか疑ってしまう頼りない温度。
(この人は、本当に人間なんだろうか?)
いくらかの恐怖を持って男を観察する。着ている服の裾はどれもが破れほつれていて、全体的に汚れが目立つ。俯いた顔は長い髪で目が隠れていて、乾いてひび割れた唇だけが見えた。同じだと感じた。
「この人も、私と同じでのどが渇いているんだ」
水を飲ませてあげたいと思った。しかし一滴の水すら残っていない。
その時、滴が水面に落ちる音が聞こえた。そちらへと顔を向けると、離れた場所の岩壁が一部崩れている場所があった。そこへ行くと、崩れて膝ほどに積み上がった岩の上に、両手すくえる程度のわずかな水があった。
ロフシーはゆっくりと両手で水をすくうと、岩の小山は崩れてしまう。残ったのはわずかな水。
「……」
手にある水をじっと見る。のどの渇きがさらに強くなったように感じる。わずかな震えが水面にさざ波を起こす。
「さあ、飲んで」
ロフシーは男の口に水をたたえた両手をそえる。しかし男は意識がないのか、一向に口を開かない。
なので強引に指先を口の中に押し込む。指先に乾燥した唇と硬い歯の感触がする。
「飲んで!」
少女の両手からゆっくりと、細い糸のような水の流れが男の口へ落ちていく。
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