おはよう、おやすみ 〜ユフの方舟

Tempp @ぷかぷか

第1話 Bの目覚め

『パオロ・ルッソ。起床時間です』

 柔らかな女性の声とともにプシュゥという音がしてハッチが開く。

 霜が降りるように意識が覚める。

 少しの緊張とともに不透明な世界がクリアになっていく。なんだったかな。まだ頭が不鮮明だ。こういう時は基礎情報から思い出すと学習した、ことを思い出す。


 私の名前はパオロ・ルッソ。男。28歳。精神科医。それでここは……第二コロニー。

 うん、大丈夫だ。

 ハッチ内に溜まっていた湿度が外気にさらされ霧散するのと引き換えに、妙な埃っぽさが喉を乾燥させていく。がさがさして気持ち悪い。体を起こせば真っ暗闇で、ただ自分が入っていたハッチの外縁だけが薄青色にぼんやり冷たく光り輝いていた。

 光につられて思い出す。私はこのハッチでコールドスリープしていた。


 私が眠りについたのは2186年8月だ。

 ユフが降ってから4年。

 とても慌ただしかった記憶の断片が頭の中でちらつく。今はいつだろう。予定では私が起きるのは152年後、つまり2338年のはずだ。単独で起きたということは、毒はまだ収まっていないのだろう。暗澹たる気分で周囲を見渡す。薄暗い。

 意識的に頭を働かせて記憶を掘り起こす。


 ユフとは隕石の名前だ。

 西暦2182年。その隕石は突然現れた。観測された時点で人類が打てる手段は何もなかった。ユフは地球に深く刺さり、凶悪な毒を振りまいた。触れるだけで汚染され、体内に入ればたちまち人は死ぬ致死毒だ。

 ユフは落下地点から海や山の風にのって地球の自転に従い世界中をくまなく駆け巡り、多くの国に死をもたらした。その粒子は極めて細かく、わずかな隙間さえあれば侵入を許す。中和方法は研究されたけど結果は伴わない。その間も毒は深く降り積もり、環境と資源を汚染し人間が生存できる範囲は着実に狭まっていた。

 結局の所、中和方法が確立するより早く滅ぶ。そんな目算がたった時、国は中和を諦めて回避を目指すことにした。

 ユフが減衰するまで眠りにつくこと。何重にも完全密閉された容器に全てを封じ込めて未来を待つ。アヴァロン計画と呼ばれた。モードレッドとの戦いで致命傷を受けたアーサー王が体を癒やし、いつか遠い未来に復活することを求めたように。


 私が起きたのは管理者の番が回ってきたからだろう。

 250人を1単位として複数のコロニーを形成する。20から60歳までの者は1年に1人、管理者として順番に起床して異常の有無をモニタリングする義務を負う。異常が発生した場合はその回復に必要な人員が起こされる。各コロニーにはコロニー維持に必要な技術者が必要人数選定され、適宜不具合に対処することになっている。そして例えばユフが侵入した等、回復できないレベルの異常が発生すれば、全ての住民を起こす手順になっていたはずだ。その契約で私は二番目にできたこのコロニーで眠りについた。


 改めて周囲を見渡す。

 何かがおかしい。予定通りであれば最低限の補助電源は生きていて、コロニー内はある程度の灯りが保たれているはずでは。それにこの埃っぽさ。空調が働いてないのか? なぜだ。電気系統や空調系統に異常があれば担当する技術者が自動的に起こされて修復がなされるはず。


 ゆっくりと起き上がれば、久しぶりの起動に体がミシリと音を立てた。

 ……ここにいても仕方がない。マニュアルでは起床後に前任者から現況説明を受けるのだった。管理センターにいるだろう。そろりと起き上がり廊下に出る。やはり真っ暗。しんと足元が冷たい。

 頭の中の地図に従い壁伝いにセンターに向かう。ザラザラした感触。とても嫌な感じだ。管理センターは電源が生きているのか廊下の奥にぼんやり光が漏れていた。蛍の灯りを求めるようにのろのろと向かう。

 けれども前任者はいなかった。


「一体どうしたら……いいんだ」

 途方に暮れて漏れたつぶやきに喉がざらつく。

 とりあえず仕事は済ませよう。まず数値の確認。一番重要な数値は0。コロニー内にユフは検出されない。ほっと息をつく。

 それからコロニー内の観察。異常がないか。ゔゔゔと揺れるライトに浮かぶ各室を映すモニタを眺めると、私が眠っていた部屋でハッチが青く光っているのが見えた。その他の部屋は灯りが消えているせいで薄っすらとしか見えないが、目視できる異常はなさそうだ。

 次は外気のユフ濃度の測定。外に出られるかどうか。幸いにも外部モニタは生きていて、妙な色合いだが明るかった。覗くと私の記憶とは大分異なりたくさんの木が生えていた。私が眠りについてから150年は経つのだから、景色が異なるのは当然だ。けれども目の前に生えているのは見たこともないようなねじくれて尖った硬質な木。その枝葉は鋼のようだ。


 これはユフの影響なのだろうか。

 生えている、ということは生きているのだろうか。ユフに適応した?

 不思議だ。ユフは全ての生命を滅ぼす。試料採取のプログラムを動かす。コロニー外で検体が集められ、自動的に分析される。解析にはしばらく時間を要するだろう。その間に調べなければならないこと。


 ゆっくり後ろを振り返る。本来であれば明かりがついているはずの部屋の入り口から先は、真っ黒な闇に落ちていた。電気系統の確認。そう思ってコンソールをタッチすれば、電気系統に異常はないと表示される。おかしいな。だから電気系統の担当者が起床しないのか。

 そうするとそれ以前にセンサー系統がバカになっている可能性。ヘルプを開くとモニタが妙にブレて見えた。色々な不具合が積み重なっている。そんな気がする。まるで時間の経過で埃が積み重なるように。そうだそもそも埃が積み重なるという事象がおかしい。空調が壊れている。

 喉奥から嫌な何かがこみ上げ、それを押さえつけてかわりにため息を吐く。

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