3 遊園地へ行こう!
とある日の午後。窓からは陽光が差し込み、花梨の部屋を明るく照らしていた。開け放った窓からは風が入り、薄手のカーテンが揺れている。
花梨はオルゴールを鳴らし、セシルを呼び出した。オルゴールの蓋を閉めるとセシルはいなくなり、逆にオルゴールを鳴らして蓋を開けると彼は現れるのである。
セシルがこの部屋に来てから既に一か月経過していた。お互い気心も知れ、すっかり打ち解け合っている。
いつものように花梨は紅茶を淹れ、それを自分の分と、もう一つはセシルへと差し出す。
セシルは紅茶を口にして、すっかり上機嫌になり、他愛もない世間話をした。
一時間ほど話したあと、花梨は読みかけの文庫本に目を落とす。セシルはその姿を一瞥してから、部屋の中をふわふわと舞った。
数十ページ読み進めたところで、セシルがふと話しかけてきた。
「ねえ、カリン」
「何かな? セシル」
「休みの日はさ、いっつも家にいるよね。外に行かないの?」
花梨はくるんと視線を上げて、空中のセシルを見る。鋭い指摘をされ、同時に心臓が高鳴っていた。
花梨は対人恐怖症がひどく、見知らぬ通行人ですら怖くなることがある。それでも自立したいとの思いから、なんとか恐怖心を抑え込み、就労移行支援サービスには通っていた。そして、休みの前日には食材を買い溜め、料理して食事する。そうすれば、休日に外出することもなくなるからだ。
「えっと……それは……」
言い淀む花梨を無視するかのように、セシルは一つの提案をしてきた。
「ねえ、遊園地に行こうよ、遊園地」
「え?」
花梨は耳を疑った。人がごった返している休日の遊園地など冗談ではない。
「そ、それは、ちょっと……」
「この世は楽しいことだらけだよ。それなら、楽しまなきゃ損だよ」
「それはそうかもしれないけど……」
「じれったいなー。行こうよ、遊園地。きっと楽しいよ。ね、カリン」
セシルは花梨の手を握った。
「私は行けない……よ」
「僕が行くって決めたから、行くことに決定。さ、用意はいい、カリン?」
「え、ちょ、ちょっと」
セシルは花梨の手を握ったまま、何やら唱え始めた。それは花梨の知らない言葉であり、魔法を詠唱しているみたいだと彼女は思った。
その魔法か何かの詠唱が終わると、部屋の景色は一変した。いや、一変したどころの話ではない。花梨が周囲を見渡すと、輝くネオンが視界を覆い尽くしていた。
「ここは一体……」
花梨はきょとんとする。
「遊園地に到着~。ようこそ、シャングリラパークへ」
セシルはにこやかに微笑む。
花梨は産まれてから一度も遊園地などに行ったことはなかった。中学生のときのあの忌々しい事件が彼女を変え、人混みから遠ざかってしまったのだから。
そんな彼女でも、テレビやネットで遊園地を見たことはある。それらで見た光景と、目の前の景色はあまりにも酷似していた。
「え、え? これは一体……どういうことなの?」
花梨はきらきら光る正面入り口で呆然と立ち尽くす。
「深く考えてもしょうがないよ。さあ、行こうよ、カリン」
「ちょ、ちょっと。引っ張らないでよ、セシル」
戸惑う花梨を無視するかのようにセシルは彼女の手を引き、園内の中をずんずんと進んでいった。
二人はまずティーカップの遊具の前まで来た。そこで花梨は、このティーカップの柄は家にあるカップの模様とどことなく似ているなと感じた。
受付をしている小熊にフリーパスを見せ、セシルははしゃぎながらティーカップの中に入った。花梨は小熊に頭を下げてから彼の後に続く。
二人が着席してからティーカップは回り始める。くるくるとゆっくり回るカップの中で、花梨はそこから見える景色と回る感触に感激していた。
「ここにあるハンドルを回すと、ティーカップが早く回るんだ。そーれ」
セシルは無邪気にハンドルを回す。カップは勢いを増して、ぐるぐると回った。
「あはは。楽しいね、カリン」
「ちょ、セシル。あんまり回さないで。私、酔っちゃいそうよ」
「と、とと。そうなの? じゃあ、これ以上は回さないね」
「うん、お願い」
花梨は頷き、再びゆったり回る感触を味わった。彼女にとって初めての新鮮な体験だった。
向かいの席では陽気にセシルが笑っている。それにつられて花梨も朗らかに笑った。世の中にこんな楽しいことがあったなんてと、彼女は胸がいっぱいになった。
ティーカップが回り終えた。セシルは颯爽とカップから飛び出す。
「ねえ、次行こうよ」
「う、うん」
花梨は未知なる体験に少々戸惑いながらも、セシルの後についていく。
回転ブランコは、まるで空中を散歩しているようだった。いつも舞っているセシルに親近感を覚え、傾きも怖くはない。
次に二人はジェットコースターの最前列に座った。高く昇っていった乗り物は勢いよく滑り落ち、花梨は小さく悲鳴を上げる。
セシルはあははと心底楽しそうに笑った。それからお互いの顔を見やり、くすくすと微笑んだ。
また場所を移動し、お化け屋敷に行く。最初に幽霊のホログラムが出て、花梨はセシルにしがみついてしまった。お化け屋敷を行く間、彼女は片時も離れずセシルにしがみついていた。
ここには、夢もスリルもある。まさに楽園だ。
そうして二人で楽しく園内を回っていると、日が落ちてきた。暗闇の中で、園内が煌々としたライトで照らされた。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものなんだなと、花梨は実感すると同時に感激もしていた。
「あ、パレードの時間だよ。これを見に行かなきゃ損だよ」
「え? 待ってよ、セシル」
悠々と園内を滑空するセシルの後を花梨が慌ててついていく。
大通りに出ると、それまではいなかった人だかりができていた。それを目にしてはしゃいでいた花梨の顔が真っ青になる。そして、とうとう彼女はその場にしゃがみ込んでしまった。
「ん? どうしたの、カリン?」
「セ、セシル。私、人混みが怖いの。パレードなんか見なくてもいいから、もう帰ろうよ」
「なあんだ、そんなこと」
セシルは呑気な態度だった。
「なんだって何よ!? セシルは人混みが大丈夫かもしれないけれど、私は怖いんだから!」
花梨は恐怖に我を忘れて叫んだ。
「あのね、カリン。彼らは人のように見えるけど、人ではないんだ」
「え? それってどういうこと?」
花梨は目を瞬かせる。
「つまりさ。ここは夢と現の間にある遊園地なんだよ。だから、あれは人だかりに見えるけど、実際の人じゃないんだ」
あの人混みが人ではないと教えられると、花梨の胸の鼓動は段々と小さくなっていった。震えも止まっている。
「あれ、人じゃないんだ……」
「そうだよ。だからさ、思い切って行ってみようよ。そして、パレードを見よう。パレードのイルミネーションはすっごく綺麗なんだ」
それでも花梨は迷ってしまった。あの人混みは、実際の人間じゃないとわかったが、それでも戸惑ってしまう。
「ねえ、カリン。僕はどうしてもパレードを見たいんだ。お願いだから行こう。もし、あそこに行ってみて、きみがどうしても無理だっていうのなら帰るからさ」
セシルは縋るように花梨に空色の瞳を向ける。
花梨は大の友人であるセシルの頼みを無下にはできなかった。そうして、ようやくあの人混みの中に行ってみようと決意した。
「……うん、わかった。一緒に行こうね、セシル」
前を見据えて、花梨は覚悟を決めた。
「うん、もちろん。僕がついているからきっと平気だよ。それに、あれは実際には人じゃないしね」
セシルが応じる。
花梨はぎゅうっとセシルの手を握りながら人混みへと歩いていった。そして、パレードを見るため、人混みをかき分けて行く。
それに対して、人から文句は出ない。やはり、これは人じゃないのだと実感し、花梨は安堵した。
セシルの手を握っているせいか、この人混みは実際の人間ではないとわかったからかは知らないが、花梨はそれほど動揺することもなく、人混みをかき分け、最前列に来ることができた。
「セシル。やった、やったよ、私。ちゃんと人混みの中に来ることができたの」
セシルはうんうんと頷き、前方を指差した。
「カリンはよく頑張ったよ。そんなきみに素敵なご褒美がやってくるよ」
そこで周りから歓声が上がる。
青く照らされた妖精。その後に黄色と赤で電飾された機関車が続く。うさぎ姿の可愛らしいマスコットがイルミネーションの中、愛嬌たっぷりに手を振ってくる。
まるで光の洪水。
その美しいまでの光のパレードを前にして、花梨は涙を流してしまった。
それを見て、セシルは動揺しながら声をかける。
「ど、どうして泣いているの、カリン? 悲しいの?」
「ううん。そうじゃなくて……そうじゃなくて……」
花梨は首を横に振る。
「悲しいんじゃなきゃ、なんで泣いているのさ?」
「これは……多分嬉し泣き。多分……ううん、きっとね」
花梨は涙を見せながら、はにかんでみせた。
華やかなパレードはまだ続いている。
マスコットたちは、花梨を称えるかのように手を振っていた。あたかも、人混みをかき分けて来てくれた彼女の勇気を賞賛するかのように。
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