第1章『九頭竜村をぶっ壊せ! 前編』

第6話「最強子ちゃんは、私のことが好きだよね?」

 ドラゴンフラッグという筋力トレーニングがある。


 どこのご家庭にもある筋トレ用のベンチに仰向けで寝ころんで行うもので、両手を頭の方に回してベンチを掴み、筋力のみで足先からゆっくりと身体を持ち上げて起こし、足先が地面から垂直になるまで上げたところでキープするという、特別な道具もいらない非常にお手軽なトレーニングである。満智院 最強子まんちいん つよこはこのドラゴンフラッグが好きだった。


「98……99……っ!」


 それはもちろんこのトレーニングの考案者でもあるブルース・リーのことを尊敬しているからと言うのもあるが、一番の理由は天高く突き上げられた自身の身体が、まるで天空を切り裂いてその中に隠されている星を摑み取ろうとするかのようであったからだった。


「100……っ!」


 上がり切った足先をゆっくりと降ろし、一息吐く。やがてそれがベンチに辿り着いたところで身体から力を抜いた。


 汗でベタつくトレーニングウェアに達成感を覚え、少しだけ誇らしい気持ちになる。そして、


「最後にもう一回……っ!」


 もう一度グッと身体を持ち上げ、その頂点でぴたりと止める。数秒の時を待ってから足をゆっくりと下ろし、大きく息を吐いてから配信中のカメラに目線を送った。


 本来、『満智院最強子の華麗なる超能力者粉砕ちゃんねる』のコンセプトは、超能力と対決してそのインチキを暴くというものだ。


 だが、毎回そんな都合よく対戦相手が用意できるわけではないし、そもそもインチキを暴かれると知って挑戦してくる奇特な人間は少ない。


 なので、動画のネタ切れを防ぐため、特に予定がない時は筋トレ配信を行うことがある。


 超能力ハンターらしく宴会芸から本格的なものまでマジックを紹介する動画も上げてはいるのだが、なぜだかそちらよりも筋トレ配信の方が評判がいい。


 まぁわたくしとしても身体が鍛えられて一石二鳥なので問題はない。超能力ハンターは身体が資本なのだ。


「それでは、本日の配信はこれで終わりますわ。次回の配信は遂にあの九頭竜村。しかも今まで因習村潜入の際はプライバシーの関係上録画した物をみなさまにお届けしていましたが、今回は特別な許可もいただけたという事で全て生配信。タンパク質のみなさま、お楽しみにしてくださいまし」


『ドラゴンフラッグ配信最高でした』

『最強子ちゃんの筋肉のおかげで人生が充実してます』

『次の九頭竜村も楽しみです! がんばってください!』

『生まれ変わったら満智院様の大腿四頭筋に役立てる何かになりたい……』


「ええ……皆様にまたお会いできるのを楽しみにしておりますわ」


 画面の向こうにいるタンパク質のみなさまにぺこりと頭を下げ、配信停止ボタンをクリックする。これで本日の配信は終了だ。余韻に浸る様にしばしその場で放心し、ベンチに身体を投げ出して天井を見ながらほぅ……と一息つく。


 そこに、

「荒れてるねぇ」


 軽薄そうな声が投げかけられる。なんの重みも感じられない、ほとんど空気みたいなふわふわした声。


「あのエロ漫画おっぱいにやり込められたのが相当堪えたと見える」


 ロクに手入れをしていないボサボサの紫髪に、口に咥えた甘ったるい飴玉の匂い。そして割り箸みたいに細い身体。

紫色のわたあめみたいな彼女は、なんの遠慮もなく椅子をひっ掴んで、当然のごとく断りもなしに座り込んだ。


「……ノックもせず人様のトレーニングルームに入ってくるのはいかがなものかとおもいますわ、ゆかり

「オイオイ悲しいこと言ってくれるなよ。私とキミの仲じゃないか?」


 飴村 紫あめむら ゆかり


 同じ施設の出身、昔からの腐れ縁というやつで、機械やネットに詳しいので配信の機材や配信環境の整備、動画の編集などをいつも手伝ってもらっている。


 彼女は椅子に座ったままキャスターをころころと転がし、こちらにゆっくりと近づき顔を覗き込む。

 見下ろされているようで気分が良くないので上体を持ち上げようとしたが、その前に頬を両手で包まれてまたベンチの上に押し戻されてしまった。


「我が家の食糧を勝手に食べつくす野蛮な方と深めた仲など一切ございませんわ。この前だってわたくしが大切に飲もうと思っていた限定の純米大吟醸を勝手に……」


「悪かったって~。小さな頃からよく一緒のお風呂に入っていたし、同じ布団で寝たことだってある仲じゃあないか。今となっては胸もケツもタッパもこんなにデカい最強子つよこちゃんだけど、昔はお人形さんみたいに可愛らしくてさ……な? これはもう半身みたいなものといっても過言じゃないだろ? だから冷蔵庫の中身も共有っていうか……そ、そんなに怒るなよぅ」


「相も変わらず適当な事ばかりピィチクパァチクとよく囀ること。大体わたくしと貴女は同じところで育っただけでの仲でしょう」

「つれないねぇ。私はこんなにもキミを愛しているというのに」


 言いながら紫はわたくしの頬をうにうにと揉みしだく。うっとうしいのですぐに手で払った。


「しかしまぁ九頭竜村ねぇ……」

「なにか知っているんですの?」

「そりゃあもうね。なんと……」


 紫はそこで一旦止めて、もったいぶってから言う。

こういう時の彼女は大体しょうもない事を言うので話半分に耳を傾けると、


「茹でた落花生が絶品らしい!」


 やはりくだらなかった。


「はぁ……どうせそんなことだろうと思いましたわ」

「あとは海も近いからハマグリやサンマが最高に美味しいってさ。刺身は……どうなんだろう? C県の海ってあんまり綺麗な方じゃないし、正直期待しない方がいいかも」


「……相変わらず、食べるか寝るかしか興味ありませんのね」

「当然さ。本当に必要だから三大欲求と呼ぶんだぜ。欲望に従わないなんて人生損してるよ」


「人には理性という物がありますの。そう無闇矢鱈に己の欲に従っては……」

「かぁーっ、真面目過ぎる! そこがキミのいいところだけど、悪いところだよ!」


 やれやれと首を振って、紫はわたくしの顔を両手で強引に正面に向ける。そして目線を合わせ、まるで子供でもあやすように頭を撫でまわしてきた。


「そう自分を縛るなよ、最強子ちゃん……いや、満智院さん。昔のキミはもう少し自由だった」

「……っ」


 懐かしい呼び方で呼ばれ、思わずびくりと身体が跳ねた。

 自然と首にかけていた翡翠の首飾りに手が伸びてしまう。それを見て、紫は少しだけ悲し気に微笑んだ。



 ──かつて、龍神の家と呼ばれる場所があった。



 端的に言ってしまえば、悪徳宗教団体というヤツである。


 龍の力を宿すという土地に根付いたその宗教団体は、親に捨てられた子供や、事情があって行き場のない幼子を積極的に引き取り、保護を行っていた。



 それは、確かにその通りであったのだ。



 ただ──彼らの信じる龍の力とは超常のものではなく、金の力だった。


 保護した中から見目麗しい幼子を、定期的に龍神へと捧げる──。


 つまり、「幼気で身元も不確かな見目麗しい少年少女」を欲している金持ちに捧げ、その資金でさらなる孤児を引き取り、保護を続ける。


 一部の孤児が犠牲となり、大多数の孤児が生かされている。

 龍神の家とは、つまりそういう場所だった。


 わたくしと紫は、その龍神の家で育った孤児だった。

 無力で、情けなく、どうしようもなく小さな子供だった。


 この場所で何か悪いことが行われている気がする。

 誰もがそう思いながらも、それを口に出すことは出来ない。


 少し前に龍神様へ捧げられたハナちゃんがどんな扱いを受けているのか、それを考えるのはやがて自分にもやってくるかもしれない絶望を自覚するにも等しく、誰もがその思考を放棄していた。


 そんな中、唐突にやって来たのが先生だった。


 ふわふわの髪にへにょへにょな姿勢、ワカメとか猫とかクラゲとか、とにかくちゃんとしていなさそうな生き物をかけ合わせるだけかけ合わせた様な人。彼女は自らを超能力ハンターと呼び、あっという間に龍神の家のからくりを暴いて、そこにいた人たちを救ってみせた。


 ただ一人の例外を除いて。


「先生は、龍神に連れ去られそうになっていたわたくしを助けるため、最期まであがいて……【本物の超能力者】にやられ、翡翠の像に変えられてしまいましたわ」


 見間違いではない。

 勘違いでもない。


 足先からゆっくりと翡翠になっていく先生の姿を目の前で見た。

 科学や理屈では決して説明のつかない超常の力をこの目で見た。


「先生はわたくしを助けるために犠牲となりましたわ。だから、わたくしが彼女の跡を継いで超能力ハンターとなり、たくさんの人々を助けるのは当然のこと。そして超能力ハンターとして活動を続け、いつか【本物の超能力者】の力を利用して、先生を助ける。それがわたくしの使命ですわ」


「……ま、最強子ちゃんは昔から優秀だったし、なんでも出来たから問題ないだろうけどさ……やっぱり、危ない事とか、最強子ちゃんがやりたくないことはやって欲しくないよ」


「超能力ハンターを名乗って大々的に活動を行えば、先生の協力者や知り合いに出会えるかもしれない、そうすることで先生を助ける道が開けるかもしれないと、そう言ったのは紫じゃないですの」


「そりゃそうだけど、恩義は感じても責任までは負う必要がないだろ。別にキミが頑張らなくたってあのひとは責めやしないよ。少なくとも私は危険な事なんて勘弁願いたいね」


「冷たい人ですのね。先生を助けて恩を返そうという気はないんですの?」


「そりゃあ無くはないけど、こっちは単なる一般人だよ? 【本物の超能力者】なんて連中に手を出して危ない目に遭うより、先生のことなんか綺麗さっぱり忘れて健やかに過ごすのが恩返しになるんじゃないかな」


 きっぱりとそう言い切った紫は飴玉を一つ取り出して口に放り込んだ。ガリッと言う小気味のいい音が部屋に響く。


「責任も、執着も後悔も、そんなもの人生には不要なんだ。そんなものない方が楽しく生きていける。かけがえのないものなんてないし、絶対に譲れないものだってない。そんなもの、失くしてしまえば案外ころりと忘れてしまうものさ。そう言い聞かせた方が生きやすいぜ?」


「少なくともわたくしは貴女がいなくなったら夢見が悪くなるくらいの情は持ち合わせていますわよ。貴女の様に軽薄な方と一緒にしないでくださいまし」

「ひどいな、私だってキミがいなくなったら夢見くらいは……」


 そこで言葉を区切り、紫は少し考えこむ。


「どうしたんですの?」


 妙な間が空いてしまったのでこちらから問いかけた。紫は「いや……」神妙そうに頷き、こちらをじぃっと見つめて。


 いきなりぶわっと泣き出した。

 大の大人が臆面もなく泣く光景は少し怖い。


「ほ、本当にどうしたんですの⁉」

「いや、最強子ちゃんは強いから、いなくなるだなんて考えもしなかったけど……」


「けど?」

「もし、キミがいなくなってしまったと考えたら……私はもう……生きていけない……」

「重いですわね……っ⁉」


 流石にそこまでの情を抱かれているとは思わなかった。紫はべそべそと泣きながら「いなくならないでくれよぉ~、頼むよぉ~」などと縋りついてくるのでかなり鬱陶しい。


 うるさいから飴玉を一つ取り出して彼女の口元に近づけてやる。すると彼女はぱくりと食いつき、もむもむと口を動かしながら涙目でこちらを見上げてきた。


「前言撤回する……キミが誰かに殺されたら私は必ずそいつを殺しにいくと思うし、私が死んだらキミにはすごく悲しんでほしい……」


「いや分かってくれたのは嬉しいんですけれど、いざ自分がそういう感情を向けられるとかなり鬱陶しいですわね……逆説的に貴女の言っていたことが少しわかって来てしまいましたわ」


「私が死んだら3年くらいは引きずっていて欲しい~~~! でもそれ以上引きずられるといい加減にしろボケみたいな気持ちが湧いてくる~~~! 幽霊になって立ち直る最強子ちゃんを後方腕組みしながら見守りたい~~~!」


「身勝手が過ぎますわ……! というか、本当にそろそろ離れて……」


 鬱陶しいし思いっきり引き剥がしてもいいのだが、泣いている彼女を突き放すのも気が引ける。どうしたものかと考えていると、彼女はずびずびっと鼻水を吸い、ポケットティッシュを取り出し、ちーんと盛大に音を立てて鼻をかみ始め、そのあと意を決したようにこちらを見上げた。


「お土産」


「は?」

「九頭竜村に行くなら、お土産買ってきてよ」


「いや、それは……別に構いませんが、どうしていきなり?」

「死んでほしくないから……」

「順序だって説明してくださいまし……」


「次にキミが対決する黒沢凛という女は初めて戦うタイプだろう。今までだって初見だと手口が分からない超能力者は珍しくなかったけど、目的もまるで見当がつかないなんてのはこれが初だ」


「それはまぁ、一応彼女が言うには『うけい様』とやらの実在の証明がしたいから、とのことでしたが……」


「神の力の証明なんて内々の数人でやっときゃいいんだ。最強子ちゃんもよく知ってるでしょ? 因習村みたいなところで神様とか超能力とか呪いがあると言い張る理由なんて」

「基本的には、お金か権力の誇示、ですわね」


「そう、普通は村の人や騙しやすそうな人からお金を取ったり、村長や教祖にはすごい力があるんだぞと権威付けをするために神様とか超能力があるとでっち上げたりするもんだろ。数人騙すだけで十分なんだ。というか普通それが限界なんだ。わざわざテレビに出てる最強子ちゃんに依頼して生配信までさせて、バレるリスクを犯してまでやる理由が分からない。神様の実在を証明して何がしたいのか本当に分からない」


 そうなのだ、確かにその通りなのだ。


 仮に契約を司るという『うけい様』が本物でも偽物でも、それを証明したからと言って何か特別なことがあるわけではない。信者でも集めたいのだろうか? それにしてはやり方が迂遠すぎるように感じる。


「アッパラパーだと言われた方がよっぽど納得できるよ。知らないというのは何よりも怖い、むしろ『知らない』ことこそが恐怖の源泉と言っても過言ではない。知らなければ枯れ木が幽霊に見えてしまうし、腹の出た中年男性を神様だと勘違いしてしまう。なんなら初めて電車に乗る時だって怖くてたまらなかった! 電車なんて毎日何百万人と乗っているのに!」


 紫はそこで一旦を整え。


「だから私はそいつを怖いと感じている。理屈じゃない、宙に浮くから、未来が視えるから……そんな直接的な理由じゃない。何を考えているのか理解できない。だから怖い」


「……」

「正直に言うとね、今回ばかりは本当に行って欲しくないと思っているよ。土下座したら行くのを辞めてくれるというなら、いくらでもこの軽い頭を下げたっていい。考え足らずで意志が弱くて意見がころころと変わる私だけれど、今回ばかりは本気だ……でも、行くんだろ」


「……行きますわよ。知らないもの恐れていたら知っている物しか手に入りませんもの。で、結局それがお土産とどう関係がありますの?」


 紫は照れくさそうに頬を掻いて、飴玉をもう一つ口に放り込む。ガリッと嚙み砕いてから、こちらをじぃっと見つめて。


「最強子ちゃんは、私のことが好きだよね?」

「は?」


 思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。しかし紫は冗談で言っているわけではないらしい、自信満々に自分の胸をドンと叩いて言葉を続ける。


「九頭竜村から帰ってきて、私と一緒にお土産をたのしく食べるという目標があれば、キミも少しは命を大事にするんじゃないかと、そう思ってね」

「はぁ、なんですのそれ」


 ため息をひとつ吐いて。


「……まったく、おせっかいな方ですこと」


 なんだか恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。

 紫はそんなわたくしを見て、心底嬉しそうにニヤニヤと笑っている。


 なんだか無性に腹が立ったので軽くデコピンを一発お見舞いしてやると彼女は頭を押さえながら「あたまがわれるー!」だの「最強子ちゃんより前に私がしんじゃうー!」などと大袈裟に痛がるので少し溜飲が下がった。


「……落花生とお酒でいいかしら。せっかく買うんですもの、妥協はしませんわ、最高のものを買ってまいります」

「おー! いいねぇ、最高だよ!」


 お土産を買ってくることを了承すると、紫は嬉しそうに飛び跳ねてこちらの肩をバシバシ叩いてきた。貧弱な彼女の繰り出すそれは、まるで力が籠っていないが、しかし。


「だったらこっちもいいお酒を用意させてもらうよ。一緒に飲もう、二人で飲み明かそう。だからね、無事に帰ってきておくれよ」


 ふにゃっと笑う紫色のわたあめみたいな彼女の笑顔を見ていると、肩の力が抜けていく。首にかかった翡翠の重さを少し忘れて、口元が緩んだ。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 なんとも長い回になってしまいましたが、

 読んでいただきありがとうございました。

 紫に引っ張られて少しだけ柔らかくなる満智院さん、ええね……


 もし面白いと思ってくださいましたら、

 ぜひ★評価とフォローをお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る