第6章:宇宙ステーションでの逆境

 漆黒の宇宙空間に浮かぶ巨大な車輪。その中心から放射状に伸びる長い腕。宇宙ステーション「アストラ・ハブ」の姿は、まるで深淵に浮かぶ巨大な海月のようだった。ゆっくりと回転するその姿は、人工重力を生み出すと同時に、見る者の心に畏怖の念を抱かせる。


 カフェ・ノヴァは、その巨大な構造物に向かってゆっくりと接近していた。窓から覗く光景に、あかりは思わず息を呑んだ。


「ゆずき、見て! まるで宇宙に浮かぶ未来都市みたい!」


 あかりの声には興奮が滲んでいた。ボーイッシュな短髪が、無重力状態でふわふわと揺れている。


「ええ、壮観ね」


 ゆずきは冷静を装いながらも、その瞳には好奇心の輝きが宿っていた。長い髪を丁寧に束ねながら、彼女は続けた。


「アストラ・ハブは、この宙域最大の宇宙ステーションよ。様々な星系からの旅行者や商人が集まる、まさに銀河の十字路ね」


「へぇ、すごいなぁ。私たちのカフェも、きっとたくさんのお客さんで賑わうんだろうね!」


 あかりの声は弾んでいた。しかし、その瞬間、船内に警告音が鳴り響いた。


「あれ? どうしたの?」


 あかりが首を傾げる。ゆずきは即座に操縦席に飛び込み、計器を確認し始めた。


「まずいわ。亜空間推進装置に異常が……」


 ゆずきの細い指が、操縦パネルを素早く動き回る。その動きには、長年の経験に裏打ちされた確かな技術が感じられた。


「え? それってヤバいの?」


 あかりの声に、僅かな不安が混じる。


「ええ。このままじゃ、次のワームホール航行ができないわ。アストラ・ハブで修理しなければ」


 ゆずきの表情に、珍しく焦りの色が浮かんでいた。


 カフェ・ノヴァは、ゆずきの巧みな操縦で無事にドッキングに成功した。しかし、整備士から告げられた修理費用の額に、二人は愕然とした。


「えぇっ!? そんな法外な……」


 あかりが思わず声を上げる。


「仕方ないわ。亜空間推進装置は、最先端の技術の塊だもの。部品も高価よ」


 ゆずきは冷静に分析するが、その表情には僅かな苦渋の色が見える。


「でも、そんなお金、私たちにはないよ?」


 あかりの声が震える。


 その時、ネビュラが二人の間を漂いながら、テレパシーで話しかけてきた。


「私には良いアイデアがあります」


 ネビュラの体が、希望を示すかのように淡く輝いた。


「カフェを開いてはどうでしょう? ここには様々な星系からの旅行者が集まります。きっと、皆さんの料理に興味を示すはずです」


 あかりの目が輝きだす。


「そうだ! 私たちにはカフェがあるんだもの。ここで営業すれば、修理費用くらいすぐに稼げるはず!」


 ゆずきも、僅かに表情を和らげた。


「そうね。でも、宇宙ステーションでの営業には色々と規制があるはず。まずはそれを調べないと」


 あかりは、ゆずきの現実的な指摘に頷きながらも、すでに頭の中でメニューのアイデアを練り始めていた。


「よーし、私たち、絶対に成功させよう!」


 あかりの声には、強い決意が滲んでいた。ゆずきも、その決意に応えるように静かに頷いた。


 アストラ・ハブの中央プロムナードは、銀河中から集まった様々な種族で賑わっていた。そこかしこに立ち並ぶ店舗の間に、カフェ・ノヴァの臨時出店が設けられた。


「いらっしゃいませー! 銀河一美味しいコーヒーはいかがですかー?」


 あかりの元気な声が、プロムナードに響き渡る。彼女の周りには、好奇心旺盛な異星人たちが徐々に集まり始めていた。


 一方、ゆずきは厨房で黙々と料理の準備を進めていた。微小重力下での調理は、想像以上に難しい。液体が思わぬ方向に飛び散り、火の制御も一苦労だ。しかし、彼女の科学的知識と冷静な分析力が、次々と問題を解決していく。


「あかり、『浮遊ラテ』の準備ができたわ」


 ゆずきの声に、あかりは目を輝かせた。


「わぁ、すごい! まるで宇宙空間に浮かぶ銀河みたい!」


 カップの中で、コーヒーと泡立てたミルクが、重力に逆らうようにゆっくりと混ざり合っていく。その神秘的な光景に、集まった客たちからどよめきが起こった。


「これはダークマターを模した特殊な添加物を使用しているの。密度の異なる液体が、重力に影響されずにゆっくりと混ざり合うわ」


 ゆずきの説明に、あかりは感心したように頷いた。


「さすがゆずき! 私には思いつかないアイデアだよ」


 ゆずきは照れたように頬を染めた。


「あなたのアイデアがあったからこそよ。私一人じゃ、こんな斬新な料理は生み出せなかったわ」


 二人の息の合ったコンビネーションが、次々と驚きの料理を生み出していく。「重力波クレープ」は、食べる瞬間だけ重力が変化したような不思議な食感を楽しめる一品。「量子もつれパスタ」は、一度に複数の味を同時に感じられる驚きの料理だ。


 ネビュラは、その透明な体を活かして客の呼び込み役を買って出た。テレパシー能力で様々な種族と交流し、カフェの魅力を伝えていく。


「皆様、こちらでしか味わえない特別な料理をご用意しております。宇宙の神秘を、舌で感じてみませんか?」


 ネビュラのテレパシーは、言葉の壁を超えて客たちの心に直接届く。その効果は絶大で、カフェの前には長蛇の列ができ始めた。


 しかし、そんな中でも問題は次々と発生する。調理器具の一部が微小重力に対応しておらず、急遽ゆずきが改造を施す羽目に。あかりは、異星人の味覚に合わせてレシピを微調整するのに四苦八苦。それでも、二人の強い絆と柔軟な対応力が、あらゆる困難を乗り越えていく。


「ねえゆずき、私たち……きっと成功できるよね?」


 夜も更けた頃、あかりがふと不安そうに呟いた。ゆずきは優しく微笑んで答える。


「ええ、必ずよ。私たち二人なら、どんな困難だって乗り越えられるわ」


 その言葉に、あかりは安心したように頷いた。二人の視線が重なり、そこには言葉以上の強い信頼関係が見て取れた。


 そして、彼女たちの努力は実を結んだ。カフェは連日大盛況となり、修理費用を工面するのに十分な資金を稼ぎ出すことができたのだ。


 亜空間推進装置の修理が完了し、出発の時が近づいていた。プロムナードには、カフェ・ノヴァのファンとなった常連客たちが集まっていた。


「また来てくださいね!」


「次は新しいメニューを用意してお待ちしています!」


 あかりとゆずきは、笑顔で手を振りながら別れを告げる。ネビュラも、その体を大きく発光させることで感謝の意を表していた。


 カフェ・ノヴァが、再び漆黒の宇宙へと飛び立っていく。窓からアストラ・ハブを見送りながら、あかりが静かに呟いた。


「ねえゆずき、私たち……また一つ強くなれたと思うの」


 ゆずきは、黙って頷いた。その瞳には、これからの冒険への期待と、互いへの絶対的な信頼が宿っていた。


 宇宙の深い闇の中で、カフェ・ノヴァの灯りが、希望の星のように輝いている。二人の冒険は、まだ始まったばかり。これからどんな出会いと発見が待っているのか、誰にも分からない。ただ、二人の強い絆が、どんな困難も乗り越えていくことだけは、確かだった。

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