第2章:水の惑星アクアリウス

 カフェ・ノヴァが惑星アクアリウスに接近すると、窓の外に広がる光景に乗組員全員が息を呑んだ。果てしなく続く碧青の海面が、惑星全体を覆い尽くしていた。太陽の光を受けて、水面は無数のダイヤモンドを散りばめたかのように輝いている。


「わぁ……すごい! 本当に全部海なんだね」


 あかりが目を輝かせながら窓に顔を押し付けるようにして覗き込んだ。


「ええ、驚くべき光景ね。この惑星の表面の99.9%が海で覆われているわ」


 ゆずきが操縦席から静かに答える。その冷静な口調の裏に、わくわくした様子が垣間見えた。


「ねえゆずき、私たちどうやって降りるの? 陸地がないみたいだけど」


「心配しないで。この惑星には水中都市があるの。専用の潜水艇で向かうわ」


 ゆずきの説明に、あかりは更に興奮した様子で手を叩いた。


「水中都市!? まるでSFみたい!」


 ネビュラが二人の間を漂いながら、テレパシーで話しかけてきた。


「私が海中生物と交信して、安全なルートを確保します」


 潜水艇に乗り込んだ一行は、アクアリウスの海中へと潜航を開始した。透明なボディを通して、驚くほど多様な海洋生物たちが泳ぐ姿が見えた。蛍光色に輝く魚の群れ、巨大なクラゲのような生き物、そして時折、未知の知的生命体らしき姿も。


「あかり、見て! あれが水中都市よ」


 ゆずきが指さす先に、巨大な透明ドームが姿を現した。ドーム内には近未来的な建物が立ち並び、通りには様々な種族の人々が行き交っている。


「すごい……まるで海底に置かれた宝石箱みたい」


 あかりの目が星のように輝いていた。


 潜水艇がドッキングし、一行は水中都市アクアポリスに足を踏み入れた。重力調整装置のおかげで、地上と変わらない感覚で歩くことができる。


「よーし! まずは現地の食材を調査しよう!」


 あかりが意気揚々と宣言する。ゆずきは微笑みながら頷いた。


 市場を歩き回る中、あかりの目に奇妨な海藻が飛び込んできた。


「ねえゆずき、これ見て! 青く光ってる海藻だよ」


「面白いわね。ルミノサという種類みたい。深海に生息していて、生物発光を行うのが特徴なんですって」


 ゆずきが、手元の情報端末を確認しながら説明する。


「生物発光? まるでイルミネーションみたいだね。これ、絶対美味しいスイーツができるはず!」


 あかりの目が輝き、創作意欲に満ちあふれている。


「でも、深海生物だから高圧環境での調理が必要かもしれないわ」


 ゆずきが冷静にアドバイスする。


「そっか……でも、それなら超臨界流体を使えばいいんじゃない?」


 あかりが突然閃いたように言う。


「そうね! 深海の高圧環境を再現すれば、ルミノサの風味を最大限に引き出せるわ」


 ゆずきが感心したように頷く。二人の息はぴったりと合っていた。


 カフェ・ノヴァに戻った二人は、早速スイーツ開発に取り掛かった。ゆずきが超臨界二酸化炭素を用いた特殊な調理器具を組み立て、あかりがルミノサを丁寧に下処理する。


「よし、できた!」


 あかりが誇らしげに完成品を掲げる。それは、淡い青色に輝くゼリーのようなデザートだった。


「まあ、綺麗」


 ゆずきも思わず見とれる。


 二人が一口食べると、口の中で幻想的な光の味が広がった。海の深さと神秘を感じさせる深い味わいに、二人とも言葉を失った。


「これは……驚きの味ね」


 ゆずきが珍しく感情を表に出して言った。


「うん! 海の神秘を一口で味わえるみたい。絶対にお客さんに喜んでもらえるはず!」


 あかりが嬉しそうに飛び跳ねる。


 アクアポリスの外縁部、海底洞窟の入り口に立つあかりとゆずき。特殊な潜水服に身を包み、ヘルメットの中で互いに頷き合う。ネビュラは、透明な体を微かに発光させながら、二人の前方を漂っている。


「準備はいい?」


 ゆずきの声が、通信機を通してあかりの耳に届く。


「オッケー! 潜るよ!」


 あかりの声には、緊張と期待が混ざっていた。


 三人は静かに海中へと身を沈めていく。洞窟の入り口は、巨大な暗がりの口のように彼女たちを飲み込んでいった。


 しばらく進むと、洞窟内部が突如として輝き始めた。無数の発光生物が、壁や天井に群がっている。まるで、銀河の星々が海底に降り注いだかのような光景だった。


「わぁ……」


 あかりが思わず声を漏らす。ゆずきも、普段の冷静さを忘れて見入っている。


 ネビュラが、ゆっくりと前に進み出る。その体から、これまでに見たことのない複雑な光のパターンが放たれた。すると、周囲の発光生物たちが一斉に反応し、様々な色と強さの光を放ち始めた。


「あかり、ゆずき、彼らが話しかけてきています」


 ネビュラのテレパシーが二人の意識に響く。


「すごい! どんなことを言ってるの?」


 あかりが目を輝かせて尋ねる。


「彼らは……私たちを歓迎しているようです。そして、彼らの文化について教えたいと言っています」


 ネビュラの説明に、あかりとゆずきは興奮を抑えきれない様子だ。


「ねえゆずき、この光のパターン、何かに似てない?」


 あかりが、周囲の光の動きを熱心に観察しながら言う。


「そうね……まるで、音楽の楽譜のようにも見えるわ」


 ゆずきも、分析的な目で光を追っている。


「そうそう! でも、もっと複雑で立体的な感じがする。ねえネビュラ、もっと詳しく教えてくれない?」


 ネビュラは、あかりの要望に応えるように、さらに複雑な光のパターンを放った。周囲の生物たちも、それに呼応するように光り方を変化させる。


「彼らの言語は、光の強さ、色、パターン、そして時間的な変化を組み合わせた複雑なものです。一つの"文"が、私たちの言葉では何ページにも及ぶ情報量を持っています」


 ネビュラの説明に、あかりは熱心にメモを取り始めた。


「これ、料理のレシピにも応用できそう! 光の強さで味の濃さを、色で食材を、パターンで調理法を表現できるかも」


 あかりのひらめきに、ゆずきも目を輝かせる。


「素晴らしいアイデアね。私たちのカフェで、光のメニューを作れるかもしれない」


 二人は興奮して議論を始める。その様子を見ていたネビュラは、さらに複雑な光のパターンを放った。


「彼らが言っています。あなたたちの創造性に感銘を受けた、と。そして、彼らの秘伝のレシピを教えたいそうです」


 あかりとゆずきは、驚きと喜びで顔を見合わせた。


「ゆずき、私たち、思わぬところで素晴らしい出会いをしたみたい」


「ええ、本当に。この経験を、必ず私たちのカフェに活かしましょう」


 アクアポリスの中心部、透明なドームの一角に、「カフェ・ノヴァ」の看板が輝いていた。その周りには、様々な種族の水中生物たちが群がっていた。


 店内は、深海をイメージした青と紫のグラデーションで彩られ、天井には発光プランクトンを模した小さな光が漂っている。窓からは、海中の神秘的な風景が一望できた。


「いらっしゃいませ!」


 あかりの明るい声が響く。彼女は水の中でも呼吸できるよう特殊な装置を身に付けていた。


 カウンターでは、ゆずきが優雅に調理を行っている。彼女の手元では、超臨界流体を使った特殊な調理器具が稼働していた。


「お待たせしました。ルミノサ・ファンタジーです」


 ゆずきが差し出したのは、淡い青色に輝くゼリー状のデザートだった。それは皿に盛られるというより、水中に浮遊しているかのようだった。


 最初の客、触手を持つタコに似た知的生命体が、それを口に運ぶ。途端、その全身が驚きで震えた。


「これは……深海の神秘そのもの! 光り輝く味わいだ!」


 その言葉を聞いた他の客たちも、次々とオーダーを始める。


 壁には光の言語で書かれたメニューが輝いていた。それは、まるで海底に広がる発光生物の群れのようだった。強さの異なる光の点滅が、料理の味わいや食感を表現している。


「あの、この光る文字、どういう意味なんですか?」


 クラゲのような姿をした客が尋ねる。


「はい、これは深海生物たちの言葉なんです。例えばこの点滅は、'甘くて爽やか'という意味を表しています」


 あかりが嬉しそうに説明する。その横でネビュラが漂いながら、テレパシーで補足説明を加えていた。


 客たちは驚きの声を上げ、メニューを食い入るように見つめ始めた。中には、光の言語を解読しようと真剣に取り組む者もいた。


 カウンターでは、ゆずきが新たな料理の開発に没頭していた。


「あかり、こっちに来て。新しいアイデアがあるの」


 ゆずきの呼びかけに、あかりが駆け寄る。二人は熱心に何かを話し合い、時折笑い声を上げている。その姿を見た客たちは、彼女たちの息の合った様子に感心しているようだった。


 店内は瞬く間に満席となり、入り口には長蛇の列ができていた。その列は、ドームの外まで続いているようだった。


「ゆずき、大変! 予想以上にお客さんが……」


「大丈夫よ、あかり。私たちなら、どんな状況でも乗り越えられるわ」


 ゆずきの冷静な声に、あかりは安心したように頷いた。そして二人は、息を合わせて料理の提供を続けた。彼女たちの動きは、まるで優雅な水中バレエのようだった。


 カフェ・ノヴァは、アクアリウスで最も人気のスポットとなりつつあった。その評判は、やがて銀河中に広まっていくことだろう。


 忙しい一日が終わり、二人は疲れながらも満足そうに寄り添って座っていた。


「ねえゆずき、私たち、やれるよね?」

「ええ、もちろんよ。この調子でいけば、きっと銀河一のカフェになれるわ」


 二人は笑顔で見つめ合い、固く手を握り合った。アクアリウスの海に沈む夕日が、彼女たちの未来を輝かしく照らしていた。

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