針刺し
138億年から来た人間
第1話 ダメな二人
二人の気持ちは通じ合えていると互いに認め合っていた。
しかし、一人一人が全く違う思いを持っている事が分かった時、その愛情は風に吹かれる砂塵の様に跡形も無く消えていった。
愛とは形あるものではなくお互いのイメージの中に隠されている。
描いたものを対象者に見せる事は出来ない。
互いが思う相手を作り出しそぐわない部分を打ち消し合う。
互いのアイデエンティティーを高めるために・・・
彼女には日々の業務で耐えきれないほどの苦痛を強いられる医療行為がある。
それは針刺しだ。
注射による針刺し事故、そしてそれに伴う血液暴露。
彼女は針刺し事故経験が6回を超える為、院内感染管理者に要注意の烙印を押されている。
そしてもう一人、この病院内には針刺しに悩む職員がいる。
「今日、約束の日よ。今度はちゃんと来てよ!」
糺は強く念押しして倭への電話を切った。
「全く、私の誕生日に人のシフトに入るなんて、私の事どう思ってるんだか。」
12月25日、クリスマスバースデイの糺は21歳を迎えた。
彼氏の倭と自分のマンションでささやかな誕生日会をする予定だった。
倭は19歳で年下、その上まだ準看の立場なので病院の寮生活。倭に配慮して糺は自分のマンションで過ごそうと先に口添えした。
今時の若者には珍しく将来を見据えた模範的な付き合い方をする糺。
なのに倭はあろうことか同期の女性準看護師の為に彼女の誕生日をすっぽかし深夜残業を代わったのだ。
もう一つ言えば倭は断りの連絡さえしなかった。
然し仕事をしているのだからと糺は不満を倭にはぶつけずに日を改めた。
「普通なら、私の誕生日のセッティングを倭がする筈なのにこれじゃぁ私が倭をお祝いするみたい。」
愛と言う欠片が一つ消えたような感覚に襲われた。
針刺しの担当が今日も回って来た。
注射器を持つと肩と腕に有りっ丈の力が込上げた。
「痛てぇーっ」
46歳の肝炎患者の男は刺さったままの注射針に腕を引っ込める事が出来ないまま痛みに耐えきれず悲鳴を上げた。
糺の打った針は静脈を外れ動脈に刺さった。
そのせいで針の周りから血液が滲み出し病室の床に流れ落ちる。
「先生、
糺の叫びに駆け付けた田埜倉医師はすぐさま手術室に患者を運ぶよう指示し止血縫合を行った。糺は院内感染管理者に手袋の使用をしつこく注意されており血液暴露による病原微生物からの感染は無かった。
患者も血官壁がしっかりしていた為事なきを得た。
「これで8回目だよ、南君。」
院内感染管理者の
糺は福多部がキックボクサーを目指した格闘家だった事を看護師コミュケで知って以来怖さを覚えていた。
「本当に申し訳ありません!」
土下座でもしかねないほどの態で平謝りを続けた。
福多部も8回とは言え低姿勢で謝る糺にそれ以上強く言う事は無かった。
「そろそろ見きりをつけるかな。」
福多部はテーブル上に置かれた院内のスタッフ名簿に目を落とし、南糺の欄にある赤いバツを人差し指でタップし2ページめを開いた。
「後はこの男だな。」
福多部の視線に映る文字は北山倭とある。
南の時以上に渋い顔で北山を待つ・・・
「北山君、君の素行が病院内で問題となっている事は前にも言ったね。それは君の中で理解が出来ているのかな?」
福多部は、少し笑顔を作り子供をあやす様に優しく問い詰める。
北山は、業務に支障をきたすような院内ナンパを繰り返していた。
女性看護師の3分の1が被害を受けている事が分かった。
「あ、はい。学生時代の癖で。」
北山は悪びれる風も無い。
福多部は北山の認識度の低さに頭を抱えたかった。
「19歳、矢張り社会に入ればその程度なのか。」
福多部は更に「それともう一つ、私が注意した事項も守られてないね。」の問いに北山は「なんでしたっけ。」と気付かない始末。
「針刺しの際の手袋だよ。」
さすがに我慢の限界に達した福多部は荒々しい口調で叱責した。
注意は1時間にも及び福多部はキレるのを我慢しすぎて疲れを感じたが、北山は力をセーブするかのように福多部の口調が激しくなった辺りから「はい」を繰り返し最後まで反省の言葉は無かった。素行の悪い準看を切ってしまうのは容易い。
しかし、この病院は人を育てる事を理念としている。
人には上下は無いとするのが文学好きの院長の方針だ。
「それでも、こいつは駄目だろう。」
そう心で不条理に感じながら福多部は時間外のサービス残業を終えた。
針刺し事故は、注射器での接種時だけではない。
廃棄時にも起こっている。
穿孔によりウイルスが血液に入り込むケースが後を絶たず、隠花共立病院でも『針無し注射器』の導入が考えられている。
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