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三島香織と6年ぶりに再会したのは、高校生の時に何度も足を運んだ、あのチェーンのファミリーレストランだった。
流石に所々内装が変更されているが、おおよそは昔と変わらない店内に驚く。
二人だったので、テーブル席かと思いきや、香織が妊婦であったためだろう。ボックス席に通された。
「久しぶりね。あずさちゃん」
「はい。お久しぶりです」
香織の顔は高校生のころの面影を残してはいたが、記憶よりも頬がこけていた。妊娠。借金。夫の失踪。気疲れなんて生やさしいものではないはずだ。
それでも、香織はあずさに笑顔を向けた。
強い人だ。そう思った。
あずさは全てを話した。森でのこと。山でのこと。三島のこと。
到底信じられる話ではなかったに違いない。でも、香織は静かに聞いていた。時折、大きいお腹をさすりながら。
全てを話し終えたあずさは、三島のスマートフォンと結婚指輪をテーブルに置いた。
それを見て、香織はふっと笑った。全てに疲れた、そんな笑いだった。
「あの人、理屈っぽいくせに、根がバカだから」
香織は結婚指輪を手に取りながら呟いた。
「ここぞと言うときに情に流されて、見事、詐欺師にだまされちゃったの。私に相談してくれれば、こうまではならなかったはずなのにね。妊娠してるから、心配させたくなかったのかしら」
香織は指輪を握りしめ、声を震わせた。
「失踪したときも、そう。離婚届だけ勝手に置いていって、全部自分一人で背負おうとして。全部自分で決めちゃってほんとに、ほんとに」
「バカなんだから」と香織は下唇を噛みしめ、肩を震わせた。
あずさは、「一つ、謝らせてください」と切り出した。
テーブルに置かれた、三島のスマホを手に取る。
「香織先輩の連絡先を知るために、スマホ、充電して覗かせてもらったんです。勝手に見てごめんなさい」
「暗証番号、単純すぎてすぐ開きましたよ」と付け加えると、香織はくすりと笑った。
「それで、香織先輩とのラインのトーク画面、開かせてもらったんです」
「ああ」と香織は声を漏らす。そして自嘲するように笑った。
「みっともなく、私がメーセージ送りまくってるでしょ。全部既読無視されちゃった」
事実、トーク画面には香織の長文のメッセージがいくつも連なっていた。
『あなたがいないと意味が無い』
『いっしょに頑張ろう。なんとかなるから』
『パパ。帰ってきて』
そんな言葉をちりばめて。
その、トーク画面の最後。
あずさはトーク画面を開き、香織に差し出した。スマホを受け取り、疲れた目でそれを見た香織が息を飲む。
一通。最後に一通。三島からのメッセージが表示されていた。
「送信失敗」のマークが出ていた。だから、香織のスマホには表示されなかっただろう。でも、そうなることはわかっていただろうが、それでも、三島が送った、送ろうとした言葉がそこには表示されていた。
言葉自体は短い、たったの二文。
『ごめん。ほんとごめん』
三島の顔が浮かぶ。笑った顔も、むっとした顔も、おちこむ顔も、ばつ悪そうに笑う顔も。
『今、帰るから』
香織の両目からボロボロと涙が、堰を切ったようにこぼれ落ちた。
「三島先輩は、香織先輩のところに、帰ろうとしてたんです」
それは最後の最後だったかも知れないけれど。
それは、もう、どうしようもないほど間違った後だったかも知れないけれど。
それでも彼は帰ろうとしたのだ。
あの暗い石室で、痛みと、寒さと、孤独と、恐怖に震えながら、それでもスマホをその手に握り締めて。
彼は帰ろうとしていたんだ。
香織は泣いた。「バカだなあ」そう呟きながら、その汚れたスマートフォンを両手に握りしめ、胸に押しつけて、香織は泣きじゃくった。
そして、彼は帰ってきた。
一ヶ月もかかってしまったけれど。
妻と子どものもとに、三島明は、帰ってきたのだ。
古びたリュックごと差し出した現金の山を、香織は受け取らなかった。
「それは、あずさちゃんが勝ち取ったものでしょう」
あずさは首を振った。
「いいえ。三島先輩がいなければ、私は確実に死んでいました。これは先輩のおかげで得たものです。だから、受け取ってください」
香織はしばらく黙って、そして、泣きはらした顔でにやりと笑った。
「彼なら、どうすると思う?」
異様な光景だったと思う。
駅前のファミリーレストランのボックス席で、お腹の大きい妊婦と、怪我だらけの女が、机にあふれんばかりの札束をならべ、きっちり二等分していく。
間違いなくこの店史上、最大の割り勘が行われた。
現金の山のきっちり半分を、あずさはリュックに戻し、香織はもう半分を手持ちのエコバックにパンパンに詰め込んだ。
「このお金は、この子のために使わせてもらうわ。お金があればいいってものじゃないだろうけど」
香織はそう言って立ち上がった。
「でも、私はこの子を幸せにしてみせる」
「負けるものですか」とそう香織は言った。その相手が誰かはわからない。何かなのかもしれない。彼女の人生だろうか。それともこの社会だろうか。いずれにせよ、一人の母親の戦いが始まる。
「重いですよ。駅まで持ちます」というあずさの申し出を、香織はやんわりと、でもきっぱりと断った。
「あずさちゃん。元気でね」
そう言った彼女の顔は、あの、あずさが知る、かっこいい香織先輩のものだった。
「はい。先輩も」
香織は立ち去りかけて、ふと振り返って言った。
「そういえば今日よね」
きょとんとするあずさに、香織は微笑んだ。
「あずさちゃん。誕生日、おめでとう」
一人になったあずさは、しばらくの間、じっとテーブルを見つめていた。
そしておもむろに、卓上の呼び出しボタンを押す。しばらくして来た店員に注文した。
「マルゲリータピザと、カリカリポテト。あと、塩とオリーブオイルください」
熱々のピザにポテトを乗せる。上からオリーブオイルと塩をこれでもかとふりかけ、半分に折る。
ガブリとかぶりついた。
チーズのコクとポテトの甘みとトマトの酸味が口に広がる。オリーブオイルの香りが鼻を通り抜ける。
もう一口。もう一口。
あずさはピザを頬張った。上気した頬を雫が伝う。次から次へと。それでも、あずさは口を動かすことをやめなかった。食べることは生きることだから。
しょっぱいなあ。
口いっぱいにピザを頬張りながら、あずさはそう思った。
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