九歳 夏


 九歳 夏




「つまり、あれだな。あずさはいじめられたんだな」


 祖母の身も蓋もない言いように、あずさはうつむくしかなかった。


「何、されたんだい」


 あずさは両膝、両肘をすりむいており、頬も腫れていた。服も土だらけだ。


「・・・・・・ぶたれた」


 ふん。と祖母は鼻を鳴らした。「他には?」と促す。


「足引っかけられて、こかされて、立ち上がろうとしたら蹴られるから立ち上がれなかった」


「で、袋だたきにされたと」


 あずさは頷く。その頭の動きに合わせるように涙が一粒こぼれ落ちた。


「相手は何人?」


「・・・・・・叩いたり蹴ったりしてきたのは四人・・・・・・あとの子達は・・・・・・」


 あとの十人ぐらいの子達は、ただ、見ていた。


 ボロボロと堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。


「始まりは?」


 祖母はあずさの涙などなんの興味も価値もないと言った様子で質問を重ねた。


「ば、バカにされたの。山・・・・・・山の中に住んでるからって」


 あずさは言いよどんだ。大まかにはそうなのだが、正確な言葉は違う。そもそも地域の子達は全員田舎者だ。ほとんどの子が山の近くに住んでいる。確かにあずさほどぽつんと離れた奥地に住んでいる子はいないが、山の近くに住んでいるだけで蔑まれるはずがない。


『やまんばの子』そう言われた。


 あずさだけがバカにされたのではない。あずさは大好きな祖母を馬鹿にされたのだ。


 だが、その事実を祖母に伝えるのはどこか憚られた。


 祖母はあずさの葛藤を知ってか知らずか、また鼻を鳴らして聞いた。


「んで、そう言われて、あんたどうしたんだい」


「・・・・・・言い返した」


「そしたら?」


「生意気だって殴られた」


「それで?」


「殴り返したら・・・・・・ぼこぼこにされた」


 祖母は鼻を「ふん」と鳴らした。だが、その鳴らし方は上機嫌なときのそれだったので、あずさはきょとんとしてしまった。


「おいで」


 祖母が顎をしゃくり、庭をすたすたと歩き出す。相変わらず姿勢がいい。


 祖母は軽トラに乗り込んだ。助手席にあずさを乗せる。


 軽トラが軽快に走り出した。なんだか機嫌がいいように見える。孫が満身創痍だというのに。


「あずさ。なんであんたは殴られたと思う?」


 あずさは返答に迷った。やまんばの子だからだろう。


「・・・・・・山の子だから?」


「違うね」


 祖母はついににやりと笑った。


「あんたが言い返したからさ」


 あずさは祖母の言葉の真意がわからず、首をひねった。


「もし、あんたが黙って、何を言われようとも黙ってうつむいていれば、きっと相手は満足してそれ以上してこなかっただろうよ。する必要が無いからね。まあ、図に乗って悪化するときもあるが、そんなの立ち回り次第さ。なんなら、へらへらへこへこし続ければ、面白いやつだと気に入られる可能性だってある」


 珍しく祖母が饒舌にしゃべっていた。


「だが、あんたは言い返した。そして殴られたら、あろうことか殴り返した。そりゃあ袋だたきにされるだろうよ。あんたが泣き出すまで満足しないだろうよ。やつらにはやつらの意地と見栄があるからね。人間てのはそういうもんさ。社会ってのはそういうもんだ」


 祖母は愉快そうに青々と広がる田んぼに目をやって続けた。


「だから、黙って見てた奴らからすれば、悪者はあんたさ。疎ましいのはあんたさ。空気を読まずに身の程知らずに輪を乱すんだから。みんなこう思ってるよ。ちょっとかわいそうだけど、いじめられるこの子が、いじめられるようなことをしたこの子が悪いってね」


 あずさはまさかの祖母からの精神的な追い打ちに再び涙が出そうなった。祖母も私の味方をしてくれないのか。


 祖母は軽トラをおもむろに止めた。みると、さっきまであずさが遊んでいた空き地に着いていた。村が管理している遊び場で、夏休みと言うことで、村中の子ども達が集まっている。あずさは学校に行っていないので、他の子と日中から遊べるこの時期は貴重な機会だった。ずっと楽しみにしていたのに。


「ほら。見てごらん。その証拠に、お前をいじめた連中は相変わらず皆の中心にいて、楽しそうだろう。他の子も笑顔いっぱいじゃないか。微笑ましいねえ」


 あずさは言われるがまま、空き地の様子を見て、悲しくなった。祖母の言うとおりだった。ついさっき、あずさがボロボロになって泣きながら帰ったというのに。そんなことなかったみたいに、みんなげらげら笑いながら鬼ごっこをしていた。だれも、あずさのことなんて気にもしていない。あずさを貶し、子分共と一緒にたこ殴りにした張本人の6年生の少年は、相変わらずリーダーとして皆に笑顔で指示を出していた。


 正直、あずさがいたときより、ずっと楽しそうだった。


「・・・・・・じゃあ、私が、私が悪かったっていうこと?」


 あずさは震える声で言った。


「ああ。そうなるねえ。見たらわかるだろ。あんたが悪かったのさ。空気を読まずにいじめられるあんたが悪いのさ」


 あずさはぎゅうっと両目を閉じた。熱い涙が押し出されるように流れて顎から落ちる。


「まあ、あいつらから見れば、だけどね」


 祖母の声色が微妙に変わった。あずさは顔を上げた。


「社会からすれば、あんたは悪者さ。不適合者さ。落伍者さ。全体の調和を乱すんだから。鼻つまみ者もいいとこさ。完全な悪だ。それこそ袋だたきにされても文句が言えないぐらいね」


 祖母は相変わらずにたにたと笑っていた。だが、目は全く笑っていなかった。


「だが、あんたは、あずさ自身にとってはどうなんだい」


 祖母はずいっとあずさに顔を近づけた。


「今日のことは、あずさが、悪かったのかい?」


 あずさは考えた。「あずさは遊びに入れて」と言った。「誰だ」と言われたから名を名乗った。ついでに好きなものも言った。卵かけご飯とハンバーグと、マムシの蒲焼き。気持ち悪いと言われた。気持ち悪くなんかないと言い返した。やまんばの子と言われた。化け物の孫と言われた。悪口だとわかったから、デブと言い返した。殴られた。殴り返した。


「私は、悪く、なかった」


 祖母はすっと目を細め、しばらくあずさの泣きはらした顔を見つめた。それからすっと前を向いた。


「じゃあ。選択肢はふたつだねえ」


 今日の晩ご飯の献立を選ばせるようなそんな口調で祖母は言った。


「一つ。今から謝って、遊びに入れてもらっておいで。思ってもないことを言ってもいいよ。嘘はつくなといつも言ってるけどね。ことこれに関しては嘘はいくらついてもいい。つけばつくほどいいぐらいだ。できるだけ相手が気持ちよくなることを。自分が大切にしてもらえそうなことを沢山並べておいで。それが社会の生き抜き方だ。大事なことだよ」


 あずさは鬼ごっこに興ずる子ども達を眺めた。あずさを殴った、小太りで図体がでかい6年生をじっと見つめた。


「もう一つ。それはもう、あずさはやったね。だが、不十分だ。中途半端だ。今のままじゃあ、明日あったときにも同じことになる。やるんなら、あずさ。やれることは全部やりな。自分の全存在をかけて、抗いな」


 そこまで言って、祖母はあずさを車から降ろした。あずさの目の前でドアをロックする。


「二つに一つ。自分を殺してみんなに合わせるか。自分を守るために全員と戦うか。どっちの戦い方を選ぶにせよだ。やらなきゃいけないときはある。その時はためらうな。あずさ」


 祖母は車のエンジンをかけた。


「行きな」


 軽トラが大きくUターンして来た道を戻っていった。


 あずさは、ゆっくりと子ども達の方向へ歩いて行った。


 みんな、楽しそうに遊んでいた。


 あずさは途中で、目についた小ぶりな石を拾った。両の手の平に隠すように握り込む。


 子ども達があずさに気がついた。遊びが止まり、皆の視線が集まる。


 6年生のリーダーの元に子分たちが集まった。


 小太りのいじめっ子は言う。


「なんだよ。まだ文句が・・・・・・」


 あずさは走り出した。両手の石を握りしめながら、叫び声を上げながら、自分より遥かに背が高いいじめっ子に向かって、あずさはがむしゃらに突っ込んで行った。








 夕方。昼間に輪をかけてぼろ雑巾のようになったあずさが帰宅したとき、祖母はなにも聞かなかった。黙ってあずさの傷の治療をし、されるがままのあずさも何も言わなかった。


 その晩、祖母はとっておきの鹿肉で、あずさの好物のハンバーグを作ってくれた。口の中に少し血の味を感じながらもそれを平らげたあずさは、祖母に抱きつくようにして眠りについた。






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