八歳 秋
八歳 秋
「これはまあ、見事にやられたもんだねえ」
祖母がサツマイモの畑を眺めながら言った。畑は夜の内に何者かに掘り起こされていた。サツマイモ一本や二本の被害ではない。小さな畑とはいえ、三分の一ほどの畝がかき回され、収穫前の芋が根こそぎ持って枯れていた。
「あんたのこれ、ちっとも役に立たないじゃあないか」
祖母は畑の隅にあずさが設置したかかし、アズサクロウ3号を顎で指し示した。
あずさは自分のお古の服を惜しみなく使って作成した自信作を侮辱され、ムキになって言った。。
「アズサクロウ3号は鳥対策が専門だもん。それに夜はどうせ見えない。勤務時間外だよ」
祖母は鼻を鳴らすと、「とは言えだ」と続けた。
「このままじゃあ。スイートポテト祭り計画は頓挫だね」
祖母の言葉にあずさは唸った。それは困る。春の苗植えの段階から楽しみにしていたのだ。
「しかたないねえ。やるしかないか」
祖母はため息をついた。
「・・・・・・なにするの?」
「決まってるだろ」
祖母は首をコキリとならした。
「殺すんだよ」
夜。
時刻は午後十一時を過ぎようとしていたと思う。もしかした十二時だったかも知れないし、はたまた、まだ十時の可能性もあった。時計がないからわからない。あずさの曖昧な体感だ。せめて月が出ていれば見えただろうに、今夜は残念ながら曇天だった。
「あずさ。そろそろ懐中電灯を消しな」
畑の周りに掘られた水路の小さな土手に隠れるように腹ばいで寝そべっている祖母が言った。
このサツマイモ畑はあずさたちの寝泊まりする家から一番離れている山側の畑だ。動物も寄りつきやすい。祖母が一面にフェンスを張っていたが、猪は難なくそのフェンスを突き破ったらしい。一応、その大きな穴の前にはアズサクロウ3号門番のごとく立たせてある。
あずさは祖母の指示通り、懐中電灯を消した。途端に周りが漆黒に包まれる。
「おばあちゃん。何も見えないよ」
あずさは小さな声でささやいた。すぐ隣にいるはずの祖母の横顔すら見えなかった。途端に不安になる。嗅覚が過敏になったのか、土と草の匂いがやけに強く感じた。
祖母は暗闇の中でふっと笑った。あずさと同様、小さな声で呟く。
「あずさ。完全な暗闇なんて存在しないんだよ。どこかに絶対に光がある。それを見つけてごらん。そしたらほら。うっすらと全体が見えてくる」
あずさはそう言われて、畑の方向をぐうっと睨み付けた。だが、やはりなにも見えない。黒い水の底にいるようだ。
「おばあちゃん・・・・・・」
ただ暗いだけでここまで不安なものか。心細いものか。寂しいものなのか。
あずさは涙ぐみそうになった。
「じゃあねえ。あずさ。裏技だ。ぎゅうっと目を閉じてごらん。目に光を貯めるんだ」
あずさは言われて、両目を閉じた。まぶたに力を込める。
「ゆっくり、十秒数えるんだ」
あずさは数えた。頭の中で。一秒。二秒。三秒。
十秒を数えると同時に、あずさは目を開けた。
さっきまで漆黒だった闇が薄れ、ぼんやりと夜の畑が浮かんでいた。まるで青白く光り始めたかのようだった。
「すごい。見える」
目が暗闇に慣れた。ただそれだけの事だったが、幼いあずさにはまるで魔法のようだった。
「さあ。おいでなすったよ」
祖母の声にあずさは慌てて口を押さえた。畑に目をこらす。
一匹の獣が、山の木々の間からゆっくりと出てきた。
背は高くない。今は犬小屋で寝ているだろうコテツと大して変わらないぐらいだ。
しかし、胴体が大きかった。のしのしという足音が聞こえてきそうだった。
地面の匂いをしきりに嗅いでいる。ぶひぶひという鼻息が十メートル以上離れたここまで聞こえてきた。
猪だ。
あずさはごくりと唾を飲み込んだ。その音すらやけに大きく感じるほど、あずさは自分が緊張しているのを自覚した。
猪はほとんど迷い無く、自分が昨夜突き破ったフェンスに歩み寄った。あずさが立てた門番に鼻を向けて匂いを嗅ぐ。
がんばれ! アズサクロウ3号!
思わずそう心の中で声援をおくったものの、自慢のかかしは次の瞬間、いともたやすく押し倒された。べたん!と背中から畑の土に没する。
・・・・・・だめじゃん。
わかってはいた当然の結果ながら、あずさは落胆した。次は祖母の服を借りて、もっと大きいのを作ろう。祖母の名は椿だから、ツバキクロウ1号だ。
猪はあずさをあざ笑うかのように、かかしを踏みつけるようにして、進んだ。フェンスの穴を通り、畑に足を踏み入れる。
「耳をふさぎな」
そう祖母が呟く。あずさが慌てて耳を押さえたのと、猪が微かな声にびくりと顔をこちらに向けたのはほぼ同時だった。
祖母の猟銃が轟音を上げた。
どさりと、猪が横倒れになった。
祖母が立ち上がる。すたすたと猪に近づく。あずさが追いかけようとすると、「まだだ! そこにいな!」と祖母が鋭く言い、あずさはその場に固まった。
しばらく猪の様子をのぞき込んだ。祖母は、「もういいよ。おいで」とあずさを呼んだ。
あずさは懐中電灯をつけると、猪の死体に近寄った。
胸の大きな一つの風穴が空いていた。一撃で心臓を撃ち抜いたのだ。
「スラッグ弾だよ。熊用のやつさ」
祖母はそう言って散弾銃の銃身を折った。ポンッと音を出して、銃から少量の白い煙とともに薬莢が飛びだす。それを祖母は慣れた手つきで右手でキャッチした。
「すごい・・・・・・」
あずさは初めて狩りの現場に立ち会い、興奮した。
「すごい! すごいよおばあちゃん!」
祖母は表情を変えず、ふんっと鼻を鳴らした。だが、その鼻息の音が照れ隠しのそれであることがあずさにはわかった。
「かっこいいなあ。私もやってみたい!」
あずさがそう言った瞬間、祖母はピタリと動きを止めた。
「・・・・・・おばあちゃん?」
祖母はまたふんっと鼻を鳴らした。その音は少し怒っているときの響きだった。
あずさは口をつぐんだ。なにか良くないことを言ったのだろうか。
だが、しばらくの沈黙のあと、祖母から発せられた声は穏やかだった。
「また、今度、やらせてあげるよ」
「え? 本当?」
「ああ」祖母はそう言ってかがみ込み、猪の背をやさしく撫でた。愛おしむように。悼むように。
「時期が来たらね」
祖母と二人で家まで猪を運んだ。
猪の身体は、死んでいるとは到底思えないほどに、温かかった。
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