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 ヨシツネは昨夜の風雨で汚れたクロスボウを湿らせた布でこすった。こびりついた泥をこそげ落とす。


 このクロスボウは特注品だった。矢も同様だ。大抵のクロスボウは矢が短く、ものによっては三十センチほどなのだが、ヨシツネは70センチの長い矢を好んで使っていた。自然とクロスボウもカスタム品となる。そのせいで銃身が長くなり、さらにリロード、つまり矢をつがえるのに少し力が余計にいるが、その際は発射口付近にあるフットスティラップという部位を足で踏みつけ、クロスボウ本体を固定しながら両手で引くのでヨシツネにはそこまで苦ではなかった。


 ヨシツネが長い矢を使う理由はただ一つ。見栄えがするからだ。


 身体に矢が突き刺さった獲物を一方的に追いかけ回すのが、ヨシツネは何より好きだった。その際、旗印と言うべき、身体から飛び出している矢は、そりゃあ長い方がいい。


 そして、なにより、長い方が、より、矢を射てる感があるじゃないか。矢の感じがするじゃあないか。ヤな感じがするじゃないか。


 ヤな感じ。矢、だけに。


 ヨシツネは自分でふと思いついた、大して上手くもない駄洒落にクックと笑った。彼は笑い上戸であった。質の悪い冗談でもすぐに笑ってしまう。さらに、その冗談が誰かを馬鹿にするもの、こけにするものであればあるほど、彼の口角は上がるのだ。


 山小屋のリビングに座ったヨシツネは鼻歌を歌いながらクロスボウを磨き続けた。隣の台所からはベンケイが料理をする音が聞こえる。どうせオムライスだろう。


 ヨシツネはにやにやと笑った。あの大男が火傷だらけの顔でせっせとオムライスをつくっているかと思うと愉快でならなかった。本人の前では素振りも見せないが、正直、あのただれた顔を見るとヨシツネは吹き出してしまいそうになる。


 やがて、ベンケイが皿を二つ持って仏頂面で現れた。ヨシツネと自分の分のオムライスの皿をテーブルに置き、自分の席にどかりと座る。


「悪いな」


 ヨシツネは笑みを引っ込めてそう言った。見事な半熟ぷるぷるのオムライスだ。きちんとスプーンも添えてある。見た目によらず甲斐甲斐しいやつだ。そのギャップにまた頬が緩みそうになるのをヨシツネは懸命に押さえた。ベンケイは気が立っている。余計な挑発は押さえるべきだ。


「ん」


 ベンケイがケチャップの容器をどんとテーブルに置いた。


 ヨシツネはそれを見て瞬時に思いついた冗談を言いたくなった。そして、思いついたことは結局、遅かれ早かれ言ってしまうのが、ヨシツネという男であった。


「萌え萌えキュンのおまじないはしてくれねえのか? それとも兎ちゃんを捕まえたらやってもらうか?」


 ベンケイはぎろりとヨシツネを睨み、かすれた声で「殺すぞ」とだけ呟いた。


 相当ぶち切れている。タケルが送ってきた神城あずさの画像を見たときは、「タイプだ」と言って満面の笑みだったくせに。黒髪ロングに目のないベンケイさんも、さすがに自分の髪をチリチリにされたのは許しがたいようだ。かわいさ余って憎さ百倍ってか。


「すまねえすまねえ。場を和ませようとしたんだよ。ぴりぴりすんなって」


 ヨシツネはにやつき顔をごまかそうとくるりと後ろを向き、デスクトップパソコンに目をやった。相変わらず、マップ上のピンは二本。ヨシツネとベンケイの分だ。二人は獲物に持たせる発信器と同じものを身につけていた。ヨシツネに関しては銀のチェーンに通してネックレスがてら首に掛けている。


「ん?」


 にやつきが収まるまでこうしていようとマップを眺めていたヨシツネは、異変に気づき、一気に真顔になった。


「おい。ベンケイ!」


 オムライスの一口目を口に運ぼうとしていた大男はぴたりと動きを止めた。そして彼もヨシツネ越しに画面を見て事態に気づく。


 ピンが三つに増えていた。


 山小屋からかなり距離のある森の中腹。そこに消えたはずの兎、神城あずさの位置情報が示されていた。


 壊れていた発信機が復活したのか? 内部の水分が乾燥したか何かで。


 あり得ないことではない。


 さらに、それは動いていた。マップ上のその赤いピンは移動していた。森の外に向かって。方向的にはタケル百貨店の方角に向かって。


 尋常ではないスピードで。


 ヨシツネはパソコンに飛びついた。ベンケイも背後で勢いよく立ち上がる。


「おいおい。どうなってんだ。速すぎるだろ。車にでも乗ってんのか」


 ヨシツネはあり得ないと思いながらもそう呟いた。車は山頂付近に一台あるのみだ。森からは遠く離れている。


「そもそも車道じゃねえ」


 ベンケイが唸るように言って、ヨシツネは気がついた。そうだ。このなだらかな線は道路じゃない。


 川だ。


「あの女、川下りしてやがる」


 やられた。


 街につながる道は一つではない。タケル百貨店やバス停がある車道の反対側にもいくつか人が通れそうな道がある。車道と比べてかなり遠回りになるし、なにより険しく、複雑だ。山慣れしていても十中八九遭難する。素人には到底、踏破できる道ではないが、命がけの逃走を企てて挑戦する輩もいる。だからそれらの道の要所にはライブカメラが必ず仕掛けてある。タケルやクロダはそのライブカメラを必死に見張っていたはずだ。脱出を図るなら車道を正面突破するか、それらの道を選ぶとこちらは当然のようにそう踏んでいたのだから。


 だが、川を脱出経路に選んだとすれば。


 普段なら問題ない。川はゴツゴツした岩が並ぶ渓流だ。徒歩での移動にはかなりの時間と体力を要する。当然、川にむけてのライブカメラもあったはずなので、見つけ次第、すぐに追いつける。


 だが、今現在、季節外れの連日の豪雨で、川は記録的に増水している、人をひとり簡単に押し流していけるほどに。それはそれこそあの兎自身がすでに実証していたではないか。


 もし、この隠れ潜んでいただろう二日間に、あの女が筏か何かを作っていたら。船を作り上げていたとしたら。それで川を下ったとしたら。


 一気に包囲を抜けられる。そして当然、川はいずれ麓の街に一直線に繋がるのだ。


 小屋の外で砂利がギャギャギャと音を立てた。窓の外に黒いバンが見えた。勢いよく横付けした車の運転席の窓からクロダが鬼の形相でなにやら叫んでいた。


 ヨシツネとベンケイは弾かれたように動き出した。それぞれの武器を手に取り、玄関を開ける。


「どっちかでいい! 乗れ!」


 クロダは二人より先に事態に気がついたのだろう。慌てて山頂から車を走らせてきたらしかった。


「俺が行く!」


 ベンケイが叫んだ。


「この顔の落とし前だ。俺がぶち殺す!」


 言うが速いか、ベンケイは猟銃を握り締めて助手席に飛び乗った。


 クロダが叫ぶ。


「ヨシツネ! お前は待機だ。無線を手元に置いておけ!」


 言い終わらないうちにバンは砂利をまき散らしながら発進し、すぐに林道の先に消えていった。


 ヨシツネは小屋にとって返し、リビングの椅子に音を立てて座った。


 興奮が冷め止まない。指示されたとおりにトランシーバーをテーブルに置くと、クロスボウを意味も無くなで回した。オムライスを食う気分では到底なくなっていた。


 パソコン画面に目をやる。そしてベンケイは「おっ」と声を上げた。


 川を勢いよく下っていた赤いピンが、川のカーブのところで静止していた。


 座礁したか。


 ヨシツネは事態を悟り、くっくっくと笑った。


 それはそうだ。当然だ。たとえ船を作ったところで、あの兎に濁流の中を操縦する技術があるはずもない。所詮、浅知恵の無謀な挑戦だったのだろう。


 ピンは一向に動かない。その意味を想像してヨシツネは吹き出した。船がどこかに乗り上げるかひっかかるかしたのなら、すぐに見限って森に逃げ込めばいいものを。だが、人は一旦、描いてしまったビジョンをそう簡単にあきらめられるものではない。きっと半狂乱で船を引っ張っているのだろう。


 車はあっという間に山を下る。ピンが止まっている箇所も不運なことに車道とほど近い位置だ。


 兎ちゃん。あと数分の命だろうな。


 ヨシツネは変に長引いた仕事が一段落する気配を感じ、椅子の上でぐうっと伸びをした。さあ、今夜は焼き肉だ。


 そこで、ふと。違和感を覚えた。さっきの自分の駄洒落を使って言うと、ヤな感じだ。


 なんでこのタイミングで発信機が復活したんだ?


 この二日間、うんともすんとも言わなかった発信機だぞ。それが、いざ兎ちゃんが決死の脱出劇を始めたタイミングで計ったように動き出した。


 獲物にとって、そんな不運なことがあるのか。それこそ笑い話のような。


 狩る側にとって、そんな幸運なことがあるのか。それこそ笑いが出るほどの。


 できすぎていやしないか。


 ヨシツネは身を起した。


 おびき出されたんじゃないか。


 ヨシツネはパソコン画面に再度目を向けた。


 動かない赤いピン。


 あの女は待ち伏せているんじゃないか。クロダとベンケイを。


 ありえない。あの女にはまともな武器だってないんだ。そんな・・・・・・




『ヨシツネえ!』


 無線からベンケイの怒鳴り声が大音量で鳴り響き、テーブルの上でトランシーバが振動した。ヨシツネは心臓が止まりそうになった。


『やられた! だまされた!』


 ヨシツネは愕然とした。まさか。本当に?


「く、クロダは? クロダは無事か?」


 ヨシツネの悲壮な声に、ベンケイは『ああ?』といぶかしげな声を出した。


『何を言ってる。無事だ』


 クロダの声が聞こえる。落ち着いていた。


『位置情報が動かないわりに姿が見えないから、どうなってるんだと二人で探したらな。枝に引っかかっていたよ』


「死んでたのか?」


 筏が途中でばらばらになり、濁流にのまれて打ち上げられた女の水死体がヨシツネの脳裏に浮かんだ。


『だったら良かったんだけどな・・・・・・ 発信機だけだ。発信機だけがジップロックの袋に入れられて流されてたんだ。それを必死こいて俺らは追い回してたのさ』


 囮か。


 だが、なんのために?


 そこで一つの可能性に思い当たったヨシツネは、勢いよく無線機を取り上げた。


「お前ら、今、どこにいるんだ?」


『あ? だから川だよ。膝まで浸かっちまってるよ』


「じゃあ、車は車道に置いてるんだな!」


 そこまで言った時点で、クロダはヨシツネの言わんとすることを理解したのだろう。無線の向こうでバシャバシャとクロダが走り出した気配がした。事態がつかめないベンケイが「お、おい! どうした!」と間抜けな声を出す。


 ヨシツネはトランシーバーに向けて叫んだ。


「馬鹿野郎! お前も走れ! 車をとられるぞ!」




 そこから数分間、ベンケイの悪態をつく声と、水音のまじった雑音が続いた。


 ヨシツネはイライラとテーブルの回りを歩き回った。


 もし、車がとられちまったら。それで地元警察に駆け込まれでもしたら。


 上はもみ消すのに相当な力を使うことになるだろう。俺たちも責任をとらされてただではすまない。


『ヨシツネ』


 クロダの声が響いた。ヨシツネは無線機に飛びつく。


『大丈夫だ。車は無事だ。そもそもキーは抜いてある』


 ヨシツネはふーと息を吐いた。そりゃあそうか。ベンケイ一人ならともかく、クロダがそんな初歩的なミスはしまい。さっきクロダが慌てて走ったのは、車のエンジンをかけようと必死になる兎を仕留めるチャンスだと思ったからなのだろう。


 しかし、ますますわからない。あの女は何がしたいのだろう。


『ヨシツネ。これは恐らく誘導だ。川沿いに逃げると見せかけるための、な』


 つまり、兎は今、この隙に、違うコースから逃げだそうとしているということか。


『タケル。聞いているか』


 クロダが無線内にいるはずのタケルに呼び掛ける。数秒のタイムラグのあと、タケルの『聞こえてます。どーぞ』という声が漏れ出た。


『お前はあれを使って川と反対側のコースを探せ。ライブカメラからも目を離すな。ヒジカタと手分けしてやれ』


『で、でも、ヒジカタさん。僕の言うことは無視するから・・・・・・』


『You coward! だったら! 俺の命令だと言え!』


 ここまで冷静な声を出していたクロダが怒鳴った。クロダは海外生活が長かったとかで時折、英語が飛び出すことがある。ネイティブすぎてヨシツネには聞き取れなかったが、意味は大体想像がついた。クロダも内心相当きているなこれは。


『・・・・・・ヨシツネ。お前も川と反対側のコースに向かってろ。タケルたちが見つけたらすぐに狩りに行けるように』


 無理矢理に感情を押し殺したようなクロダの指示に、ヨシツネは「了解」と短く答えて立ち上がった。


 腰のベルトに矢筒を取り付けた。黒いプラスチックの筒の中にカーボン製の特注の矢が十本刺さっている。そのうちの一本を引き抜き、クロスボウの銃身にはめる。銃身の先端を足で踏み、体重をかけて弦を両手でカチリと言うまで引っ張った。ボウガンを構える。これであとは引き金を引くだけで矢が獲物を貫く。


 ヨシツネはクロスボウを片手に、トランシーバーを左手に、小屋を出た。


 人間は武器を手にすると、途端に気が大きくなるものだ。彼も例外ではなかった。


 ヨシツネは狩りを前にして、気分が高揚するのを感じた。自然と顔がにやつく。


 兎ちゃん、随分コケにしてくれたじゃねえか。


 ヨシツネはクロスボウに装填された特注の長い矢を見て、さらに顔を歪ませた。


 さあ。お待ちかねだ。


 俺の矢の、餌食にしてやるよ。






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