5




「ベンケイ、お前、まじでふざけんなよ」


「わりい。わりい。ぎりぎり外そうと思ったんだけどよ、なんかあたっちまった」


 意識が戻ったあずさが聞いたのは二人の男の会話だった。朦朧とした頭で目を開けると、木々の間に曇天が見える。雨がポツポツとあずさに顔を打った。その景色が振り子のように揺れている。一瞬、ハンモックに寝そべっているのかと錯覚した。しかし、その景色が徐々にスライドして移動していくことに気が付いた。


 山道を運ばれている。前後の男二人に両手と両足を持ち上げられて、それこそ狩られた後の動物のように。


 周囲を慌てて伺う。相変わらず木ばっかりだったが、どうやら大分山の中に入ってきているらしい。どこからか川の水音が聞こえる。


 唐突にあずさの両手を掴んでいる前の男があずさの顔をのぞき込んできた。あずさは慌てて両目をつぶって気絶している振りをした。


「あーあ。完全にのびちまってるよ。これじゃ狩りになんねえじゃん」


 あずさはおそるおそる薄めを開けて前方の男を見た。迷彩服の細身の男。クロスボウを肩にかけている。さっきの男だ。


「後ろの木を狙ったんだけどな。思ったより弾がばらけた」


 両足を持つ男が返答する。角度的に見えないが、恐らくさっき散弾銃を持っていた大男だろう。


「かっこつけて弾の自作なんかするからだ」


「ほっとけ」


「ペレットが一発あたったんだろうな。まあ、急所でもないし、止血もしたから、しばらくは死なねえだろ。気絶したのは頭うったからだろうな」


 ペレット。聞き慣れない言葉だが、文脈からして散弾の飛び散る部分のことだろう。それを聞いてあずさは先ほどの出来事を鮮明に思い出した。


 発火でオレンジに光る銃口。肩を引っ張る衝撃。後ろに倒れ込み、頭を打ち付けた。


 ズキリと鋭い痛みが肩の付け根に走ったかと思うと、まるで熱した火箸を刺し込まれたかのような熱い激痛が肩から首筋を襲った。身体が痛みを思い出したかのように唐突だった。目を閉じたまま歯を食いしばる。


 撃たれた。


 その想定外の事態が頭をよぎる。この現代日本で? この世界有数の法治国家で? そんなことがあるのか。


 だが、肩の激痛はこれが現実であることを告げていたし、さらには撃たれたあずさを二人の男性が雑談しながら動物ように運んでいるという事実は事態の異常性に拍車をかけていた。


 あずさは半分パニックになりながら、薄目で前方の男を観察した。そこで気が付いた。男は上着と同系統の迷彩色のキャップを被っていたが、その側面に機器が取り付けられている。


 ・・・・・・カメラ?


 まるで動画配信者が付けるような小型カメラが、男の側頭部に付けられていた。


 男二人はあずさを運びながら、今度は今晩何を食べたいかという話題を始めた。


「ベンケイ」と呼ばれる大男は「オムライス」と言い、「ヨシツネ」と呼ばれる細身の男は「そのガタイでかよ」と笑った。


「うるせえな。いいじゃねえか。うめえじゃねえか。半熟とろとろオムライス。お前の分も作ってやろうか?」


「しかも手作りかよ」


 なに。なんなの。


 あずさは恐怖のあまり泣きそうになった。自分の身に降りかかっている緊急事態と、二人の男の談笑の温度差がありすぎて頭がおかしくなりそうだった。しかも左肩の激痛があずさ必死で紡ごうとする思考を断続的に散らしていく。


 やがて、男達の落ち葉を踏みしめる音が砂利を踏む音に変わった。振動で自然に首が傾いた振りをして辺りを薄目で伺う。一軒の山小屋に到着していた。避難小屋ほどの小さなログハウスだった。


 唐突に腕を掴んでいたヨシツネがぱっと手を離した。あずさは否応なく地面に背中から叩き付けられる。肩を激痛が襲い、悲鳴を上げそうになるのを必死に押さえる。背中の感覚で、自分がまだリュックを背負っていることがわかった。


 ヨシツネが扉の前に階段を上り、がちゃがちゃと鍵を開ける音が聞こえた。


「ベンケイ。頼むわ」


 その声とともにベンケイが両足を引っ張ってあずさをひきずり始めた。どうやらもう腕は持ってくれないらしい。砂利の上を万歳したまま足から引っ張られる。リュックを背負っているままで良かった。当然のように階段もそのまま引きずられながら登らされる。階段に直接擦れるリュックがガチャガチャと音を立てる。ズボリとサイドポケットの虫除けスプレーが転がり落ちた。あずさは反射的にだらんと伸ばした右手で転がった缶をキャッチした。薄目でベンケイの様子をうかがう。ベンケイは前に顔を向けていて、あずさの一連の動作に気が付いている様子は無い。あずさはとっさに上着の袖の中にスプレー缶を隠すことに成功した。


 数段の階段を背中で登り切ったところで、小屋の中に引きずり込まれていく。全く事態が飲み込めないが、この小屋で単に介抱してもらえる訳ではないことは明らかだった。


 事態がどんどん悪い方に進んでいる気がする。


 その予感はフローリングに投げ出されるように転がされ、それと同時にバタンと閉まった扉を施錠する金属音を聞いて確信に変わった。


「んで、どうするよ」


 ベンケイが背負っていた散弾銃を部屋の隅に立てかけ、面倒臭そうに言った。


 ヨシツネもクロスボウを壁際のテーブルに置いた。そのテーブルには古びた山小屋にはあまりに不釣り合いなデスクトップパソコンが置かれていた。スマホで使う地図アプリのような画面が開かれている。山の地形が簡略化されて表示されていた。その中央にマップ特有の簡略化された建物の図が示されている。この山小屋だろうか。その建物内を赤い三つのピンが、右往左往している。


 GPS?


「このざまじゃ、狩りはできなさそうだしなあ」


 ヨシツネは困ったようにキャップの上から頭をかく。カメラを固定している部分がかゆいらしい。


 ベンケイがうなり、ポケットからタバコの箱を取り出した。一本抜き取り、口にくわえる。


「見てくれは悪くないし、あっちの方でいいんじゃね」


「クロダがそっち系は大して人気が無いって言ってたぞ。ありふれてるってよ」


 ベンケイは百円ライターで加えたタバコに火を付けた。


「じゃあ、このまんま埋めちまうか? もったいねえだろ」


「何がもったいないだよ。ベンケイ。お前が黒髪ロング好きなだけだろうがよ」


 ベンケイがタバコの火を揺らしながら「ほっとけ」と笑う。


 あずさは二人の会話の意味を考えて総毛だった。思わず身を起し、「来ないで!」と叫ぶ。


 上半身を起したあずさを、ベンケイとヨシツネはきょとんと見て、それからゲラゲラと笑い出した。


「なんだ。元気じゃん」


「ベンケイ、お前、めちゃくちゃ嫌がられてんぞ。ドンマイだな」


「うるせえよ」


 ベンケイが近づいてくる。あずさは必死に座り込んだまま後ろに下がるが、すぐに壁に背中がついてしまった。 


 そんなあずさの膝の上に馬乗りになるように大男のベンケイがしゃがみ込んでくる。熊のようなパーマ頭のひげ面の男だった。額に直接バンドを巻き付け、左耳の上にカメラを固定している。今も撮影しているのだろう。小さく赤いランプが光っていた。ベンケイはタバコをくわえたまま、にやにやとあずさの顔を気持ち悪い視線でなめ回す。


 その鼻先に、あずさは虫除けスプレーを突きつけた。


「来ないでって言ってるでしょ!」


 一瞬、場に沈黙が走る。次の瞬間、ヨシツネが吹き出した。


「ベンケイ! お前、虫扱いされてんじゃん!」


 ベンケイもあずさの膝の上でしゃがみ込んだままくっくっくと肩を揺らす。くわえたタバコの火が揺れる。


 その火口を、あずさはじっと見つめた。


 スプレー缶の裏の表示も視界に入る。


『火気厳禁』


 あずさはタバコの先端に狙いを定めた。


 間髪入れず、ベンケイがペッとタバコを勢いよく吐き捨てた。ポトリと床にタバコが転がる。


「頭が回るな。ねえちゃん。でもなあ、現実は映画みたいにはいかねえぞ」


 ベンケイがしてやったりと口角を上げ、後ろでヨシツネが三度笑い声をあげる。


「いや、お前! せっかく知恵を絞って頑張ってるのに、容赦なさ過ぎだろおお!」


 ヨシツネはよっぽどツボにはまったのか、膝をばんばん叩いて笑い転げた。


 それを受けて、ベンケイも得意げにヨシツネを振り返った。


 そのくせ毛の後頭部に向かって、あずさはスプレーの先を向けた。あずさは半場無意識に呟いた。


「あ、大丈夫です」


 カチリとボタンを押し込むと、ブシューと勢いよくガスが噴射され、ベンケイの頭髪に吹き付けられた。


 ベンケイが「うお」っと驚き、ヨシツネが一層笑い出す。


 ベンケイは薬液が目に入るのを恐れてか、振り返ることができないまま、「このアマ」と声色を変えた。


 あずさはその隙に、胸ポケットからすっと銀の塊を取り出した。


 ゆっくりと親指で弾いて、フタを跳ね上げる。キンッと小気味よい金属音が響いた。


 ベンケイが音で悟ったのだろう。背を向けたままびくりと身体を震わせた。


 ヨシツネの表情が笑顔のまま固まる。


「火なら、持ってますので」


 ベンケイが首をひねった体勢で固まったまま、狼狽した声をだす。


「おま、なんでそんなもん・・・・・・」


 あずさは黙って、親指でオイルライターの歯車を回転させた。


 カチッ


 ライターの点火部に火花が散る。


 次の瞬間、スプレーの気化したガスは「ボッ」という音とともに引火し、一気に燃え広がった。


「ああああああああああああ!」


 一瞬で頭部が火だるまになったベンケイが叫び声を上げる。


 その股間めがけて、あずさは渾身の力で右膝を蹴り上げた。


「ぐう!!」


 大男が頭部の炎と下腹部の衝撃に悶絶しながら横倒れになった。


 今だ!


 あずさは死に物狂いで立ち上がり、玄関に突進した。


 扉に体当たりするようにぶつかり、銀のライターを持ったままの手で必死にドアノブの鍵を回す。


 ブシューーーー


 背後で消火器が噴出される音が聞こえた。叫び声も聞こえる。ヨシツネだろう。


 ようやく開錠された扉を開け放って、あずさは飛び出し、勢い余って、入り口の階段を背中でゴロゴロと転がった。肩に激痛が走り砂利の上で呻く。雨が本格的に降り始めている。滴が次々とあずさの身体を打つ。


 逃げなきゃ。逃げなきゃ。


 あずさは立ち上がると小道を走り出した。


 遠くへ。できるだけ遠くへ。


 ヒュっと風音が聞こえたと思うと、近くの木の幹に黒い矢が突き刺さった。


 あずさは悲鳴を上げて反射的に振り返る。


 ヨシツネが玄関先に立っていた。舌打ちしながらクロスボウを下に向け、先端のペダルのような部位を片足で踏みつけて弦を引いている。次の矢を装填しているのだ。


 あずさは周りを見渡した。この道は一本道だ。このまままっすぐ逃げていたら次の矢で射られる。


 川の水が勢いよく流れる音を、あずさの耳が拾った。


 一か八か、あずさは小道の横の林に飛び込んでいった。川の音の方に木々をかき分けるように進む。


「待てこらあ!」


 ヨシツネの怒声が響いたが、矢は飛んでこない。木々が邪魔で当たらないと判断したのだろうか。だが、代わりにヨシツネ自身が後ろから追ってくるのを感じた。


 林は急勾配だった。あずさは木々を避けながらむしゃらに両足を回転させた。全力で駆け下りるあずさはそのうち、自分の動きをもう自身では止められないほどの勢いになった。だが、今は止まることなど考えている余裕は無い。


 後ろでヨシツネがずさりと滑って転んだ音が聞こえた。


 よし!


 思わずあずさは振り返った。それが良くなかった。


 飛び出した木の根に、あずさの足がとられた。


「あ」


 最高時速まで到達していたあずさの身体が宙に浮く。


 あずさは地面を恐ろしい勢いで転がった。怪我を防ぐため、できるだけ身体を丸める。まるで童話のおにぎりのようにあずさの身体は山肌を転がっていった。


 ふっと重力がなくなった。


「えっ」と思った瞬間、あずさは水中に叩き込まれた。まるで洗濯機に放り込まれた洗濯物のように濁流の中でくるくると身体が回転する。


 必死に水中に顔を出してようやく現状を理解する。川に落ちたのだ。それも氾濫の一歩手前まで増水した川に。


 死に物狂いで両手をばたつかせるが、何も掴まれるものが無い。茶色く濁った荒波に否応なく飲み込まれる。


 なすすべもなく、あずさは濁流に押し流されていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る