彼のいない時間 小鳥遊穂香




 自宅の門の前に現われた小鳥遊穂香は、辺りの夜景を見て大きく溜め息を吐いた。この場所の光景は何も変わっていない。

 ダンジョンパニックが起きた事も、ランカー同士が争ったことも、何も関係なく何時も通りの静かな住宅街だ。

 パニックを起こした場所から離れてはいるのだが、大きな土地を持つ地主ばかりがいる住宅街は、我関せずとでも言う様に、夜の帳に立ち並んでいる。


 キイと小さな音を立てて門を押し開き、小鳥遊穂香は自分の家に入る。

 その広大な敷地の中には、相変わらず大魔女の住む大きな塔が立っていて、小鳥遊穂香はそこに目を向ける。


 塔のてっぺんに明かりがともっているという事は、大魔女は戻ってきているという事だ。しかし今は、その場所に向かう気にはなれない。

 母屋と言うか豪邸である自分の家に入ると、玄関ホールに珍しく父と母が立って待っていた。


「穂香。遅い帰りだな」

「心配したのよ穂香」

 年の離れた兄はこの場にいなかった。

「ただいま。心配かけてごめんなさい」

 両親が頷いてほっとした顔になったのを、小鳥遊穂香は罪悪感と共に見つめている。


「…遅くに帰ってきて疲れているだろうが、お前に話があるんだ。私の書斎に来なさい」

 父がそう言って手招きをするので、小鳥遊穂香は母と一緒に父の後からついて行って、久しぶりに大きな書斎に入った。


 書斎のテーブルの上に、小さな花束が入った花瓶を父が置く。

 その動作に少し首を傾げつつも、母がいれるお茶を待ちながら、座り心地のいいソファに小鳥遊穂香は座った。

 母が三人分のお茶を入れて小鳥遊穂香の隣に座る。相向かいに父が座り、ひと口紅茶を飲んでから、小鳥遊穂香を見た。


 父である小鳥遊博は、娘である小鳥遊穂香、妻である小鳥遊美香を見ておもむろに口を開いた。

「穂香は母さんと何か仲たがいしたのか?」

 そう聞いてくる小鳥遊博の言葉に剣はなく、心配している雰囲気があった。紅茶を飲んでほっとしていた小鳥遊穂香は少し顔をしかめてから、小さく頷いた。

「…はい」

 その返事の声が小さなことに、小鳥遊美香が娘の手を握る。

「経緯を話しなさい」

 カップをテーブルに置いてから、小鳥遊穂香が説明を始める。


「私は現在入っているクランの指示で、ダンジョンパニックになっている池袋ダンジョンに行きました。勿論九条君がいたので、余り大した事もなく解決しました」

 あっさりとした報告に、父も母も少し驚く。

 ダンジョンパニックは一大事で、国が崩壊しかねない大事件だったのだが、小鳥遊穂香の言い様では、山が噴火して沈下した、ぐらいの印象に聞こえた。


「そのあと、八王子ダンジョンに向かったのですが、現在ランク第一位のクラン、つまり、おばあさまがいるクランと戦闘になりました」

「なぜ?」

「九条君が欲しかったようですが、私も狙われたので、単に魔法使いが欲しかったのだと思います」

「説得ではなく、戦闘でクラン加入を促したと?」

「はい」

 肯いた娘を見ながら小鳥遊博は渋い顔になる。


「他のクランの人の介入もあり、私達側が勝ちおばあさまは近衛さんの一人を連れて転移しました。今は塔の上に居ると思いますが…」

「お義母様は、どうしてそんな事をしたのかしら。穂香に入って欲しいなら家で話せばいいだけですのに」

 小鳥遊美香の呟きをちらりと見てから、小鳥遊博が口を開く。

「あの人は無駄な事はしない。そのパフォーマンスが必要だからしたのだろう。何か目的はあるのだろうが」

 そう言って小鳥遊博は紅茶を飲む。良い香りのする紅茶だが鎮静剤のように気分を沈めるほどでは無かった。


「事情は分かった。それで穂香はどうしたいんだ?」

「え?私ですか?」

 父に問われて小鳥遊穂香が問い返す。

「母の行動に参加するのか?それとも反旗を翻すのか?」

 再び聞かれて、小鳥遊穂香は口を噤んだ。


 そうなのだ。

 祖母は強い魔法使いだ。自分の力など足元にも及ばない。そこに請われているのならば入るべきなのだろう。今までの小鳥遊穂香ならばきっとそうしていた。


 中々答えを出さない小鳥遊穂香を、母が心配そうに見ている。

 もしも反旗を翻すのなら、この家に帰って来られなくなるだろう。祖母の本拠地である魔女の塔はこの敷地内にあるのだから。


 母の顔を見返す。慈しんで育ててくれた母だ。あまり魔法力のない自分を卑下するけれど、穂香と兄を大事に育ててくれた優しい母だ。

 父の顔を見返す。強い魔法使いの血を引いた父は小鳥遊家の大黒柱として先陣を切り戦ってきた剛勇だ。それでも家族にはとても優しかった。


 ポロリと小鳥遊穂香の頬に涙が零れる。それは後から後から零れて小鳥遊穂香の膝に落ちる。

「私は」

 泣き声で話す娘を両親が黙って見つめている。


 高校を出て大学に行かずに探索者になると言った時にも、穂香の意思を優先してくれた。専門の魔法職にならない穂香を責めもしなかった。

十八年間、愛されて慈しまれて、この家族と過ごしたのだ。


「私は」

 彼の顔が小鳥遊穂香の心に浮かぶ。

 小さいけれど、他の誰よりも強くて、不思議な過去を持った少年。


 手の甲で涙をぬぐって、小鳥遊穂香は決意する。


「私は九条君と一緒にいます。他の誰でもない私を相棒に選んでくれた彼を、助けたいのです。だから、おばあさまの下には入りません」

 はっきりと口に出すと、少し体が震えた。それでも己の心に嘘はつきたくなかった。


「そうか。それでは家を出て行きなさい」

 父の言葉に肯きながら、また小鳥遊穂香の頬に涙が零れる。

「私達は一緒に行ってあげられないけれど、何時でもあなたの無事を祈っているわ」

 母の言葉に頷く。


「ここに居てはいつか母の力に屈してしまうだろう。その前に家を出なさい。…行く先の当てはあるのか?」

 父に聞かれて小鳥遊穂香は肯く。きっと数日ならば錬金研究所に泊めて貰えるだろう。

「そうか。それではついて来なさい。渡したい物がある」

 そう言って立ち上がった小鳥遊博を、まだ座っている小鳥遊穂香と小鳥遊美香が見上げる。


 小さな花束を花瓶ごと持ち上げて右手に持った小鳥遊博が廊下に出て、向かう先に慌てて二人もついて行った。

 小さな物置部屋に入ってその部屋の隅にある小さな地下への扉を開けた小鳥遊博は、二人にも降りて来るように促す。今までその存在を知らなかった二人は恐る恐る降りていった。降りた先は小さな部屋だが、魔力が何重にも掛けられた秘密の部屋だった。


「あなた、ここは?」

 小鳥遊美香が尋ねると、薄明るい部屋の中で小鳥遊博が微笑む。

「私が今までの人生で集めた道具だ。ダンジョンの物ではなく、本当の世界の遺物というやつだな」

「これが…」

 小さなガラスケースに入ったものが幾つも並べられている。その遺物を小鳥遊穂香が近寄って見つめる。ガラスには特殊な加工がなされているのか、それぞれが持つ力は外部には漏れていない。


「穂香には、これをあげよう」

 小鳥遊博はひときわ小さなガラスケースを持ち上げる。そこにはくすんだ小さな木の欠片が置いてあった。小鳥遊穂香の手でも隠せるぐらい小さなものだ。


「これは?」

 触らずに問いかける小鳥遊穂香に、父は微笑んだまま手に取るように促す。決意してその木の欠片を握ると、それは光を放ち小鳥遊穂香の身長ほどの長い杖になった。

「…それは、英国で見つけたものだ。古来から有名な魔法使いの使った杖と聞いてな。私が握った時はさして威力はなかったが、穂香の役には立つだろう」

 杖を握った小鳥遊穂香は、自分の身体の周りにある浮遊している魔力を感じ取っていた。


「これ、は」

「魔力を大気や大地から吸い取り、術者に与える。勿論その杖が持つ固有の攻撃魔法もある。それならば魔力も枯渇しにくい。持っていきなさい」

「…はい。有難うございます」

 頭を下げた小鳥遊穂香の手の中で、杖は消えて木の欠片もなくなっていた。それが自分の所有物になった事は魔法使いである小鳥遊穂香にも分かっていた。


「もっと武装させてもいいのだが、何が穂香の足かせになるか分からない。それだけしかやれないが、ここの場所は覚えておきなさい。もしもの時は此処の物を使う事を許可しよう」

 小鳥遊博の言葉に部屋が反応する。空気がふるりと震えて所有者の意思を確認する。


「そんな事を言わないでください。これだけで十分です」

「…魔法使いは準備が大事だ。断らずに受け取りなさい」

「う、はい。ありがとうございます」

 確かに父のいう事は正しい。それでもここの物を自分が使う時に、父が生きていないかもしれないと想像した小鳥遊穂香は、小さく答えた。


「では部屋に戻って荷造りをしなさい。夜明け前には出て行くように」

「…はい」

 地下から一階に戻り父母と別れた後で、小鳥遊穂香は自室へ戻る。

 トランクケースに必要なものを入れながら、また涙が零れる。昨日まで考えもしなかった旅立ちだった。


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