迷宮のありか
棒王 円
家を出る
この家で、生きるのは大変だった。
一緒に暮らしている、家族らしき人達はいる。
それは、僕と、僕以外とに分かれるものだ。
この家は、昔から続いている陰陽道に準じた家系と言われていて。その血筋が大事だと言われている界隈では、陽の血族と言われている。
その松崎の家には、子供が数人いる。
前妻の子供は僕だけで、今この家で生きているのは、後妻に入った女とその子供たちだ。兄と姉と弟。
母が死んですぐに家に入って来た後妻は、すでに子供を孕んでいた。
兄も姉も、どうやら父の子供らしい。
つまり、母が生きている間にもう、愛人として囲っていたという事だ。
母はそれを感づいていたのか、僕に必死に術式を教え込んだ。
僕がそれをうまく扱えない事に、気が狂うぐらい怒りをぶつけてきた。
それが遠因か、母は発狂して旅立った。
父は母がなくなって四十九日が過ぎたのちに、後妻を家に入れた。
僕が五歳の時だ。
それ以降、この家は僕にとっては家族のいない家になってしまった。狂気が満ちていた時もこの家は怖い家だと思って過ごしていたが、新たな住人達は僕をいない者として扱う様になった。
食事があまり取れないのは勿論、洗濯や掃除も、僕は自分でやらなければならない。五歳なのに、だ。
最初は動揺したけれど、何年もたった今では、やり様もあると分かっている。
兄や姉は、僕を嫌っていたが常識はあった。
多分、友人が良い人なのだろう。
誰それが言っていたからと、数日に一回どちらかが食料を持って来る。
それが給食のパンの残りでも、僕には有り難かった。
学校が休みの日は、食事の残りを握って持って来る事もある。
案外細やかに持って来るのは、年齢の近い兄の方だった。僕を見ては眉を顰めて、一言二言話してから、少ないお菓子を置いていく事もある。
人間ではなく、家に取りついている何かだとでも思っているのだろう。
僕が持っているものは、陰陽の力とは程遠い。
呪言を唱えたり、指先で図式を描くものでもない。
父は僕がいっこうに衰弱しない事を疑問に思ったらしく、兄や姉と喧嘩をしているのを聞いた時があった。
それは酷い言葉の応酬だったが、二人が僕を生かすことに前向きなのには驚いた。
信じることは出来ないが、まあ、気持ちが少し変わったのはその時からか。
僕はこの家の絶滅を望んでいたが、それは止めようと思った。
兄と姉は、家に貢献した事になる。
父は僕を滅したかったらしく、とことん無視をした。
それはもう、驚くほどに。
僕を憎く思っているはずの後妻が、僕を憐れんで、小学校と中学校の手続きをするぐらいは。父の僕への態度は、変わらなかった。
僕に食事を与えないように指示をしていたのは父だった。
後妻は、兄と姉の行動を見てみぬふりをしていると、いつだか、兄に聞いた。
そうやって生きてきた僕は、今日やっと、中学を卒業できる。
ここを出て行けと、父に撲殺される勢いで殴られ蹴られて、やっと家を出てよくなった事に安心した。
少しの服と、少しの本を持って家の前に立った。
何故か父以外の四人が一緒に立っている。
この人達なりに、僕を気にしていたのだろう。
兄と姉がお菓子を、後妻が封筒をボストンバックに入れてきた。
僕は頭を下げた。
「ありがとうございました」
言って頭を上げると、兄が涙ぐんでいる。
きびすを返して、家を離れた。
僕が感謝をするとでも?
こんなガリガリの子供を作りだした家に、恩を感じるとでも?
結局は僕を追い出すことに反対しない奴らに、僕が何か思うとでも?
あの家は自分達に寛容な人が生きる家だ。
もう二度と戻らないし、関わり合いにもなりたくない。
ボストンバッグを肩に掛けて、電車に乗った。
家のある場所から、かなり離れた場所の駅に降りる。
この先にある家にお世話になる予定だった。
母の兄にあたる人の住む家だ。あまり連絡はしていなかったが、家を出たいと思っていた時に思い付きで連絡を取ったら、良い感じに返事をされた。
家族はいなくて一人暮らしだと言っていたのが良かった。
叔父だけなら、どうにかなるかもしれない。
そう思いながら家の前まで行ったのだが、玄関に紙が挟んであるきりで、人の気配がない。どういう事かと、その紙を手に取った。紙には呪言が描かれていて、どうやら僕以外の人には見えない様だった。
どうしたかと、手紙を開いたら。
《有架くん、家に来たんだと思う。本当は一緒に住もうと思っていたんだけど、急にマイハニーがヨーロッパに住みたいって言いだして。二人でドイツに住む事にしたから、その家は君にあげるよ。土地の証書とかは全部君の名義にしてあるから大丈夫》
一回、目を逸らして家を眺める。
この文章にどう対応していいか分からない。
小さな二階建ての家がもらえるのは嬉しいが。
《マイハニーが法律的なのは全部やってくれたから大丈夫。もしもの時は電話してね。家の中に詳細を書いたものが置いてあるから、確認してね。それじゃ生活頑張って》
手紙の一番下にテープで鍵が貼ってあった。
僕にしか見えないからって不用心すぎる。
鍵を開けて中に入る。静かで綺麗な家だった。
掃除されている気がするのだが。
僕が台所に入ると、後ろから声が掛かった。
「有架さまですか?」
振り返ると着物を着た美人さんが立っている。
「え、誰?」
いや、ほんとに誰?
「三澄さまから聞いていませんか?」
「叔父さんから?何も聞いてないけど」
「そうですか。まあ、あの方ですからねえ」
何事か納得したのか、頷いてから着物美人が僕にまた微笑む。
「この家に憑いています。静か餅と言います。静とお呼びください」
「…ついている?妖怪か?」
「はい、そうです。家事一般をしています」
「ああ、そういう」
僕は台所にあるテーブルセットの椅子に座る。
家憑きがいるなら、書いておいてほしい。
テーブルの上に書類が置かれていて、それを見て納得する。父は本当に僕が嫌だったと。
叔父の苗字になるように、養子縁組の書類があった。そこには父の署名もされている。
中学を卒業でやりたい事もあったから、家を出たけれど。あの家の者には、好都合だった訳だ。
目の前に、暖かいお茶が置かれた。
同居は必須なのだろうから、静にはお世話になろう。
全てが良くなると、そう思おう。
僕がやりたいことも上手くいくといい。
けれど、一言だけは言っておく。
「…手紙でマイハニーとか惚気んの止めろよ、ほんと」
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