第20話

 先代王は悔いていた。


 側妃フロリタとその恋人セリオを不幸にしたのは自分たちだ。


 いくら臣下たちの進言であったとしても、愛のない結婚は止めるべきだった。


 遺伝の要素が強いとはいえ、魔力量は運に左右される部分もある。


 また、魔力量の多さだけが、子に求められるのはおかしい。


 王族だからと、子をなす道具になってはいけない。


 幸いなことに、ジョージは愛する者を見つけ、正妃とすることができた。


 ディーンにも、ぜひともそういう結婚をして欲しい。


 先代王は、ディーンの初めての我がままを思い出す。


 魔法師団長からは、呪いの発動者の血を確保したため、いつでも解呪が可能であると報告があった。


 先代王はペンを手に取る。


 そしてリグリー侯爵家に宛てて、文章をしたためる。


 呪いの犠牲者はディーンだけではない。




「我が従妹の血を継ぐこの娘もまた、私たちが不幸にした」




 今一度、解消されてしまった縁を結ぶ。


 先代王は強い意志を持って、通達を書き上げた。




 ◇◆◇




 リグリー侯爵は、王家からの通達が届いたのを知り、ぎょっと青ざめた。


 早く開けたほうがいいと執事が促すので、しぶしぶ封を切る。


 メイベルのために整えてもらった婚約を台無しにしたことについて、何か言われるのではないかと、ずっと恐れていたのだ。


 それがついに来たのだと思った。


 しかし、そうではなかった。




「なんだって!? これは……どういうことだ!?」




 素っ頓狂な声を上げるリグリー侯爵がいつまでも指示を出してくれないので、執事は横から文面を覗き込んだ。


 そこには――。




「これはおめでたい。すぐに、メイベルさまにはご準備をしていただきましょう。シェリーさまに知られないように、内密に動いた方がいいでしょうね」




 執事は、返事を待っている王家の使者のために、リグリー侯爵に代わって文面をしたためる。


 それをリグリー侯爵に確認してもらっている間に、メイベルのもとへ行き、外出の準備をするよう伝える。


 本来ならば、相応しいドレスに着替えたり、髪や化粧直しをしたり、時間がかかるものなのだが、そんなことをしていてはシェリーに勘付かれてしまう。


 執事はあえて、着のみ着のままのメイベルを王城へ届けることにした。


 通達に書かれていたことが本当であれば、用意はあちらでしてもらえるはずだ。


 メイベルは何が何だか訳がわからないまま、執事に勧められる通り外出着に着替えて、急ぎ玄関へ向かう。


 邸の外に出るのは久しぶりだ。


 もうすっかり空気が春めいている。


 メイベルの心はずっと冬のままだが。




「さあ、メイベルさま、馬車に乗ってください。シェリーさまがやって来る前に」




 慌ただしい執事の姿を見るのは、婚約披露パーティの次の日以来だ。


 あの朝、初めてメイベルは執事が走るところを見た。


 その執事が手を引いて、メイベルを馬車のあるところまで案内した。


 その馬車には、かつてお茶会に招待されたときと同じ、王家の紋章があった。




「え? この馬車に乗るんですか? 王家の紋章が――」




 メイベルがすべてを言い終わる前に、執事と御者によってメイベルは馬車に乗せられ、扉を閉められた。


 御者も急いで連れてくるように言われているのだろう。


 執事に礼をすると、すぐに馬に鞭をくれて、性急に馬車を出発させた。


 この馬車に王家の紋章があったことで、初めてメイベルは行先の予想がついた。


 これから王城に行くのだ。


 メイベルは改めて着てきた服を見る。


 


「こんな格好で、王城に? 嘘でしょう?」




 しっかり者の執事が、こんなうっかりをするはずがない。


 ということはよほど急いで出向かなくてはならない何かがあったのだ。


 まさかそのうちの一つが、シェリーに勘付かれないためだったとは、メイベルは知らなかった。




 メイベルが王家の馬車に揺られているころ、シェリーは自室で青いバラを眺めてはため息をついていた。




「早く次のお誘いが来ないかしら? もう私とマシューさまは、付き合っているも同然よね?」




 シェリーは待つのに飽きて、また邸を抜け出し、マシューに会いに行こうと思い立つ。


 髪の色と瞳の色を変えて、外出着に着替えて、さあ抜け出すぞというときにリグリー侯爵に見つかった。


 マシューとの待ち合わせ場所に行く日も、こうやって見つかってしまったのだった。


 あのとき同様に、リグリー侯爵の横をすり抜けようとしたが捕まった。




「あれほど言いつけたのに、まだ分からないのか。誰か! シェリーを長椅子にでもくくりつけろ! 今日だけは絶対に邸から一歩も出してはならぬ!」




 カンカンに怒ったリグリー侯爵によって、シェリーは自室に戻され、より一層厳しい監視の目がつくのだった。




「何よ? 何があるっていうのよ? どうして今日は駄目なのよ?」




 くくりつけられはしなかったものの、三人のメイドがシェリーを取り囲んでいた。


 そのうちの一人が首をかしげる。




「先ほど、メイベルさまは外出されていましたよ。ずっと部屋にこもっていらしたから、心配だったんですよね。今日は少しはお元気になられたのかしら?」


「メイベルは外出を許されたってこと? 私ばかり駄目出しされて、悔しい! メイベルはどんな格好だった? めかしこんでいなかった?」


「いいえ、ふつうの外出着でしたよ。あの恰好で他家を訪問するのは、少しためらわれるでしょうね」




 このメイドは、メイベルが玄関へ急ぐところしか見ていなかった。


 もし王家の紋章がついた馬車に乗り込むところを見ていたら、それを聞いたシェリーの爆発を抑えるのに苦労していただろう。


 執事が、馬車を見えにくい所に誘導した成果だった。




「そうなの? それならいいんだけど。メイベルだけ楽しんでいるのは不公平だものね! 一体、お父さまはいつまで私を軟禁するつもりなのかしら。いい加減にして欲しいわ!」




 ぷりぷり腹を立てるシェリーを見て、メイドたちは目線を交わした。


 みんな、シェリーの自業自得だと知っているのだ。


 邸内であれだけの騒動を起こし、メイベルが婚約破棄された原因はシェリーだ。


 そんなシェリーを大人しくさせようと、リグリー侯爵が必死に婚約相手を探していることを知っている。


 婿を迎えて、少しは落ち着いてくれたらいいのだが。


 誰にもらったのか知れない青いバラを眺めてうっとりしているシェリーを、引き続きメイドたちは監視し続けたのだった。


 


 ◇◆◇




 軽快に走る馬は、メイベルの乗った馬車を王城へ導く。


 メイベルには、こうしてお茶会に通っていたのが、ずいぶん昔のことのように思えた。


 車窓からの眺めは、すっかり春色に変わっている。


 初顔合わせに緊張していたのは、まだ秋の初めだった。




「離宮までは行かないのね? では私を呼んだのは誰かしら?」




 いつもよりも、かなり手前で馬車が止まる。


 離宮は王城の奥にあるので、お茶会のときは王城を通り過ぎていたのだ。


 御者が扉を開けて、手を差し出す。


 メイベルはそれを助けに、馬車から降りた。


 降りた先には、王城に仕える侍女長が待ち構えており、メイベルを王城の中へと案内する。


 メイベルはこれまで王城には足を踏み入れたことがない。


 どこに向かっているのかなど、分かるはずもなかった。




「あの、私はどなたに呼ばれたのでしょうか?」




 メイベルよりもかなり年上のはずの侍女長は、メイベルよりもよほど足腰がしっかりしていて、その歩く速度についていくのがメイベルにはやっとだ。


 こんなところに引きこもりの障害が出ている。


 侍女長は歩く速度はそのままで、簡潔にメイベルに返答する。




「わたくしどもからはお教えできないのです。ですが、すぐに分かりますよ」




 ニッコリ笑ってくれたので、悪いことではなさそうだ。


 その笑顔に安心して、メイベルは侍女長についていくため足を動かすことに専念する。

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