俺ら、そんな安くねぇかんな1

 とあるホテルのラウンジ。アンティークな机を挟み、二人の男が向かい合っている。


 四十代の男と二十代の男。

 その様子は側からみるとビジネスの打合せのように見えるが、それにしては空気が重い。

 壮年の男が肩を縮こませ、若者の方が深く椅子に掛けて優位そうである。


 これで頼む、と壮年の男は恐る恐る厚い茶封筒を差し出した。

 対する若者は足を組んだまま、俯きがちの男とその茶封筒を見下ろした。


 靴、鞄、腕時計からスーツに至るまでも、簡単には手が出せないブランド物ばかり。

 しかしどれも本来の輝きはなく、手入れが行き届いていないのは明らかだった。

 加えてワックスで無理やり固めた髪には艶がなく、肌の血色も悪そうだ。


 心の余裕は身なりに表れる。とはいえ、身につけているものは一流だ。

 まだ粘れる。若者はそう踏んだ。


 項垂れる男と厚い茶封筒を前に、片耳にピアスをした若者は余裕そうに笑う。


「冗談やめてくださいよ。こんな安請け合いできないっす。うちのドール達は……ね?」


***


「ただいまぁー」


 佳樹ヨシキの気怠そうな声と共に、その部屋の扉は開かれる。


 そこはドール達がルームシェアをしている部屋――通称ドールハウスの共有スペース。

 中央にダイニングテーブルがあり、窓際にはテレビとソファが並んでいる。シンプルな内装で散らかってもいない。

 共有スペースはいつも綺麗に、が彼らのモットーだ。


 佳樹はソファに座り、ネクタイを緩めて天を仰いだ。一緒に出掛けていた琉愛ルキアもソファに身を投げた。


「あー、疲れた眠いー。マネさーんそこの水取ってー」


 琉愛がダイニングテーブルの方に手を伸ばす。

 するとそこに腰掛けていた男が、やれやれと言わんばかりの様子で立ち上がり、ペットボトルの水を取って琉愛に手渡した。


 佳樹と琉愛とは異なり、ファストファッションのスーツで身を固めたその男はルームメイトではない。彼らの仕事を管理するマネージャー、略してマネとドールの間では呼ばれている。


 マネは二人――主に佳樹に向かって、腕を組んで仁王立ちした。


「佳樹さん、また勝手にクライアントと会ったでしょ?!」


 まーた始まったよ、と琉愛は水を飲みながら他人のフリをした。


「もーやめてくださいよーいくつ仕事減らしたと思ってるんですか!」

「いやいやマネさん、その言い方は良くないって」


 半笑いでマネの小言をかわしたところで、騒がしい足音と共に奥の階段から二人の男が降りてきた。

 二階はドール達個人の部屋が並んでいる。ガッチリとした肩幅で駆け降りてきたのが叶楽カナタ

 真っ青なセットアップを着こなし、悠々と降りてくるのがディランである。


 叶楽はこれから支度をするのか、首にタオルを巻いていて洗面所に直行していく。ディランはカラーサングラスを弄りながらダイニングテーブルに腰掛け、その長い足を組んだ。


「佳樹お客さんと会ってきたの?どうだったー?」と洗面所から声を張る叶楽。


「今回はちょっと、渋かったね。六人全員借り出すのにこんだけよ」

「え、300-yen?」


 わざとらしく大袈裟に驚くディランにマネはため息をつき、佳樹は吹き出した。

「それは流石にねえよ!」


 アハハハ!とアメコミのようなディランの笑い声が響く。洗面所から顔を覗かせた叶楽が平然と会話を続けた。


「三万?安くね?だって一人五千円でしょ」

「違うよ三十万だよ」

「いや十分ですよ!下請けの仕事なんてそんなもんですから!」


 マネが悲痛の声を上げるも佳樹は笑って相手にしない。


「いーや!まだいけるね!って琉愛がいってたんだけど」

「琉愛さんも行ってたんですか……」

「そうそう、俺佳樹についてって、遠くから見てたんだけど、時計とかめっちゃ高そうなやつ付けてたし、靴ピカピカだったし、あれはお金持ってそうだったよ」

「さすが名探偵だよなァ」

「えまって、金持ちそうだなっていって、佳樹はどうしたの?」

「三十万は安いから出直してこいっつったの」

「そしたら?」

「落ち込んで帰ってった」


 マネががっくりと肩を落とす。基本的に仕事はマネが外部から依頼を受け、ドール達に振る仕組みだ。


 仕事内容は様々で、飼い猫探しから浮気調査、時には銀行強盗の下調べまで、司法に触れようが依頼があれば何でもこなす。


 しかし佳樹という男は、勝手にマネの資料を盗み見て勝手にクライアントに会いに行くことがある。

 そしてそのほとんどで佳樹はクライアントを追い返してしまう。佳樹曰く『マネさんは優しすぎるからしょうもない仕事を受け過ぎ。俺らの価値も安くなンだろ』ということらしい。


 マネが来る前はドール達が自らクライアントを探して仕事を貰っていたが、佳樹はその頃と仕事の単価が少し変わったことが気になるらしい。琉愛としては大して気にしていないのだが。


 目ぇさめたー、と叶楽が洗面所から出てきてリビングを見渡した。


「そういえば曽良ソラアイはぁ?」

「上にいんのかと思ってた」

「いないよ?俺とディランだけ」


 お二人とも仕事中ですよ、とタブレットを触りながらマネが答えた。


「曽良さんも哀さんも、この後の仕事に先に向かっています」

「へ?!この後まだ仕事あんの!」

「琉愛さん……」

「アーッハハハ!ダメじゃん、ちゃんとスケジュール管理しないと。で、何すんの?」

「お前もかよ!」


 マネの表情とは反対に、佳樹とディランが陽気にケラケラ笑う。

 この男達は「静かに」「真面目に」と言ったことと無縁だった。


「いいですか!依頼人は週刊誌の記者です。依頼人は若手女優・馬場悠美の熱愛スクープを狙っています」


 語気を強めに、マネはタブレットを差し出した。そこには大手女性誌の表紙を飾る馬場悠美の姿。華やかで意志の強そうな目元でこちらを見つめている。


 わァ俺どタイプ、と佳樹がタブレットを操作し別の写真を映す。そちらは半年後に放送予定の学園ドラマのポスターで、お相手のイケメン俳優との爽やかなツーショット。


「相手はこの人?」

「いいえ、依頼人からの情報ではこちらです」


 マネはタブレットの写真を一枚進めた。

 打って変わって雑誌のインタビュー記事で知的そうな男性が微笑んでいる。

 見出しには大きく「株式会社Lavend代表取締役社長・大嶋龍平」と書かれていた。分かりやすくいうとベンチャー企業の若手社長、といったところか。


「ディラン、この人と友達だったりしないの」

「多分釣り友達の友達だったと思う」

「思ったより近いな!もうディランの友達辿って直接話聞いた方が早いじゃん」

「ダメだよ、釣り友達が今マカオにいるから会えない。カジノで大負けしてるみたいなんだよね」

「友達が日本に帰ってくるお金がないってこと?」

「そういう意味で会えないんだ?」

「ん?この人指輪してない?既婚者?」


 琉愛の指摘に一同が「うわぁ」とあからさまに落胆した声を出す。マネも呆れた様子だ。


「つまりそういうことです。……しかし馬場は週刊誌を異常に警戒していてあらゆる記者が撒かれているそうです。我々であれば気付かれないのでは、ということで依頼が来ています」

「その週刊誌ってどこなの?」

「名前は明かさない約束です」

「前と同じところじゃない?半年前くらいにも同じような仕事なかったっけ」

「……琉愛さん詮索しないでください」

「え!琉愛すげぇ当たりじゃん!」

「まあね。名探偵だから」


 マネは思わず頭を抱えた。手のかかるドール達の面倒を見るのは中々に疲れるのだ。


「っていう依頼を受けたのが二週間前なんだよね?マネさん」


 さりげなく話を回す佳樹は、他のドールから話を聞いたのか大まかな経緯は把握しているようだった。


「はい。その通りです。今日までの間にここにいない二人が馬場悠美の行動を観察していました。そして今日、みなとみらいのホテルに大嶋と馬場が宿泊予定、というところまで突き止めています」

「なるほどね!」


 パチンと叶楽が指を鳴らす。

「今日はそのスクープ撮る絶好のチャンスってわけだ!」


「みなさん、仕事の時間です。内容は今お話しした通りです。具体的な行動・計画については……」

「いつもどーり、俺らでね?」

「……はい。くれぐれもミスのないように」


 マネはもう一度腕時計で時間を確認して急ぎ足で出ていった。それを見届けたドール達はダイニングテーブルを囲み作戦会議を開始する。といっても――


「佳樹と琉愛が会ったクライアントさ、結局どんな仕事だったんだろうね」

「さあ、会社の社長がどうのって言ってたけどね」

「うちの社員になってくれとか?」

「あー、それで三十万は確かにキツいよね、サラリーマンの給料くらいは貰わないと」

「給料ってどれくらいが相場かな?五十万とかいく?」

 ――雑談ばかりで本題はなかなか進まないのであった。


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