亡霊騎士は君を選ぶ
稲葉 すず
第1話 バルドゥイノかく語りき
二階建てのその店の二階は、そこそこの値段で味もそこそこな酒が豊富に揃えられており、つまみの種類も多い。一階は席数のそれほど多くはない食堂だ。四人掛けが十席互い違いに配置されており、店のそれなりの面積を有している一段高く作られたステージをどの席からも見ることができた。
そして最後の部、
クラリーサはアバスカルに住んでおり、比較的いつでもその歌声を聞くことが出来る。ブロントス以外でも彼女はたまに歌っているからだ。バウティスタはアバスカルの近隣に住む部族で、アバスカルに村の特産を売りに来た際にはブロントスで聞き慣れないがどこか心惹かれる部族の音楽をよく演奏してくれた。
バルドゥィノは違う。彼は年に何度かふらりとアバスカルに訪れたときのみ、ブロントスで物語を語るのだ。路銀の足しにしていると、以前の舞台で聞いたものがいる。
その日、運良くバルドゥィノの回のディナー席を購入できたものが、三々五々集まってきた。
一階のディナー席では、食前酒を楽しむもの、メニュー表を読み込むもの、開始前に食べきってしまおうとするものなど様々だ。
二階の止まり木からその様を見て、カミロは
ステージには粗末な丸椅子がひとつと、同じく粗末なテーブルがひとつ。テーブルには、水差しとグラスが置いてある。
そこに、粗末な椅子やテーブルに良く似合った見目の麗しくない男が出てきた。どこからともなく、拍手がおこる。
バルドゥィノは中年というよりは爺に見えた。
バルドゥィノはグラスの水を一口含んで、唇を湿らせた。
ここから
あたしたちなんかは、路銀の節約のためにもえっちらおっちら歩くけど、女の人やお金のある人は駅馬車を使うだろう? あれは歩くより早いんだ。そうはいっても途中の町でそれなりに止まるから、まあファハルドまで十八日ってところかな。
なんだいそっちの兄さん、含み笑いして。
あぁ、あんたたち
あちらこちらから、笑い声がおこる。バルドゥィノは気にしていないのか、グラスからまた一口、水を含んだ。
駅馬車を使ったことの無い人はあるかい? まぁ生まれ育った町からでない人もいるだろうから、説明しとこうか。
町の中を走る辻馬車みたいに、町と町を繋ぐ馬車のことでね、二百年前に整備された街道を走ってるんだ。アバスカルから行けるのはゴディネスとハルフテル。どっちも隣町だね。
アバスカルからはどっちもまぁ歩いても一日半って距離だから、使わない人も多そうだ。
けれどハルフテルからそのもう一個向こう、エルゲラまでは、距離は変わらないんだけれど
そんときはたまたま一緒にいた隊商の中に
駅馬車はよほどの事がない限り
まぁそれはそれとして、お話はファハルドの、一個前、ハンブリナの駅から始まるのよ。
ハンブリナは
町についたら一旦降りて、宿に泊まるのね。道中宿場がなくて野宿なんてこともざらにあるからね。そりゃ少しお高くはなるけれど固くない寝床ってのも、たまには良いもんさ。もちろん、町暮らしの人たちは逆だろうけどね。
客席からクスクスと囁くような笑い声が起きる。カミロはどちらかと言えばバルドゥィノに近い。普段は町で暮らしているからちゃんとした寝床があるが、町の外で活動することも多い身だ。
隣の席のクストディオもカミロ程ではないが野外活動も仕事の一貫だから、寝床のありがたみはよく知っていた。
一晩経ったらまた馬車に詰められてトコトコ移動さ。
乗客は板の切符を持っていてね、金を払ってそれを貰うんだ。書いてあるのは行き先で、フィゲロアってあればそこまで乗れる。道中こうやって泊まっても、また翌日には乗れる仕組みさね。紛失した場合? 買い直しになるから、大事に大事にしなさいよ。
そん時乗っていたのは、中年の……あいや妙齢の女性とその娘さん。仲良しの親子は祖父母の住む関所の町まで行くんだと。それから出稼ぎから帰るお兄さん達。
まぁ、関所がある町まで行くのは、そんなに多くはないやね。越えるにはまぁ色々手続きもあるしさ。あたしらなんかはそりゃ簡単に越えるけど、町で暮らしてる人はそうもいかんだろう。逃げる、なんてお人は駅馬車使うお金もないだろうしね。
馬車は森を出て今度は山だ。関所は山の頂上付近にあるんだ。といっても、
それなら駅馬車なんて使わないで自分の足で登ればいいって? それがさ、
あたし? あたしはそんなへまはしないさ。
ちゃんとハンブリナで切符を買ったよ。行き先はファルドの向こう、デラガルサのオルネラスだ。駅馬車と一緒に歩いてきて、ハンブリナで乗る。そんな旅人もいない訳じゃないから御者さんも慣れたもんでさ。手前の宿場町で「どこから乗るの?」何て聞かれることもあるよ。
あたしも含めて全部で六人。辻馬車だとぎゅうぎゅうだけど、駅馬車でもぎゅうぎゅうだ。それを越えるようなら、他の馬車を回してもらえるらしい。
ハンブリナからファルド、ファルドからオルネラスへは、長く移動するだけじゃない駅馬車もあるんだよ。
まぁ、ここで飯食ってるような人たちには要らん知識だね。
あんた達はあれだろ、自分で馬車仕立てる方だろ。
さて馬車はそれまでトコトコだったのが今度はえっちらおっちらなんならガタゴト言いながら山を登り出す。
朝の便に乗れりゃあ昼には着く寸法だね。昼の便でも夕方には着く。夕方の便もあるにはあるが、あれは関所に詰める兵隊さん達用だ。夜に関所の門を開けて貰える人なんて、しれてらぁね。
大体いるのは小さいのはネズミにウサギ、大物になると鹿にクマ。当然それらを食べるキツネやオオカミ何てのもいるそうだ。
に比べると心もとない。あっちの遠くまで見渡すことが出来そうだった。
まぁ、馬車に乗ってるあたし達は、
はじめに異変に気がついたのは、母娘の娘さんの方だった。毎日
「何かが着いてきているわ」
震える声をクロリンダが絞り出す。
バルドゥィノは荷台から首を出して辺りを見てみるが、なにも見えない。
クロリンダが座っているのは、バルドゥィノの斜め向かい。三人ずつ座れる長椅子の真ん中だ。
バルドゥィノの向かいに座る青年も、首を外に出して見回している。
「あんた何を言ってるんだい」
クロリンダの肩に手を回して、母であるミラグロスは困惑の声をあげた。御者台寄りに座る彼女から見えるのは、おそらくは道くらいだろう。
「特にネズミやウサギや、オオカミの臭いなんかもしないけどなぁ」
バルドゥィノの向かいで顔を外に付き出していた青年が、ゆっくりと言葉にする。クロリンダを落ち着かせるためなのか、それとも素なのかはバルドゥィノには分からなかった。
アミルカルの言うとおり、近くにネズミやウサギといった小動物の音はしない。彼らの足音は軽く、まるで妖精のようだ。なお、妖精が歩くのは趣味のためなので普段足音はしない。
オオカミは軽快だけれどみっしりとした音で、クマは一つ一つはズッシリとしているけれど、まろやかな音をしている。その音もなく。
「いいや、しないどころじゃない。しなさすぎる」
鳥の音、鳥の声。なんなら虫達のさざめきさえも消え失せている。
これは、よろしくない。
「御者さんに伝えておくれな。なにかが並走している、って」
御者台に近いのはクロリンダの母ミラグロスか、
「あいよ」
ミラグロスは怯える娘の肩を抱き、撫でることしか出来ずにいる。アミルカルとバルドゥィノがなにかよろしくないものが居るだろうと見立ててしまったことにより、クロリンダの顔色は無いに等しくなっていた。
その部族名通りの鮮やかな長い爪で、ベニグノは御者台とのしきりを叩いた。
かん、かん。
「へぇい、どうされました」
御者台と座席の間のしきりには、小窓がついている。いつもそこは閉まっているが、何かあれば開く。
今もかなりガタガタと時間はかかったが薄く開き、御者の声がする。安全面を考慮して少しだけ開いたわけではなく、立て付けが悪くなっていて、あれ以上は開かないのだろう。
「いやなに、なんかが同行してるらしくてね、
なんでも、鳥も虫も気配すらないそうだよ」
ベニグノは危機感のない声でそう告げる。
信じていない、とかではなく、おそらくそういう声なのだろう。もしかしたら、クロリンダを安心させるためにことさらのんびりと言ったのかもしれないが。
「あれま、そっちに詳しい人いるんですかね? いや、
御者もことさらにゆっくりとそう言い、またガタゴトと音を立てながら、小窓を閉めた。
そこから関所の町まで、何事もなく、ただ静かなだけの時間が流れた。
ガタゴト、ガタゴトと木製の車輪が山道を踏みしめる音だけが響く。鳥の声も、虫の声も聞こえない。
「もうすぐ着きますよーぅ」
ファハルドは城塞都市である。町の周囲をぐるりと高い塀が囲い、中を伺うことはできない。視線を感じて城塞を見上げれば、衛士がこちらを見下ろしていた。
駅馬車の停留所は多くの場合その町の中にある。中心街ではなく、門に近いところにそれぞれあるものだが、ファハルドはその性質上町の外で乗り降りをした。
その後に、門で検閲がある。といっても、よほどの事がない限り軽い問答で終わるのだが。
乗っていた六人が順に降りる中、三人の
「大丈夫かい」
「ええ、なんとか。きっと少し座っていたら、気分もよくなると思うわ」
降りた途端に道端に座り込んでしまったクロリンダを気にしつつも、アミルカルもベニグノも門の中へと入っていった。バルドゥィノだけはどうせ暇だからと、ミラグロスに話しかけた。
「お二人はここが目的地かい? それともこの先に?」
「いいえ、ここに母が住んでいるので、今日は顔を見に来たのよ」
ファハルドの町はけして広くはないが、一般人も住んでいる。そのほとんどはここを守る両国の衛士の家族と、彼ら向けに商売を営むヒトビトだ。
それから、ファハルドを通りすぎる旅人向けの商売がいくらか。
ふと、それは訪れた。
一人は、クロリンダたちの背後を警戒していた。
最後の一人は、来た道を見ていた。
ふと、気配を感じたバルドゥィノは振り返った。木々の隙間から、音もなく一頭の騎馬が歩み出てきた。馬具もきちんとまとっている。なのに、音がしない。
これは、妙だと。思うよりも先に足元から震えが上がってきた。体感温度だけなら、真夏のはずなのにまるで冬のようだった。
馬は、よく見たら首はあるが頭がなかった。何もかもが異様すぎて、気が付くのが遅れた。いや、もしかしたら、思い返したら、頭がなかったのかもしれない。
長い時間のように思えたけれど、実際はそれほどの時間でもなかったはずだ。なぜなら、
馬には、騎士が乗っていた。黒い馬に、黒い馬具。そして黒いフルアーマーを着こんだ騎士。
その騎士も、思い返せば頭がなかった。左手で持っていたかもしれないが、バルドゥィノの位置からは馬の首で見えなかったように思う。
騎士は、ゆっくりと腕を持ち上げた。そして、指さした。
「指さされたのは、あたしじゃないって本能的にわかるもんだね。馬に乗ったその頭の無い黒衣の騎士の指先は、まっすぐあたし達の方を向いてるんだ。なのに、あたしじゃないってわかった」
バルドゥィノはグラスを手に取って水で口を湿らそうとして、入ってなかったから水を注いだ。その一連の自然な流れと同じように、指名されたのは、自分ではない、と分かったというのだ。
「選ばれたのが、母の方なのか娘の方なのかはあたしにはわからない。もしかしてと二人の方を向いたら、音が戻ってきてね。慌てて騎士の方を向いたら、もういなかった。それで、この話は、はい、おしまい」
ちょん、と、バルドゥィノは両手を打ち合わせた。
ゆっくりと、照明が明るくなっていく。
少し尻切れトンボだ、などと客たちは勝手なことを言いながら、食事を再開したり酒のお代わりを注文したり、席を立ったりと、三々五々、動き出した。
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