1568年part1 上洛。そして北伊勢攻め
1568年の初頭、織田信行と織田信長は、大きな転機を迎えることとなった。この年、足利義昭が織田家に助けを求めて接触してきたのだ。足利義昭は、室町幕府最後の将軍であったが、すでに京都を追われ、力を失っていた。信長はこの機会を捉え、足利義昭を擁立して上洛し、自らの権威を高める計画を立てた。信行もまた、兄信長のこの計画を支えるべく、共に動き出した。
2月、織田信行と信長は、上洛に先立ち、背後を固めるために北伊勢を攻略する作戦を開始した。北伊勢は、織田家の勢力圏に隣接する地域であり、戦略的に非常に重要であった。ここを抑えることで、織田家は上洛に向けての安全を確保し、後顧の憂いを断つことができる。
信行はこの作戦に深く関与し、信長と共に北伊勢の攻略を指揮した。織田家の軍勢は、北伊勢の諸城を次々に攻略していったが、この戦闘は決して容易なものではなかった。北伊勢の諸侯たちは、当初は織田家に対して抵抗を試みたが、信行の冷静な戦略と信長の果断な指揮の前に次第にその力を失っていった。
特に、北伊勢の要衝である長島城は、織田軍にとって大きな障壁となった。長島城は強固な城であり、守備側も粘り強く抵抗を続けた。しかし、信行はこの城を攻略するために、徹底した包囲戦を展開した。彼は城を包囲するだけでなく、補給路を断つことで城内の兵糧を尽きさせ、降伏を迫った。この戦略が功を奏し、ついに長島城は織田軍に降伏した。
信行はこの戦いを通じて、織田家の軍事的優位を確立するとともに、織田家が今後さらに拡大していくための基盤を築いた。信長は、信行の働きを高く評価し、彼に対してさらなる信頼を寄せるようになった。この成功は、織田家が上洛するための重要な一歩となり、信行もまた、その中心で大きな役割を果たしたのである。
北伊勢の攻略が完了したことで、織田家は上洛への道を開いた。信行と信長は、次なる目標である京都を目指すべく準備を進め、いよいよ足利義昭を奉じての上洛作戦が本格的に始動することとなった。
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