AIの肖像

第1話 盗みを働く

 盗みを働くのはポケットに手を突っ込まなくなってからだった。彼は意味もなく片手をズボンのポケットに突っ込む癖があった。子供の頃に一度だけ姉に指摘されたことがある。図体の大きい男を連れて、数週間前まで同じ場所に居たのに、彼の何もかもを嘲るような態度をとられた。夕日が作り出す二人の男女のシルエットが妙に作り物じみて見えたのはその時だった。それはAIみたいだった。

 彼は地元を愛した。盗みを働くのは世界中でただここだけにしようと決心していた。陸続きのK町である。景色はどこも平坦で、学校の窓から遠くのほうにいくつもの山が見えた。

 足音を殺すようにのそのそと歩く。細身の彼は盗みのプロフェッショナルではなかった。何かを奪い去るよりも隠すほうが知っていた。

 誰かに命令されたわけでもない。さしあたって急用で大金が必要というわけでもない。彼は雨から屋根へと移るように、やや駆け足で、ある家の門に入った。和風建築の古い民家である。閑静な住宅街の一角にあり、車などの乗り物が表にはあらず、奥の方にしまってあった。門は内向きに開き、手入れの行き届いているのか不気味なくらい無音だった。

 もしこの家に誰か居たとしても、それは元々彼のような人物に目をくれる者たちではないだろう。関わり合いになりたくない、というのが実のところだろうし、想像の内で完結するほかなかった。お互い暇ではないのだ。軽いが芯のある手触りのドアノブを掴んで、彼は優しく扉を開けていった。優しくする機会を望んでいたようにも思われる。が、知らない空間が彼を手荷物もなしに帰らせてはくれなかった。

 家に誰かいる。入った途端に灯篭の明かりが灯った。四面体の白い障子に煌々と影が浮かび上がる。体をゆらせばそれが自分の影の一部であるのがわかった。彼はうろたえた。後ずさりをしかけたが、それを止めたのは、側に自分の粗末なスニーカーのほかに靴が一足も見当たらなかったことにある。

 留守だとしても奇妙だ。寝転んでも余地のあるスペースの空間に靴が一足もないというのはどうしたことか。

 居間には椅子に座った男がいた。肌には艶があり髪の毛は黒くて背中まで伸びている。彼がその者を男と思ったのに確かな理由はない。話しかけられたので返事をした。その際のかすれてはいるが確かに男性的な声の響きに、納得したのかもしれない。恰好は粗末なもので衣服というよりも布が巻かれてある、といったほうが適切である。色がよくわからない。男はこう切り出した。

「君も座りたまえ」

 体面する椅子が男の視線の先にあった。間には何もなく不自然だった。急ごしらえでここに置いたという感じがする。

 声は聞こえたが話に応じるつもりはない。彼は一目散に逃げだした。来た道を戻り、脱いだスニーカーを乱雑に履く。

 扉は鍵がかかっていた。そして内側から開ける手段が見当たらない。強引に力任せに扉のわっかになった取っ手を押したり引いたりしていると、彼は焦りはじめる。寒気のしながら後ろを振り向いた。長い廊下がそこには見える。

 閉じ込められた、と憂慮する気持ちはすぐさま用心となってあらわれた。

 足取りは重たく、右手には念のために用意しておいた火炎瓶がある。割れて引火するのはすでに実証済みである。すぐさまこれを投げてもよかったのかもしれない。

「小細工はせずにはやく来なさい」

 男は強気の姿勢を崩さなかった。べつの足音が近づいてきた。散弾銃を構えた巨大な老婆である。熊のように大きかった。

「なんでこんなものがここに居るんだ」と彼はたまらずそうたずねた。

「ここにいる時点で、目新しいものなんてないと踏んで来たんじゃないか」

「違う。僕の気持ちを勝手に読み取るんじゃない」

 彼は声を震わせながら言った。

「坊ちゃん。駄目です」

「口添えするのか?」

「こやつめは気の小さい男であります。間違いです。坊ちゃんは過ちを踏もうとしておられる。こやつめは必ず間違いであります」

「それを決めるのは誰であるか、わかっているはずだ」

 彼には話しの意図がつかめなかった。椅子に座った小柄な男が力関係でいえば上である。それは面倒で納得をするのに時間がかかりそうだった。

「君にこの家を貰って欲しいんだよ」

「何だって?」

「どうして二度いう必要があるのかな。君にこの家を貰って欲しい。それでは僕はそろそろ行くとするよ」

 そう言って家を出ていった。老婆もそのあとに付いていく。彼は茫然と取り残された。

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