ほのぐらい街灯の下で

虚数クマー

素晴らしき日常

 宮島カナエが人殺しだという話は、転向してきてすぐ広まった噂だ。


 ホントだったらニュースになってるはずだろ、とか。

 少年院とかに入ってるはずだろ、とか。

 そういうマトモな指摘は、なんとなく、ふんわりと、「でも殺してそうじゃない?」という意見の前に掻き消えてしまった気がする。


「つまり、お前もそう思ってたってこと?」

「……いや、まあ、うぅん」

「否定しねンだな、ヒトゴロシ本人前にしてよ」


 のす、とぞんざいな蹴り。

 ほんの少し前のめりになったせいで、焼きそばがパンから零れそうになったし、口からもちょっとはみ出たきがする。危ないところだ。机や椅子だったらともかく、階段の踊り場なんかに落としたものは拾って食べたくない。


 どこかの教室から、底抜けに明るい馬鹿笑いが聞こえる。

 翻ってここは僕ら二人だけしかいない、薄らぼけた静けさだ。

 異様にソース味の濃い麺と紅生姜をしっかり咀嚼して飲み込んでしまってから、数段上に座ったジャージ姿でおにぎりを頬張る彼女を睨む。無意味な抗議だとおもうし、こっちもあんまり本気じゃない。


「喉詰まらせて死ぬンじゃねえぞ。今度は連続殺人犯になっちまう」

「じゃあ、食べてる時に蹴らないでほしいなぁ」

「じゃあもっと気を遣えってんだよ」

「ウソついたらもっと怒るでしょ宮島は」

「そりゃそうだな、バレねえようにウソつけ」


 仲良くなった、というのも少し違う。

 友達がいないやつと友達がいないやつが、傷を舐め合うように会話しているというのが近い。いや、これも間違っているのだろうか。宮島カナエが傷の舐め合いなんかするタイプにも思えないし、かといってまったくの人嫌いにも見えない。

 

 二人ともよく学校を休んでいたから、班分けとか、補修とか、気がつけば押し込まれる先が一緒だった。だから同じ空間にいる。その延長線が伸びていって、放課後や休日でもつるむようになった。


 結局のところは一緒にいる。それだけでいいのかもしれない。


「今更だけどさ、どこからそんな噂出るんだろうね」

「そういうの正面から聞くから友達いねえんだなお前」

「他に聞く相手もいないし、聞き方も知らない」

「ウチも他に話し相手いねえからなあ」


 実のところ、まったく心当たりがないわけでもない。


 ハサミなんかを嫌そうに使う。

 カッターのあるところにはなんとなく近寄りたがらない。

 キッチンの果物ナイフを見た時に吐きそうになっていた。

 調理実習には一切参加しないらしい。


 宮島カナエは、刃物が怖い。


 どちらかといえば加害者よりも被害者よりの証拠のように思えるが、たぶん、噂というものの力の前ではあまり関係ないんだろう。


「でもまあ、ウチが逆の立場でもするしな、噂」

「ウワサ言う相手僕以外にいないじゃん。してどうすんの」

「逆の立場つってんだろ、いるとカテーすんだよカテー」

「仮定?」

「それ。……いま揚げ足とろうとしたろ」

「我慢した」

「褒めねーからなバーカ」


 僕は宮島の怖いことを知っているし、宮島は僕が知っていることを知っている。

 だからこんな会話は茶番みたいなものだ。その茶番がずっとやめられない。


 宮島カナエは乱暴だし、口悪いし、気を抜くとゴミポイ捨てするし、学校にカップのお酒もってきたこともあるし、無免でバイク乗って家に遊びに来たこともある。そういうところは嫌いだ。

 嫌いなところがこんなにあるのに、わざわざぬるま湯みたいな茶番をして、柔らかいところには触れないようにして、バカみたいな話をしている。


 偶然どっちもぼっちなだけ。

 同じ場所に押し込まれてただけ。

 他に相手がいないから。

 最初は、まちがいなくそれだけで一緒にいたはずなのだけど。


「次なんだっけ」

「体育」

「よしサボリ。遊び行くぞ」

「体育行かないんだ。もうジャージなのに?」

「お前毎回言うよなそれ、まいっかい。おもしろくねーから」

「反射になっちゃってさあもう」

「きっしょ」


 宮島カナエも同じなのだろうか。よくわからない。

 たぶん僕が宮島の嫌いなところの数と同じくらいに、宮島は僕のことを気持ち悪いとか考えていそうな気がするのだけど、何度も僕のことをキモがりながら、彼女はどこかにいったりしない。


 前に、歴史とかを教えている先生が、「若いってのは選択肢が見えないことだ」なんて授業そっちのけで言っていたことがある。


「進路も、考えも、友達も、選択肢はほんとはたくさんあるのに、今ある狭いぶんしか見えない。それが若いってことだ。だから勉強を重ねて、選択を広げて、大人にならなきゃいけない。まあ、大人は大人で、選択肢を見てみぬふりしたりするけどな」


 先生はお酒を飲まないって選択肢が見えないんだ、とかいってオチつけてたけれど、なんだかいい話っぽくて理由もわからずムカついたのを覚えている。

 でも、少しは理があるとおもうし、それ以上に怖くなる。


 宮島は、選択肢が見えないから僕といるんだろうか。

 僕にもっと選択肢が見えてたら、宮島といっしょにいただろうか。

 親父がもっと元気だったら、お袋がまだ家にいたら、じいちゃんばあちゃんと縁切られてなかったら、そんなやつ友達にするなって言われてただろうか。その選択肢はとても正しそうで、思い浮かべるととても痛い。


「ここ近くにゲーセン無ぇのがクソだよな。田舎がよ」

「都会マウントだ」

「すぐマウントマウント言うのきしょいからやめろよ。つかお前もロクなもん無くてクソっつってただろ」

「まあクソではあるよねコンビニくらいしかないし」

「面倒ンなんってきたなー。もう午後全部サボっか」

「また?」

「うるせえな良いからサボるぞ」


 僕は、考えているたくさんのことを宮島に言わない。

 でも彼女は、僕が勝手に辛くなっているときに、だいたい太ももを蹴りながら一緒に遊びに行こうとする。今みたいに。それで僕は、勝手に救われた気分になる。


「また家?」

「おまえん家のが近いだろ」

「いいけどもうアイス無いよ」

「買っとけつったろうが」

「こないだ勝手に買ったらキレてたじゃん」

「ネタ系のはいらねんだよ。何が納豆味だ」

「バニラと納豆で結構おいしくなるって話も」

「こないだのアレはただの豆味だったじゃねえか!!」

 

 くだらない話も、いつか途切れる。

 気遣いの茶番も、きっとそのうち踏み外す。

 それでも。

 僕が君に救われるたびに、あったかもしれない選択肢を、見えない無数の道を、もっと楽しくて幸せな可能性を心のなかで思いっきり蹴っ飛ばす。

 自己満足の、くだらない格好つけかもしれないけれど、よりが良いんだと開き直ってやる。


 君もそう思ってくれていたら、嬉しい。

 確かめる勇気は当分出そうにはないけれど。


「んじゃとっとと鞄取りにいくぞ」

「今みんなジャージに着替えてんじゃないの?終わってからでいいじゃん」

「こないだそれで待ってたら見つかったろうがよ」

「あー……行こっかじゃあ」

「帰りコンビニも寄るからな」

「また納豆アイス買おっか」

「うるせーバカ」


 さあ、今日も行き場のない二人で不良行為を始めよう。

 人殺しとか、家庭崩壊とか罵られながら、後ろ指を振り切って逃げ出そう。

 そっちの世界は輝いてて楽しいんだろう。でも、案外こっちも負けてない。

 ふたりぶんの輪郭しかわからない、狭くて仄暗い光りのなかで、こいつはろくでもないななんて思いながら笑い合うのも、なかなかどうして悪くない。

 

「バイクあれば帰るのラクなのになあ」

「いくらなんでも教師共にバレたら面倒だろが」

「そんときはいっそ轢いちゃえばいいんじゃない」

「お前ほんっと性格最悪だよな」

「でも実は……?」

「めっちゃバイク乗って来てぇしめっちゃ轢きてえ」

「だと思った」

「わかったようなツラしてんじゃねーよバーカ!」

「あはは」

「なーに笑ってんだバカ。バーカ!はははは!」


 ああ。

 この光る日々が、ずっと続きますように。

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ほのぐらい街灯の下で 虚数クマー @kumahoooi

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