第5話

「この世界はお前が征服したのか?」

「まぁ訊きたい事は山ほどあるだろうが、それはまた次の機会にするとしよう」


 そう言ってアールは重そうに立ち上がった。


「明日の四時だ。この場所で会おう」


 アールの言葉の後、スエはポケットからコインのような物が付いたネックレスをシャドリスへと差し出した。それを彼女は警戒の眼差しを向けながらも受け取り、確認してからテネヴィスへ。


「そこへ魔力を注げは道案内してくれる」


 そしてハット帽のツバを撫でるように直したアールは出口へと歩き出す。だが、一歩目を踏み出したところで上半身だけを再びテネヴィスへと向けた。


「あぁそうだ。この世界は日が昇らない。ずっと夜のままだ。だから朝日で起きたければ自分でやるといい」


 闇を好む魔族に対しては冗談となる台詞をしたり顔で口にしたアールは再び歩みを進め部屋を後にした。一方でテネヴィスは呼び止める事すらせず、随分とすんなり彼の背中を見送った。


「行かせて宜しかったのですか?」

「お前も感じただろう。アイツは確実に魔族だ。それだけを証明し、力の全容は見せなかった。そうでなくても、もし戦闘になれば今の俺では勝ち目はないだろう。様子を見られるのなら今はそれがいい」


 そう言ってテネヴィスは立ち上がり窓際へ。


「奇妙な世界だ」


 薄っすらとガラスに映る自分越しに街を見下ろしながら一言、言葉を零す。同時に微かだが細められたその双眸は、どこか訝し気で世界の真理を見抜こうとしているようにも見えた。


「あの者が言っていた明日の件、如何致しましょう? やはり罠という可能性もありますし、私だけというのも」

「もし罠に嵌めるのが目的だとすれば、ここで仕掛ければいい。完全にアイツの存在すら把握出来ていないあの状況で不意を撃てばいいだけだ。それにもしアイツの言っている事が本当だとするなら、発見した際に殺せるはずだ」

「では罠の可能性はないと?」

「さぁな。だがどの道、現状ではアイツに抗う術はない。今は従うのみだ」


 そう言ってテネヴィスは自身の手へ視線を落とした。力無く開いた掌を少し眺めると確認するように強く握り締めた。


「承知いたしました。では、私はご夕食の用意をさせて頂きます」


 シャドリスは深々と頭を下げると浮遊するように静かな足取りでキッチンへ。それを背にただじっと闇を搔き分ける無数の光が灯る街を眺めていたテネヴィスは、微かに眉を顰めた。


 時刻は四時。テネヴィスとシャドリスはアールの言葉に従いネックレスのコインへ魔力を注ぎ込んだ。シャドリスの手の中で紫色の魔力を身に纏うコイン。だがすぐにコインは魔力を飲み干すと、人差し指を立てた手が現れた。それは一体どんな生物なのかと思うような手をしており、どこかをじっと指差している。

 それが一定方向を指している事を確認するとシャドリスはペンダントを首へ。


「では参りましょう」


 歩き出した二人はビル群の中を進み、目的地の分からない指先を目指した。人とも殆どすれ違わない静まり返った街へ響く二人の足音。シャドリスは万が一に備え警戒の網を周囲に張り巡らせながら道を間違わないよう歩みを進めていた。

 数十分後――そんな二人が到着したのは他より僅かに背伸びをしているビルの屋上。欄干に囲まれただけの何の変哲もないそこそこな広さの屋上だった。

 しかしアールの姿も無ければ何もない。


「ここか?」

「はい。この場所に着いた瞬間に反応も消えましたので間違いないかと」


 言葉通りシャドリスが見下ろしていたコインはただのネックレスへと戻っていた。

 しかしテネヴィスが再度辺りを見回してもやはり何も誰もいない。鼻で僅かな溜息を零しながら彼は欄干へと近づいた。そこから見下ろせば都会の街並み。だが少し顔を上げてみればそこには夜空に月より大きく浮かぶ巨大で異質な存在。


「時刻はあの男が言っていた通りです。遅れているのか、弄ばれただけという可能性も。どちらにせよこのような無礼……現れ次第私が」


 だがそんな声を右から左、テネヴィスは空の異常を見上げ有り余る謎について考えていた。以前とは違ったこの世界をどう征服すべきか。そして目の前に浮かぶ異様の正体。考えたところで答えへ辿り着けるような疑問ではなかったが、テネヴィスの頭はそれで埋め尽くされていた。


「本当だったのか……」


 すると無限ループのような思考が回る中、二人の後方からボソりそんな声が風に乗り聞こえた。


「テネヴィス様をお待たせするとは――」


 その声が聞えると穏やかな怒りの炎が灯った口調と共に振り返るシャドリス。


「っ! 何者だ!」


 だがそこにあったのはアールの姿ではなかった。テネヴィスはその叫ぶような声にゆっくりと体ごと振り返る。

 塔屋の上に立っていたのは、一人の青年。凛々しい容貌をしており、恰好は二人がこれまで街ですれ違った人々とは少し違った服装。そして後ろには一本の剣を背負っていた。

 そんな青年はシャドリスの声から幾拍かの間を空け、静かに剣を抜き始めた。


「俺の名はセウス・オフェル。邪悪な闇を切り裂く聖剣グラテュリードに選ばれし勇者だ」


 堂々とした口調の後、勇者はクルリと身軽に塔屋から跳び下りた。そして聖剣をテネヴィスへと突きつける。


「みんなを元の世界に戻す為にも――魔王、お前を倒す!」


 覚悟と決意の力強い声と共に聖剣を構えると、その熱き想いに応えたのかグラテュリードは光り輝き出した。それは暗雲を掻き分ける陽光のような闇を照らす聖なる光。そして段々とその煌めきが増していくと瞬く間に眩さを身に纏い、聖剣はその名に相応しい姿へ。

 そんな戦闘態勢の勇者を前にシャドリスは守る様に片手を伸ばした。


「テネヴィス様! お下がり下さい。ここは私が――」


 だがその瞬間。突如、シャドリスの足元から朱殷色の触手が数本地面を突き破り現れた。そして彼女が反応を見せるより先に両腕ごと体へ巻き付き、あっという間に自由を奪い去った。

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