4, 青と (2)

「あ、栞の高校じゃないか!」

「ほんとだ!」

 甲子園開会式当日。栞と肇は古書店の小さなテレビを囲っていた。

 学校旗を持つ主将の後ろをレギュラー選手たちが行進していく。その中の後方に、青瀬の姿があった。栞は椅子から立ち上がり、テレビの端に映り込む青瀬を指さした。

「これが青瀬だよ、おじい」

「へえ、レギュラーなのか! すごいねえ」

「レギュラーってやっぱりすごいことなの?」

「二年生でレギュラーになれる人ばかりではないからね。三年練習してきた先輩よりも実力がなきゃいけないだろう」

 青瀬は形の良い唇をキュッと結び、いつもとろんとしている目をキリリと吊り上げ、真っすぐに前を見据えて歩いている。教室にいる青瀬からは想像もできないほど真剣な表情だ。

「……本当に、真剣にやってるから、レギュラーになれるし、こんな顔になるんだね」

 カメラワークが切り替わり、次の学校が行進してくる。身を乗り出していた肇は、フーッと息を吐きながら背もたれに寄りかかった。

「確か一回戦は明日の第二試合だったね。今日は他の学校の試合を見て、ルールを覚えよう。私が教えるよ」

「ありがとう、おじい。お願いします!」



 試合が始まると、栞は、水筒に入れて持ってきた麦茶を飲むのを忘れるほど圧倒された。小さなテレビの中で繰り広げられる高校球児たちの戦いに。

 肇の解説により、それぞれの攻撃と守備はアウトが三つになると交代すること、その交代を九回繰り返すのが試合の基本だということはわかった。

 ピッチャーの投げる球の球種や、各ポジションの名前と役割、なぜ今のプレーがアウトなのか、なぜ今キャッチャーが二塁に送球したか、など、細かいことはすぐに覚えられなかった。

 それでも引き込まれずにはいられなかった。

 真夏の太陽がジリジリと痛いほど照り付ける中、ボールを投げ、打ち、追いかけ、つかむ、という行為一つ一つを全力で取り組む姿は、まるで物語のワンシーンのようだった。


「ーー七点差で九回表のツーアウトか。かわいそうだが、今の攻撃の方が負けるだろうな」

 肇はため息交じりにそう言うと、奥にある冷凍庫の方へ歩いて行き、スティックアイスを二本持って戻って来た。

「あとアウト一つで終わるから?」

 アイスの一つを栞に渡すと、肇はのっそりと椅子に座り直した。

「その通り。何より守備側のピッチャーの球種が多すぎて、ボールを選ぶのが難しいと思う」

 栞には少し難しい解説だが、もうすぐこの試合が終わってしまうことはわかった。

 攻撃をしている学校のベンチが映る。顔を赤くして涙をこらえている選手もいるが、喉がちぎれそうなほど声を出している選手もいる。その顔はまだ諦めているようには見えない。

 栞は両手を握り締め、「がんばれ」とつぶやいた。

 その時、カキンッと小気味よい金属音が鳴った。

 テレビの中に青い空と一滴の絵の具のような白球が映る。そのボールはグングン空を飛んでいき、観客席に落ちた。

 次の瞬間、小さなテレビの中から割れんばかりの歓声が起こった。肇も「よくやった!」と叫ぶ。

「えっ、な、なに、今の?」

「ホームランだ! 一点入るぞ!」

「えっ! すごい!」

 栞と肇は手を取り合い、その場で飛び跳ねて喜んだ。

「いやあ、この場面でホームランとは! 気持ち良いだろうなあ」

「見てるこっちも驚いたね! すごいな、もう終わっちゃうって時なのに」

「諦められないんだろうな、甲子園の舞台に立ち続けるってことを」


 その後、攻撃側の打線が突如火を噴いたが、三対七という結果に終わった。

 敗けた学校には泣いている選手もいたが、清々しい表情を浮かべる選手もいた。西日に照らされながら、互いに手を貸し合って、グラウンドを去って行く。

 ようやくルールを理解して観戦することができた栞も、この試合には泣かずにはいられなかった。

「……はあ、お疲れ様だね」

 カウンターの上のティッシュに手を伸ばして、涙で濡れた目元と鼻をぬぐった。

「粘りの野球を見せてもらって、こっちも元気になったね。感謝だ、感謝だ」

 肇もティッシュを三枚つかみ、ブーンッと鼻をかんだ。

「さて、栞。青瀬くんの試合を見る前に、ルールは覚えられたかな?」

「うん。とりあえずはわかるようになったと思う。ありがとね、おじい」

 肇はうれしそうに微笑みながら手を振った。

「栞と一緒に甲子園を見られる日が来るなんて思わなかったから、私の方こそありがとうだ。明日も楽しみだねえ」

「いよいよ青瀬の試合だもんね。心して観ないとっ。第二試合って、今日はお昼ごろからだったね」

「野球は毎回同じ時間に終わるわけじゃないからなあ。栞さえ大丈夫なら、第一試合から見た方が良いかもね。その方が第一試合が終わった時に、ベンチに入ってくる様子も見られるよ」

「そうなんだ! それなら、また朝から来るよ!」

 そう言ってから、栞はハッとしてカウンターの上に置いてあるカレンダーを手に取った。白枝古書店の定休日は水曜日と木曜日。しかし明日は月曜日だ。

「今日はお客さん来なかったから良かったけど、さすがに二日連続は迷惑じゃない?」

「うーん、確かに邪魔が入るのは嫌だねえ」

「いやいや、お客さんを邪魔呼ばわりはダメだよ、おじいっ」

 肇は口ひげを三回触ると、ニヤリと笑った。

 そして、引き出しから白い紙とセロハンテープを取り出し、筆ペンでサラサラと何かを書いた。

 肇は「本日臨時休業」と達筆な字で書かれた紙を天井高く掲げた。

「明日は臨時休業にしようっ」

「えー! いいの?」

「よく考えてみたら、この町の人はみんな明日の試合を見るだろうから、開けていてもお客は来ないだろうよ」

「……言われてみればそうだね」

 栞もニヤリと笑うと、肇は満足げにうなずいた。

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