第40話 喋る地蔵 1
「少し涼んでくる」
孝蔵が不躾に妻の芳江に告げるとサンダルを履いて玄関の戸を開けて出ていく。
樫馬神社から帰ったその日の夜、彼は酒で顔を赤くしながら昼間のことを考えていた。
有道が若い女を雇い、戦三郎が変貌して自分が頭を下げさせられるはめになる。
未だ彼には受け入れられない事実だ。特に戦三郎の変化が信じられなかった。
なにかに憑依されたとしか思えず、そうなると近くにいた透子のことが嫌でも頭にちらつく。
あの余所者の小娘が何かしたのではないかと思案して夜を迎えた。
(あの岩古島とかいう小娘、どうしてくれようか)
夜風に当たりながら孝蔵の中には透子に対する憤りが渦巻いている。
最初は取るに足らない存在だと思っていた。
災いの木に触らせてしまえば済むと思っていたが透子は生還してしまう。
それどころかなぜか自分が大怪我をするはめになってしまった。
当時はただの不幸だと思っていた孝蔵だが、今では透子が関係していると睨んでいる。
それから与一の父である与助を通じて、透子を人が消えることで有名な家に行くよう仕向けた。
過激なやり方だが孝蔵は最初からここまでやっていたわけではない。
ネット社会となった昨今、樫馬村に多数の心霊スポットがあるということで多くの若者がやってきた。
煩わしく思っていたものの、孝蔵はできるだけ彼らを迎え入れようと思っていた。
ところが若者達は家々の敷地に入って撮影をするなどの迷惑行為を始めてしまう。
孝蔵のところに村人達から多数の相談事が寄せられた。
注意をしても聞かず、ひどい時には逆切れさえされている。
孝蔵も穏便に済ませようとやんわりと声をかけたこともあった。
若者はそんな孝蔵の声に耳を傾けて一度は立ち去るものの、隙を見て撮影を始める。
心霊スポットですらない場所を陣取ってゴミを散らかして帰った者達もいた。
そんな若者達に業を煮やした孝蔵や村人達は次第に大声を上げて彼らを追い払うようになる。
農具を持って追いかけ回す者が出ると、今度はネット上に『村人が凶器を持って追いかけてくる村』とまで書かれてしまった。
孝蔵が大切に育てていた盆栽が破壊されて、その棚の上に若者が乗って撮影していた時は彼も農具を持ち出している。
警察に相談しても真面目に捜査などしてくれず、数年前に出した被害届さえ処理されていない。
そんな日々を送りながらも村に移住者がやってくるようになる。
最初の移住者は田舎暮らしに憧れたものの、村人達の干渉を煩わしく思って行事などには一切参加しない。
意見をすればこれだから田舎者は、などと口論になる。
そんな移住者が引っ越して少し経つとまた次の移住者がやってくる。
最初こそは村に協力的だったものの、段々と本性が出て横柄な態度になった者。
村特有のお裾分けばかり期待して野菜などをねだる者。
村内会費を滞納して、催促した村人に暴力を振るう者。
最後の移住者は若い男性だった。
とても熱心だったものの、村の古臭いやり方に口を出し始める。
村で行っている事業に対して、こんなものを続けても先がないなどと孝蔵と口論になってしまう。
男性は村を出ていったが、それから間もなくしてこのことが公になる。
男性が都合の悪い部分だけ伏せた情報をネット上に公開すると樫馬村は多くの批判を受けた。
村人の個人名を調べられてあることないことを書かれて、そのせいで悪戯にやってくる者さえ出始める始末だ。
――もう限界だ。
次の移住者が来たら災いの木に誘おう。
どうせろくでもない連中なのだから問題ないだろう。
孝蔵の正常な判断力など、当に失われていた。
「災いの木もダメ、人が消える家もダメ……あの小娘、何者なんだ。なぁお地蔵様、私はどうしたらいい?」
孝蔵は道端にひっそりと祭られている三つのお地蔵様に話しかけた。
古びていていつからそこにあるのか、孝蔵も知らない。
疲れ果てた孝蔵はお地蔵様に手を合わせて祈った。
「お地蔵様。どうかあの小娘をとっちめてやってください……」
藁にも縋る思いで孝蔵はひたすら呟く。
今はまだおとなしいが、そのうち本性を出す移住者に鉄槌を。
孝蔵は目をつぶってひたすらそう願う。
「……なのに」
目を閉じた孝蔵の耳に何かが聞こえる。
慌てて周囲を見渡したが当然誰もいない。
「なんだ、誰もいないじゃないか」
酒のせいで幻聴まで聞こえたかと考えて孝蔵は帰ることにした。
「足りナいよねェ」
「バカだねェ」
立ち去ろうとした孝蔵の背後から今度こそはっきりと声がした。
孝蔵が振り向くとやはりそこには誰もいない。
「だ、誰かいるのか!?」
「いるでショ」
孝蔵はアルコールが一気に抜ける感覚がした。
三つの地蔵が揺れている。
まるで井戸端会議でもするかのように地蔵は向かい合っていた。
「ひっ、ひいっ!」
すっかり酔いが冷めた孝蔵は足腰に力が入らなくなった。
地蔵達はゆっくりと孝蔵のほうを向く。
それぞれが左右に揺れつつ近づいてきた。
「信ジてないくセに」
「目つぶってブツブツ」
「食べ物くレたらいいヨ」
地蔵の石の表情が歪んでいた。
三日月状になった口元からは悪意しか感じられず、孝蔵は喉からかすれた声しか出ない。
這う這うの体で孝蔵はその場から逃れようとした。
「モット」
「祈レ」
「食べ物」
「捧げロ」
「祭リ」
「やレ」
地蔵が振り子のように大きく揺れ出すと、一斉に飛び上がった。
スタンプのように孝蔵の周囲に着地してまた飛ぶ。
圧し潰されたら無事では済まず、孝蔵はもはや正気を保てていない。
「あぁ、あ、あっ……わぁぁぁあーーーーーーーーー!」
孝蔵は絶叫と共に意識を失った。
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