第15話 ヴィンセント辺境伯領に伝わる話①

 窓の外に視線を向ける。眼下には、美しい庭が広がっていた。

 アイリス、サルビア、シャクヤク、ゼラニウム──薔薇だけでなく、ピンクや赤の華やかな花が咲いている。まるで、巷で流行っている恋物語に出てくる秘密の花園だ。


 花園で出会った二人は、お互い婚約者がいるから思いを打ち明けられず、だけど別れることも出来ずに逢瀬を重ねる。ちょっと危険な香りのする恋物語だったけど、あのお話ってよく考えたら、ジュリアン様の浮気みたいよね。

 本を読んでいた頃は幸せになってほしいって思ってたけど、実際された側としたらとんでもない話だわ。

 自分を重ねて苦笑をこぼしていると、カレンが私を呼んだ。

 

「アリスリーナ様、こちらの本は何ですか?」


 お茶の用意を終えたカレンが手にしたのは、一冊の古い本だった。昨日、フェリクス様にお借りしたものだ。

 本の表紙には薔薇の花とお姫様が描かれていて、中にも可愛らしい挿絵がある。


「子ども向けの童話ですか?」

「この地方の伝承を元にしているんですって」

「薔薇の魔女──魔女のお話ですか?」

「そうみたい。ほら、以前、フェリクス様がこの地方では聖女より魔女が歓迎されるって言ってたでしょ」


 それがどう言う意味なのか、改めて尋ねたら、これを読めば分かるといって貸して下さった。


「ここで生きていくのだから、知らないとと思って……カレン、一緒に読みましょう」


 カレンを誘ってみると、彼女の顔がぱっと明るくなった。すぐソファーの横を叩いて招くと、彼女はおずおずと座りながらも、興味津々な眼差しを絵本へ向けた。


「なんだか、幼い頃を思い出すわ。こうして一緒に絵本を読んだわよね」

「はい。お嬢様とご一緒する読書が楽しみでした」

「私もよ。二人でお姫様になる夢を見たり」

「悪い魔王をやっつけに行ったり」

「お菓子の国に行ったり……楽しかったわ」


 懐かしく思いながら、私たちは顔を見合わせる。そうして、幼かった頃を思い出しながら、私はページを捲った。


 ◆


 遠い遠い昔のお話です。

 豊かな森に恵まれたその地には、悪い領主がいました。

 強い騎士団を持っていた領主はワガママばかり。領民が食べ物に困っていても気にもせず、贅沢な暮らしを続けていました。

 剣を持たない領民はどうすることも出来ず、明日が来ることを祈る日々が続きました。


 ある日のことです。

 今にも雨が降りだしそうな空をした夕方、領主の屋敷を、薔薇の花のように美しいお姫様が訪れました。


 お姫様一行は、一晩泊めてほしいと願いました。しかし、意地悪な領主は、突然来て何を言うと怒って、お姫様を追い返してしまいました。

 困ったお姫様一行に、ある若者が声をかけました。


「一晩休む場所と馬の世話でしたら出来ます。ですが、領主様のお屋敷のように綺麗な寝床や、豪華な食事はありません」


 申し訳なさそうな若者に、お姫様はとても感謝をしました。

 心ばかりのパンと果物でもてなされ、泣きながらささやかな食事を口にしたお姫様は、翌日、必ず恩を返しますと言い残して去っていきました。


 このことを知った領主は激怒しました。この土地のものは全て自分のものなのに、本当にお姫様か分からない者に施しをするなどあってはならないと言うのです。

 お姫様を家に泊めた若者は領主の屋敷に呼び出され、酷い仕打ちを受け、森の奥に打ち捨てられました。


「わしのいうことを聞かない者など、魔物の餌になってしまえば良い」


 心無い領主の仕打ちを知った領民たちは、優しい若者が帰ってくることはないだろうと、涙を流しました。


 月日が流れたある満月の晩。

 森から魔物の遠吠えが聞こえてきました。森から出てくるのではないかと、不安に思った人々は家の扉を固く閉ざしました。


 夜が深まり、幼子たちが寝付いた頃です。風もないのに家の窓がガタガタと揺れました。

 ざっざっと聞きなれない足音が向かってきます。

 魔物が森から出てきたのでしょう。しかし、領民たちはどうすることも出来ず、息をひそめてそれが通りすぎるのを祈っていました。


 足音が止まったのは、心優しい若者の家でした。中では、息子を失って一人となった母が、悲しみと恐怖で震えています。


 コンコン──

 ドアが叩かれ、しばらくすると「夜分に失礼いたします」と可憐な声が響きました。その声に聞き覚えがあった母は恐る恐るドアに近づきます。すると、再び声がしました。


「私は、先日お世話になった者でございます」


 可憐な声は、お姫様のものでした。

 魔物がいるかもしれない夜に、なんて危険なのでしょう。心配した母は慌ててドアを開けました。

 すると、何という奇跡でしょうか。ドアの先には、死んだと思っていた若者が立っているではありませんか。


「お前、死んだんじゃ……魔物の餌にしたって、領主様が」

「薔薇姫様が助けて下さったんだ」

「……薔薇姫様?」


 母に駆け寄った若者が振り返った先には、月夜に浮かび上がる白いドレス姿のお姫様がいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る