魔女の烙印を捺されたら魔王(仮)に溺愛されました

日埜和なこ

第1話 裏切り現場は突然に

 貴族にとって結婚とは家同士の契約でしかない。令嬢は、より良い家格の貴族と繋がることで家の利益を生む。そのために、幼い頃から淑女教育が行われるのは当然のこと。


 私──アリスリーナ・レドモンドも、物心ついた頃から語学、歴史、算術、天文学、音楽、魔法学、ダンスにマナー、ありとあらゆる教育を受けてきた。

 それもこれも、宰相であられるヴェスパー侯爵様のご子息ジュリアン様に相応しい淑女となるためだった。

 

 将来、立派な宰相夫人となり、ジュリアン様を支えたい。その一心で学び、王立貴族院での成績は常に優秀、偉ぶることなく品行方正であることを心掛けた。


 そんな私に恋心があったのかは分からない。


 そもそも、恋だ何だという余裕もなく十七年間生きてきた。ジュリアン様と結ばれたら、きっと、何かが変わるのだと信じて。

 だというのに、これはどういう事だろうか。


「ポーラ、僕は決めたよ。必ず君と結婚する」

 

 私の婚約者であるジュリアン様は陶酔しきった表情で、傍らにはべらせた少女のふわふわした金髪を撫でている。


 彼女は確か、ポーラ・ミラー。ミラー子爵の次女で、スタンレー伯爵のご子息と婚姻を結んでいたはずだけど。──どうしてジュリアン様の首に両手を回し、今にも唇が触れそうなほど顔を近づけているのかしら?

 

 ここは学院内の植物園。魔法薬学に使う貴重な植物を育てていることもあって、立ち入るには先生の許可が必要な場所のはずよ。勿論、それ相応の理由がなければ許可が下りない。

 私は、講義で使う植物の観察と水やりの当番で、ここを訪れたのだけど。


 彼らはここで何をしているの?

 

 大きな葉を茂らせる鉢植えの陰で息をひそめた私は、バクバクと早鐘を打つ胸元をぎゅっと握りしめた。


 ジュリアン様が甘い笑みを浮かべる。

 私には一度も見せたことのない笑みに、息が止まりそうになった。

 いつも涼やかな目で、私とお茶を飲んでいたジュリアン様の姿がちらつく。冷静沈着で生真面目な方なんだとばかり思っていたけど……も出来るんですね。


 胸の締め付けがいっそう強くなる中、大きな葉を揺らさないよう息をひそめた。

 ここにいることに気づかれちゃダメ。ダメだけど……二人の会話を聞き続けるのは苦しすぎる。


「僕が愛するのは君だけだ」

「嬉しいです、ジュリアン様! でも、アリスリーナ様がおゆるしになるとは思えません」

「何を言うか! 僕は宰相の息子だ。に有無など言わせやしないよ」

「ああ、なんて心強いお言葉」

「そもそも、僕は初めからアリスリーナが気に入らなかったんだ」

 

 甘いマスクが氷のように冷ややかなものとなり、棘のある言葉が私の胸に突き刺さった。

 頭の中が真っ白になる。

 ジュリアン様は今、何て言ったの。私が、気に入らなかった──?


「あいつは誰にでも笑ってゴマをする。それもこれもヴェスパー家の財産目当てだろう。どこまでも卑しい伯爵家の娘だ」

「そんなことを言ってはいけませんわ、ジュリアン様。アリスリーナ様は、お家のために一生懸命なだけなんですから」

「それが気に入らないんだ! 僕を全く見てやしない。あいつは、僕と結婚したいんじゃない。ヴェスパー家と結婚したいだけだ。それに比べて、ポーラは僕だけを見てくれる」


 何を言っているのか全く分からない。

 私がジュリアン様に、何か酷いことをしたのでしょうか。貴方様を立て、より良い夫人となるために日々学んできたと言うのに。これはあまりにも酷い。

 

 ジュリアン様はポーラの瞳を見つめると、まるで蜂蜜かケーキの生クリームのように表情を蕩けさせた。


 私には一度だって見せてくれなかった甘ったるい微笑みが、ポーラに近づく。その薄い唇が、ふっくらとした彼女の唇に寄せられ、ちゅっと小さなリップ音が響いた。

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