第11話 慢心

 本来、『やりなおし』というものは妙手みょうしゅとは言えない。荀罃じゅんおうは己もふくろうとなって粘る方法はあった。しかし、駒の配置などから分が悪いと、早々にドローを目指した。

「落ちぬ砦を性懲りも無く攻める青二才かと思えば、守りを考え生き延びる。若者が優秀なのは良い」

 楚王そおうが『ふりだし』から駒を二つ進めつつ言う。本気で褒めているようであった。集中し真面目にがんばっているのは良い心がけだ、とはやはり教導でもしているつもりなのか。荀罃は不快を隠さず、サイコロを振った。駒は双方、楚王を越えてマスを進めていく。ひとまず荀罃は息をついた。初手から奪われてはどうしようもない。

「その程度で有利になったと思っている?」

 楚王が覗き込みながら笑った。荀罃は安堵した己が恥ずかしくなり、からかってくる楚王にも腹立たしくなる。

「始まったばかりです。有利不利、いまだ見えぬ局面です」

 どこか慇懃無礼さを感じさせる声音で、荀罃は返した。楚王が鼻をならし、嘲弄の顔を見せた。荀罃は少しだけ瞬きしたあと、楚王の出目を見ながら、己に余裕が出てきたことに気づいた。

 ふっと、心のどこかが溶けかけた雪のように崩れる。この楚王。けいの方々が恐れ、しんを大敗させた王と己は対等に渡り合っている。自分はなかなかにできるではないか。王といっても、所詮南蛮の首長にすぎない。怖れるほどでもない――。

「お前の番だ」

 楚王がサイコロを渡してきた。荀罃は受け取りながら、楚王の目を見る。猛々しい虎を思い起こすその瞳にはがあった。荀罃は指先を振るわせながら、サイコロを受け取り、碗を見る。この碗に転がるさいの目が、荀罃の来し方を示すことを思い出す。

 冷たい汗がぶわりと、全身から流れる心地であった。己はあろうことか、遊戯ていどで慢心していたのである。運だけで左右されるサイコロの出目。楚王の強運。捕縛された不運を背負った荀罃。そういったことを忘れ、たかだか楚王の油断をついただけで、己の才を誇った。

 腹の肉がぶよぶよになったような弛緩があった。荀罃は、サイコロをかまえながらぐっと碗を睨み付け集中と緊張を思い出す。全ての出目に意味があり、駒は己の手足そのもの。賽の目に命を賭けるのであれば、爪の先、髪の一本に到るまで神経を張り巡らせろ。

 荀罃の背、腹が引き締まるように筋肉が動く。楚王にとって遊戯であるが、荀罃にとっては戦場であり託宣たくせんである。虎が気まぐれに弄んでいる羊が己である。その爪と牙から逃れるために、全てに注視し、模索しろ。

 ちりんちりりん。ちりんちりりん。

 ふたつの出目に合わせ、荀罃は駒を動かした。

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