第10話

放課後になった。

 俺と二重丸は真里亜が待っているレッスンスタジオ52に向かっていた。現在、もれなく迷子中。レッスンスタジオの作りがどこも一緒でまず迷う。それに校舎自体が大きすぎてまだ完璧にどこに何の教室やスタジオがあるか把握出来ていない。

 ようやく、レッスンスタジオ52が見えた。

 レッスンスタジオ52では、ジャージ姿の真里亜がマットをベットにして、大の字になって寝ている。

「あれ、真里亜ちゃん寝てる?」

「うーん。あれは寝てるな。着いたら謝らないと」

「うん。そうだね」

 俺と二重丸は全速力でレッスンスタジオ52へ向かった。

 レッスンスタジオに入って、俺はジャンピング土下座をした。二重丸も俺と同じ事を考えていたのかシンクロするようにジャンピング土下座をした。

「迷いました。遅れてすいません」

「僕もそうです。すいません」

 ……返事がない。全くと言って返事がない。

「あれ、返事がないね」

「俺、起きてるか確かめるわ」

 俺は立ち上がり、真里亜の顔を見た。

「……爆睡している」

 真里亜はよだれを垂らしながら、幸せそうに寝ていた。……どうやって、起こそう。

「おい、真里亜。ごめん、遅れて」

 俺は真里亜の肩を揺すった。真里亜は全く動かない。

「ごめん。真里亜、起きてくれ」

「うーん、抱き枕」

 真里亜は俺を抱き締めてきた。

「ちょいちょい」

 俺はバランスを取れなくなり、真里亜に覆いかぶさる状態になってしまった。おい、これはかなりヤバイ状態だ。これを誰かに見られたらヤバイ。て言うか、まず二重丸に見られている。

「に、二重丸助けてくれ」

「スマホ、スマホ」

 二重丸はズボンのポケットから、スマホを取り出そうとしている。

「何してるんだよ。助けてくれよ」

「え、写真か動画を撮ろうと思って」

「何でだよ」

「……うーん、ノリかな」

「ノリでそんな事するな。早く助けてくれ」

「そ、そうだよね。ごめん」

 二重丸は立ち上がった。

 俺の方へ向かおうとしたが動きが止まった。

「ど、どうしたんだ。おい」

「あ、足が痺れた」

「う、噓だろ。おい」 

 なんで痺れるんだ。正座とかだったら分かるがただ立ち上がっただけだぞ。

「ごめん。頑張って」

 二重丸は俺に向かって、サムズアップをした。これ程情けないサムズアップを俺は見た事がない。

「あー真里亜、起きてくれ」

「何、クマさん。チューしてほしいの?」

 真里亜は俺の顔を両手で掴み、キスをしようとしてくる。

 万事休す。色々とヤバイ。助けてくれ。神様。おい。助けてくれよ。神様。

「真里亜。俺だよ。龍虎っち」

 自分で龍虎っちって言うのは恥ずかしい。かなり恥ずかしい。でも、そうな事言っている状況じゃない。

 真里亜はいきなり目を全開した。

「私の唇奪いに来たの?」

「アホか。お前を起こそうとしたら、こうなったんだよ。色々ごめん」

「……うん。え、顔近い」

 真里亜は顔を赤くして、ちょっと横を向いた。

「あ、ごめん。それだったら、手を離してくれないかな」

「う、うん」

 真里亜は俺の顔から手を離そうとした。しかし、動きを止めた。

「お、おい。どうしたんだよ」

「……このまま、チューしちゃう?」

 真里亜は俺にだけ聞こえるように囁いた。

「馬鹿。二重丸が居るんだぞ」

「……二人だけだったらしてるんだ」

「馬鹿野郎。まだ寝ぼけてるだろ」

「冗談。ちょっと、おちょくっただけ。焦ってる顔最高あるよ」

 真里亜は俺の顔から、手を離した。

 俺は急いで、真里亜から離れた。……どう言う事だったんだ、今のは。……寝ぼけてただけだよな。そうだ、そうしかない。ヤバイ、心臓の鼓動がかなり早い。

「ど、どったの。丸丸ちゃん」

 真里亜は何もなかったかのように普段と同じテンションで、二重丸に訊ねた。

「あ、足が痺れてる。痛すぎて、涙が出て前が見えないんだ」

 二重丸は立ち上がった姿勢のまま、涙を流していた。

「何それ。変なの」

 真里亜は俺に向かって、ニコッと笑った。

 ……何を考えているか分からない。ただ、今さっきの出来事でドキッとしたのは事実だ。じょ、女優って怖い。まぁ、冗談だ。真里亜だから冗談に違いない。

「ごめんね。遅刻して」

 二重丸は泣きながら言った。

「あ、俺も遅刻して悪かった」

「……うん。別にいいよ。でも、今度何か奢ってね」

「うん、奢るよ」

「俺も奢らせてもらいます」

「あんがと。じゃあ、丸丸ちゃんの足の痺れが取れたらレッスンスタートでごわす」

「あ、ありがとう。真里亜ちゃん」

「わかった」

 俺と真里亜は二重丸の足の痺れが止まるのを待った。

 ――5分が経った。

「痺れは完全に取れたから大丈夫だよ」

 二重丸は両手をグーにして突き出した。それは野球選手と監督がやるやつだろ。使用用途を間違っている気がする。

「よし、それじゃ。レッスンを始めようと思います。二人とも拍手」

 真里亜は言った。

 俺と二重丸は仕方なく拍手をした。

「で、何を教えたらいいの?」

「……あれだよ。感情解放」

「あーそれね。まぁ、日頃の鍛錬って言えばそうなんだけど。一回、感情を思いっきり出してみるの。恥ずかしがらずに」

「……思いっきり出すだけか?」

「簡単に思ってる貴方、間違い。最初はナイトメアよ」

「……かなり難しいって事だな」

「そう言う事。でも、一回出せばきっと出るようになるはず」

「……殻を破るって事だな」

「しょうゆ事」

「……そっか」

「はい。質問、質問」

 二重丸は手を上げて、言った。

「どうしたの?丸丸君」

「自分の感情を上手く扱えるようになってもさ。役を演じてる時はどうするの?」

「……うーん。それは難しい質問あるね。役を理解して感情を当てはめたりするとか色々方法はあるの。それにね、舞台とか映像とでちょっと感情の引き出し方が変わってくるの」

「え?同じお芝居なのに?」

「うん。硬式野球と軟式野球ぐらい違う」

「……え、意味わかんない」

「舞台はね、演じる役の感情を積み上げていけるの。でも、映像とかはいきなり終盤のシーンを撮ったりするから、その場その場で感情を出さないといけないの」

「……あ、なんとなくわかった」

 二重丸は理解したようだ。

 俺も今の説明でなんとなくだが理解した。

「だから、まずは感情を自分の思い通りに引き出せるようにしないとね。だから、はい。シャーペン。これを見て、泣いて」

 真里亜はジャージのズボンのポケットから、シャーペンを取り出して、俺達の前に置いた。

「こ、これか」

「……授業だね」

「じゃあ、スタート」

 俺と二重丸はシャーペンを見つめ始めた。

 ……涙よ、出て来い。涙よ、出ろ。……出ない。出てください。全くでない。ただ、目が乾燥するだけだ。

「出ないよ」

 二重丸は嘆いた。

「……俺も」

「じゃあね。このシャーペンが大事な人からもらったもので。それを自分の失敗で壊してしまったと考えてみて」

「……わかった」

「僕もやってみる」

 ……真里亜に言われたとおり想像してみる。どんどんと頭の中に悲しい物語が浮かんで来る。すると、自分も自然と辛くなっているのが分かる。

「二人ともいい感じ。もっと、集中して」

 真里亜は言った。

 俺はもっと物語を考える。すると、突然。胸が熱くなり、目が濡れてきた。

 ポロッと、瞼から涙が頬にこぼれた。

「……涙が出た」

「龍虎っち、出来た」

「あ、僕もほら」

 俺は二重丸の顔を見た。俺と同様、涙がこぼれていた。

「丸丸ちゃんも成功」

「やったな。二重丸」

 俺は二重丸の肩を叩いた。

「うん。虎ちゃん」

 二重丸はとても嬉しいそうに微笑んだ。

「二人ともよくできました。徐々に出せていけるように頑張ろうね」

「ありがとう。真里亜」

「ありがとうね。真里亜ちゃん」

「どういたしまして。え、へん」

 真里亜は得意げな表情をして、言った。

 ……ようやく、一つ前進出来たみたいだ。でも、まだまだだ。真里亜には追いつけない。もっと、頑張らないと。

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