エピローグ~①

 世の中、一瞬先は闇。人の生活など、外的な要因で簡単に一変する。尊が経験したのはまさしくそうした事例の一つだ。

 交通事故で亡くなる者、自然災害で家が潰れまたは流され失った者達もそうだろう。そんなニュースはよく目にする為、そう思うと珍しいことでない。日々どこかで当たり前に、そうした事態が起こっているのだと分かる。

 けれども多くの人は、まさか自分の身に降りかかるなんて真剣に考えず、どこか他人事と捉えているに過ぎない。しかし違うのだ。人はそうした経験や事例を知り、想像しなければならない。その上でどのように生きればいいかを、日々考えておくべきなのだろう。

 夏が終わりに近づき米の収穫時期を迎えた頃、尊は命を失ってからそろそろ二年が経とうとしていた。ボカーソウルとして世間に現れる期限が切れる頃だ。何故世界中で出現率は五割程度なのか不思議だったが、その立場になってようやく理解した。今の尊のような者もいるからなのだろう。

 ただ期限が過ぎればそのまま消えるのか、それともこの世に漂い続けるのかはまだ分からない。出来れば尊はもう今の状態から、早く解放されたいと思っていた。

何故なら唯一心配していた志穂は新しい環境と生活に慣れ始め、徐々に笑顔を見せる時間が増えていたからだ。

 周囲はまだまだ高齢者が多かったけれど、有機農業に興味を持ち移住してくる人達も少しずつ増えていた。そうなると四十九歳になる志穂や五十二歳の剛志などは、集団の中でも中堅クラスに当たる。よって上と下を繋ぐ重要な役割を果たしていた。

 義父が築いてきた夏目家への信頼を、剛志や彼女が継いでいた。またその影響もあったのか、剛志に思いを寄せる若い独身女性が現れていた。どうやら遅い春がようやく訪れたようだ。

 その上志穂に思いを寄せる男性までいた。しかも一人や二人ではない。やはり其れなりの年齢とはいえ、外見の良さはそう衰えていなかったからだろう。田舎での生活に慣れ、その人柄や頭脳明晰なことも知られるようになり、求婚しようと狙う独身男性が何人も現れたのだ。

 当初は亡くなった尊の存在を意識し、近寄り難かったと思われる。また彼女自身もそんな恋愛感情など持とうとせず、哀しみを乗り越え日々の暮らしに没頭していたのだと思う。

 けれど時が経ち、少しずつそうした目に見えない障壁は薄れていったらしい。それに男性からもてはやされ続ければ、彼女だって悪い気はしなかったはずだ。尊は複雑な思いを抱きながらも、志穂が幸せになってくれるのなら、と見守り続けて来た。

 そうした中で、この人なら彼女を幸せにしてくれるのではないかと思える男性が一人いた。志穂もどうやら満更ではないらしく、彼に悪い感情は持ってなさそうだった。

 まだ二人がどうなるかははっきりしない。しかしもし二年の期限が経過し、浮遊霊の身から解放されても良いと思い始めていた。

 そんな時だった。普段は法人設立の際に借りた、空き家を改造した事務所の一室で志穂は籠っている。しかし剛志が農作業で忙しい時などは、たまに目が届かない田畑の様子を見に行くよう頼まれることがあった。

 どうやらそこを狙われたらしい。これまで姿を消していた里浜奈々が、突然志穂の前に姿を現したのである。しかも一人きりで周囲に誰もおらず声を出しても聞こえない、奥まった場所だ。それだけでなく手には収穫で使う特殊な鎌を持っていた。

 志穂は一見した時点で、里浜だと気付かなかったのだろう。少し頭のおかしな人が表れたかと思ったらしい。けれど声をかけられ、話を聞く内にようやく理解したようだ。

「あんたのせいよ。あんたが芝元さんを不幸にしたんだ。私や娘が悪いんじゃない。いい奥さんの振りをして、時間が経ったらもう新しい男を捕まえていやがる」

 ずっと志穂の周辺を探っていたと思われる。こんな田舎で良く誰にも怪しまれず、潜んでいられたものだ。尊も全く気付かなかった。けれど良く説明を聞けば、収穫の繁忙期に会社で臨時のアルバイトを集め雇った集団に、彼女は紛れていたと分かった。

 顔も整形とまではいかないまでも、以前のように痩せていた体型は見る影もなくぽっちゃりとした容姿に変わっており、また日焼けで顔が黒くなっていた為、彼女だと見抜けなかったに違いない。

 採用時に渡された履歴書も偽名を使ったのだろう。本人確認の証明書提出まで義務付けていなかった点が災いしたようだ。短期間でしかも決して楽ではない作業を手伝って貰う立場から言えば、余り細かいチエックは躊躇われる。また他の地域における多くの農家がそうしていたからでもあった。

 彼女の目が血走っていた為、命の危険を察した志穂は逃げようと思ったのだろうが、恐怖で足がすくみ動けない様子だった。しかも相手は和喜田を実際に殺しかけた人物だ。単なる脅しでは済まないだろう。

 それでも志穂は気丈に振る舞い、問い返した。

「里浜さんですよね。娘さんの判決が出る前に失踪したと聞きましたが、今までどこに隠れていたのですか。姿を消した目的は、私の命を狙う為だったのですか」

 しかし彼女は首を横に振った。

「違う。単にあの子の前から消えた方がいいと考えただけ。それにマスコミから追われるのもうんざり。母もいないし、愛花も成人していたので一人になってもいいと思ったのよ」

「それだったら、どうしてそんなものを持って私を殺そうとするのですか。私に何の恨みがあるというのですか」

「一番恨んでいるのはあなたじゃない」

「だったらどうして」

 意外な答えに戸惑いつつ尋ねた志穂の言葉を聞き、彼女は俯いた。

「一番悪いのは私。芝元さんが現れて、色んな不満を解消してくれた。精神的に追い詰められていた時だったから、あの人の助けがなければ私はとっくに死んでいたかもしれない。だから彼が神様に見えたの。それは本当。大げさじゃないの」

 里浜の目は遠くを眺めているような、それでいて現実ではない世界を見ている様子だった。そこに危ない雰囲気が漂っている。

 下手に刺激を与えないようにと思ったのか、志穂は優しく促した。

「尊さんをそう言ってくれるのは有難いけれど、だったら何故あなたが悪いの」

「愛花が言ったように、私は悪い夢を見ていた。もし彼が独身だったらと考えずにはいられなかった。でも現実にはあなたという奥さんがいた。高学歴の高収入で性格もいい彼を夫にし、子供もいなければ面倒を看ている親もいない。羨ましかったのよ。世の中不公平だと思った。私だって最初は良い人と結婚できたと思ったわよ。でも子供が出来てから、急に態度が変わって暴力を振るうようになった。丁度その頃会社で嫌な思いをしていたからだったと後で知ったけど、私達には関係ない」

「娘さんも殴られていたようね。だから離婚したと聞きました」

「そうよ。父に助けて貰い、なんとか実家に戻った。だけどその父も突然亡くなり、母まで厄介な病気にかかった。私は一人で働き、何でもしなければならなくなったのよ。専業主婦でのほほんとしているあんたと違ってね」

 その言い草に気分を害したのだろう。志穂はやや顔を引き攣らせ、尖った声を出した。

「娘さんが警察や裁判の際にも言っていたのを聞きましたが、夜中私達の住むマンションに来ていたようですね。それはいつか私を殺して、尊さんと一緒になろうと思っていたからですか」

「それは違う。あなたがいなくなれば、あの人と結婚できる可能性があると少しは思ったわよ。でも現実はそう簡単にいくはずがない。だから悔しかった。だから羨むしかなかったの。あなたの家に行ったのは、そういう奇跡が起こらないか願っただけ。突然火事や地震が起きて、あなただけが死なないかってね。でも愛花に注意された時、目が覚めたの」

「でも愛花さんはあなたの妄想がその後も止まらなかったと証言しています。だから大変なことをしでかす前に、尊さんを殺してしまえばいいと思ったとも言っています。それは違うのですか」

「違う。ただ諦めきれなくて、時々妄想していたのは確かよ。でもそれ位はいいでしょう。夢を見たっていいじゃない。だけどそのせいで愛花に勘違いをさせてしまった。それで芝元さんを刺してしまったのだから、一番悪いのは私」

 彼女の言葉が本当なら、娘に尊を刺すよう仕向けたという警察の推測は誤っていたと言える。ただ真実を語っているかは判断がつかない。まだ手に鎌を持ったまま、目は時折うつろになりつつ、暗く光って見える時もあったからだ。

「だったら何故、今頃になって私を殺そうとするの。もう尊さんはいないのよ」

「そう、芝元さんは愛花が刺し殺してしまった。そのせいで私達の人生は狂った。アリバイがあるのに疑われ、和喜田支社長が犯人だと思い込んで襲って逮捕されたことまではまだいい。でも母と無理心中しようと思うほど、愛花を追いつめてしまった。それで母は死に、愛花と私だけが残った。だったら私が母と無理心中して死ねばよかった。そうすれば愛花は逮捕されずに済んだかもしれない」

 彼女は間違っている。それに一体何を言いたいのだろう。尊同様、志穂も感じたに違いない。それでも刺激しないよう、やんわりと尋ねていた。

「あなたは尊さんを殺そうとは考えていなかった。そうよね」

「もちろんよ。だけど愛花が事件を起こしたせいで、和喜田支社長や宇山さんまでが死んだ。野城さんも逮捕されて人生が狂わされた。私達や彼らだけじゃなく、その家族の人生まで滅茶苦茶にしたのよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る