第8話 面倒見のいい少年たち
人並みの生活を送るようになって、今世には聖女がいないということがわかった。
なぜか神官だけが、「歴史の案内人」という役割で残っている。
白防壁が築かれた時期も曖昧だ。
サヴァス様によれば、白防壁完成後、定期的に感謝祭が開催されていた記録が残っているものの、五百年目の大祭の記録を最後に、以後の記録は残っていないらしい。
その五百年目の大祭から今日まで、どれくらいの年月が経ったのかさえ、今となってはわからないという。
白防壁があることが、それだけ当たり前のものになったということなら、喜んでいいのかもしれない。
『マグデレネ様。西方のニカイアで魔物が増殖しているとの報告がございました。急ぎ浄化をお願いいたします』
『討伐隊が戻りましてございます。癒しと労いのお言葉を賜りたく――』
十一歳で聖女となり、王城での淑女教育は中断され、私は神殿に預けられた。
十三歳で大聖女と言われるようになり、請われるがまま聖なる力を発揮した。
今思えば働き詰めの毎日だった。同じ年頃の子と話すことなど、ほとんどなかった。
「おい、イリアス! またボーッとしやがって。なんでジャガイモの皮を剥きながら固まってんだよっ」
……だから。
「さっきは水瓶を覗き込みながら固まっていましたね。働く気がないということは食事も必要としないということですかね」
こんな風にベネディクトやデメトーリに叱られることさえ、すごく楽しい。
「……お前。掃除も洗濯も料理も一通り出来るとか言ってたくせに。ほんっと、時間がかかり過ぎて使えねー」
「私たちとは『出来る』の定義が違うのでしょうね。まずはベネディクトと同じことを同じように出来るようになってもらわないといけませんね」
二人にじっとりとした視線を向けられるのも、なんだかこそばゆいけれど嫌じゃない。むしろ楽しい。
「……出たよ。その気持ち悪い顔。なんなんだよ、その反応」
ベネディクトによれば、私が楽しいと思った時、決まって気持ち悪い顔をするらしい。
それってどんな顔なのかしら……?
そういえば、前世も今世も、私はこんな風に普通に暮らしたことがない。
普通って楽しい。ものすごく楽しい!
「ごめんなさい。たまに色々と思い出しちゃって。あはは。自分でも気をつけるけど、気がついたら教えてね」
「はぁん? 教える? オレはブチギレてんだぞっ」
「なんですかそれ。寝言ですか? どの仕事も満足に出来ないのに、手を休めて寝言ですか?」
ベネディクトは目を見開いたり釣り上げたりと表情が豊かで可愛い。
対してデメトーリは、いつもの平坦な口調でピシャリと言い放つところが、慣れてくると愛らしく感じる。
「だからその顔やめろってー!」
「最近は随分と行動範囲が広がったようですが、問題はありませんか? くどいようですが、規制区域に入ってはなりませんよ」
サヴァス様の言う問題なら、カツラのお陰で怖い思いはしていない。
小神殿に訪れる観光客も、町の人も――もしかしたら、あの日追い立ててきた人かもしれないけれど――、私に対して、ベネディクトやデメトーリと同じように接してくれる。
「はい。毎日、楽しいことばかりで問題などありません」
「そうですか。それはよかった」
「いや、お前は問題だらけだろうがっ。人並みに仕事は出来ないし、時々おかしな顔をして固まっているし」
「おや、そうでしたか。でもベネディクトがそんな風に気をつけていてくれるから安心ですね。ねえ、イリアス?」
「はいっ!」
少し元気よく返事をし過ぎたかもしれない。
ベネディクトは私の顔を見て、頬を真っ赤に染めた。
褒められて顔を真っ赤にするなんて、ベネディクトは私と同じ十三歳にしては少し幼い感じがする。
ふふふ。
「な、何が可笑しいんだよっ。だいたい、デメトーリの方がオレの倍は叱っているだろう!」
「あははは。二人とも昔から本当に面倒見がいいですからね。私は安心して神官の仕事ができます。感謝していますよ」
デメトーリは真正面から感謝されるのは苦手らしい。なぜか眉を寄せて私を睨んだ。
「あなたのせいですからね」と、文句を言われているみたいで返事に詰まる。
「私は別に――。次にどう手を動かすべきか、仕事の手順を説明しているだけなのですが? これまでだって覚えの悪い子はいましたからね。手がかかるからと放逐する訳にはいかないでしょう? サヴァス様が面倒を見ると決められたのですから」
あははは。デメトーリってば、辛辣だわ。
でもそれは口先だけだということを知っている。
私が手を止めていると、デメトーリは「次は薪運びをするのでは?」などと声をかけてくれて、その後も、「そこはこうやるのです」と見本を見せてくれたりもする。
基本的に私に対しては知らんぷりの彼だけど、私がもたついていると、「たまたま通りがかっただけですから」とか、「目に入ったからには見なかったフリはできないでしょう?」などと言いつつ、手助けをしてくれる。
いったい誰に対する言い訳なんだか――。
とにかく、デメトーリはとても優しい人なのだ。
楽しい。嬉しい。
この人たちに出会って一緒に暮らすことで、私は今まで感じたことのない気持ちを知ることができた。
ここでの毎日は、私の知っていた「楽しい」とも「嬉しい」とも違う、特別な「楽しさ」と「嬉しさ」でいっぱいだ。
「……それで。お前は将来何になるんだ?」
食器を洗っていると、唐突にベネディクトに聞かれた。
「しょうらいなにになる?」
思わずおうむ返しをしてしまった。いきなり将来のことを聞かれても困る。
「お前、馬鹿なのか? 言っている意味がわかんないのか?」
意味はわかる。でも――。
イリアスとしての人生は、その日を生きることで精一杯で、その先のことなど考えたことがなかった。
漆黒の闇のような黒い髪と黒い瞳。
魔物の王はそんな姿をしていると、人々は聞かされて育つ。
この国にも稀に黒髪と黒瞳の子どもが生まれる。それは前世でも同じだった。
違うのは――今世では、生まれた赤子を「呪われている」と蔑み、母親に見せることなく家族が処分してしまうことだ。
だから今世に黒髪黒瞳の子どもはいない。
私の両親は、私の姿を見ても私を捨てなかった。それどころか――。
「なあっ! おいってば!」
ベネディクトに肩をつかまれてハッとして彼の顔を見ると、なぜだか彼の方が、「うわっ」と驚いて飛び退いた。
……え? なんで?
まあでも。こんな風にしょっちゅう昔に思いを馳せるのは、いい加減やめにしなきゃね。
「お、オレは騎士になって、戦って勝って、ものすごい歓声の中を凱旋するんだ!」
ん? 威張りたいのかな? それともチヤホヤされたいだけ?
どっちにしても子どもっぽい。ふふふ。
「ったく。またその顔かよ。お前はないのかよ。目標とか目的とかさ」
……目標か。
せめて昔の何百分の一でも力が使えれば、役に立てるのだけど。
大聖女だったことを思い出して、手のひらを上に向けて力を放出しようとしたけれど――。駄目だった。
記憶が戻ってから何度も同じことをしている。一度も出来たことがないのに。
戻ったのは記憶だけで、私に聖女としての力はなかった。
聖女がいないこの世界では、それが当たり前なのかもしれない。
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