第10話 遠くへ
ハルを見送った後、僕たちはレオーン家の屋敷に戻ってきました。シーナが頼んで、一日だけの滞在させてもらえるようです。一日で体勢を立て直し、次の日には隣国に出かけると言います。
「湯浴みの準備が整いました」
執事の方がいいます。中世ヨーロッパにお風呂の文化はあったかな、と疑問に思いましたが、どうやら魔法のお陰で水や火には困らないため、風呂もあるのだそうです。それと、以前の勇者が言ったのだとか。水は不浄を清めるものであると。もう少しその文化を広めてくだされば、民家にも風呂はできたのですが。
「ユウさん、わたくしがお背中お流ししましょうか?」
「遠慮しておくよ」
世話焼き、というか勇者に異常な執着を見せるシーナは、時折こんな蠱惑的な提案をしてきます。僕は丁重に断って、先にシーナをお風呂に向かわせました。
シーナの後に、僕も入ります。人生で一番汚れたかもしれません。石鹸で全身くまなくピカピカにして、湯に浸かって温まりました。不便な世界だからこそ、こういう小さな幸せを心から喜べるのです。
入浴を済ませて、用意されていた服を着ると、今度は食堂に案内されました。窓の外は薄暗くなっています。
「勇者殿、お初にお目に掛かる。私はファブリス・レオーンだ」
食堂で待ち構えていた大男に、綺麗な礼をされました。服装からして、この家の主人でしょう。
「初めまして、長谷川佑と申します」
「これはご丁寧に」
僕たちは握手をしました。手はゴツゴツしていて、いかにも強そうな感じです。ファブリスさんは茶髪に茶色の瞳をしていました。ライオンみたいな人でした。
「腹が減っているであろう。先に食事にしよう」
僕は席につきました。食事。この国の食事はテーブルマナーが厳しくて厄介です。フォークやナイフの取る順番とか、全部同じやつ使えば良いじゃないですか。なんで態々新しいの使わせるんですか。
僕は心の中の文句はしかし、絶品の料理の前に消えて無くなりました。
隣ではシーナが手取り足取りテーブルマナーを教えてくれます。みんなが黙って食事をする中、シーナと僕だけが騒がしくしていて、なんだか怒られそうな気配が…。
「シーナ嬢、少々口を慎むべきかと」
「あらアレン様、わたくしは聖女の義務を果たしているだけですわ」
アレンと呼ばれたいかにも偉そうな人が、口に布を当てながら言いました。それに対してシーナが言い返します。アレンさんは苦虫を噛み潰したような顔をして僕たちを睨みました。聖女の義務が万能すぎて悔しがっているようです。
「あっ、あのシーナ、もういいよ、大体分かったから」
「ふっ、彼の方が礼儀を弁えて居られる」
これ以上迷惑をかけまいと思い言いましたが、嫌味の種を与えてしまったようです。しかしシーナは言い返すことなく、悔しそうにアレンさんを睨むだけでした。確かに、礼儀作法と言いましたが、シーナは饒舌に礼儀作法ができた歴史なんかも話していて、無駄話が過ぎたことを自分でも分かっているみたいです。
彼らは年も近いので、昔からの知り合いだったのでしょうか。見た感じ犬猿の仲のようですが。
食事が終わると、食後の紅茶が出されました。食事中も食後も、テーブルにいるのは僕と、シーナと、アレンさんと、それからファブリスさんだけでした。給仕は最低限の人数で、ファブリスさんが目配せすると、彼らも部屋を出て行きました。
「勇者の話を知るのは、私とアレンだけだ。これからどうするか、聞かせてもらう。いや…その前に、他の勇者はどうなされた」
「魔王討伐を降りられました。彼らに強制する権限は国にもありません」
「分かっているが、残ったのは一人だけか」
ファブリスさんは顔を曇らせます。強制する権限がない、というのは、神聖術でそのようになっているからだそうです。召喚した勇者が脅威を退ける術。決して召喚した勇者に脅威を退けさせる術ではないのです。話がややこしくなりますが、簡潔に言うと、神がそれをお許しになっていない、ということです。
「国王からの指示はないため、わたくしとユウ様はこの国を出て身を隠し、力を蓄えます」
「なぜだ、この国の庇護下にいた方が安全ではあるまいか」
アレンさんが言います。確かにそうですが、どこに間者が潜んでいるか分からない以上、僕たちの素性を知る人間がいない場所まで逃げる、というのがシーナさんの考えです。これは頼れる人が近くにいなくなるため、一概に安全であるとは言えません。しかし、魔王より危険なものはいないでしょうから。
シーナはそれを事細かに説明して、アレンさんを黙らせました。勝ち誇った顔をしているのは見なかったことにしましょう。
「勇者殿は魔王を倒す方だ。遅かれ早かれこの国を出る。今回は魔王襲撃でそれが早まっただけだ」
「そう言うことです」
「ぐぬぬ」
ファブリスさんの一言で、アレンさんは完全に撃沈しました。
「どこの国へ行かれるのだ」
「北の国です」
「分かった。装備は最高のものを用意しよう。いつ出立なさる」
「明日の早朝です。ユウ様、いいですか?」
「それでいいよ」
大体話合った通りなので、僕が口出しすることはありません。明日の早朝。僕たちは東の国に向かう。
「国境まで馬車で送ろう」
「いえ、歩いていきます」
「そうか」
だから、馬車は頼まずに、歩いて隣街まで行き、そこで東の国への馬車に乗るのです。とにかく重要なのは、僕たちの居場所を知られないこと。行き先さえ伝えてはなりません。
「我々は勇者殿のご活躍を心より願っている。何かあればいつでも頼ると良い」
「ありがとうございます」
僕たちはレオーン家のおもてなしと援助を頂き、次の日の早朝に領都を出ました。
僕は新しい剣と弓、それから大きな背嚢に旅の用意を入れました。内容は一組の着替えと食器、石鹸とポーションを数個。ポーションと言うのは、さまざまな効能を持った薬だと言います。治癒ポーションは軽い怪我なら一瞬で治してしまう優れもので、魔力回復のポーションは飲むだけで魔力を回復できるそうです。
僕たちが王都でこのような援助を受けなかったのは、全て目的地のダンジョンのある街で調達するつもりだったからと言います。
「我々の目的地は東の王国。シュバイーツ王国ですっ!」
シーナはそう言って杖を前に出しました。
一面の小麦畑を歩いてテンションが上がっています。いや、新しい杖が手に入ったからでしょうか。
「あとどのくらいで着くの?」
シーナはダンスのステップを踏むように翻って、後ろ歩きしながら言いました。
「今日の夜に隣町について、翌朝馬車に乗り、そこから三日で国境を超えますっ!」
「また長い道のりだね」
「えぇ、でも今回は馬車ですから、その分楽ができると思いますよ」
前回の旅とは違い、危険な魔物もいなければ、歩きでもない。旅の道具も揃っているので、気を詰める必要もありません。
「それにわたくし、ようやく本領発揮できますっ、この杖、ベルアラームさえあれば、旅の安全は保証されるでしょう!」
なんだか寝起きが良さそうな名前です。
「それでどのくらい神聖術が使えるの?」
「この魔石は、今から行くシュバイーツ王国の名峰ホルマタンから取れた、高位の魔石ですっ、わたくしの魔力の五倍の魔力容量があるのです!」
「へぇ」
「つまり、心臓を二、三回は刺されても平気なのです」
なんと頼もしい。ですが心臓で例えるのはやめてもらいたいです。
因みに魔石ですが、外部から注入された魔力を貯めることができるようです。つまりバッテリーのようなものと考えればいいでしょう。
「それにこの杖っ、レオーン家で取れた樹齢三百年の霊木の枝を使っていて、魔力効率がとても良いのです!」
「魔力効率?」
「はいっ、術者が遠隔で魔力を操作する時の、魔力量の取得率です」
外にある魔力を使うとき、術者が使いたい魔力を取り出すには、それより大きな魔力を取り出さないといけないそうです。熱効率みたいなものでしょうか。ちょっと違いますね。水を手で掬う時、手からある程度水が零れ落ちるようなものでしょう。
「なんとこの杖、魔力効率が五割なのです」
「人は?」
「直接触れると二割、空気を介すと一割です」
「結構すごいんだね」
「そりゃもうっ!」
シーナが嬉しそうで何よりです。
「そういえばシュバイーツ王国?に入ったらどこに行くの?」
「隣国なのでよく分かりませんが、取り敢えずダンジョンのある街に行きましょう」
僕たちがかの国を逃亡先に選んだのは、魔王の支配領域に面しておらず、周囲の国とも争いを起こしていないからです。一見平和そうですが、何があるか分からないので警戒はしておくべきです。
「ダンジョンってどのくらいあるの?」
「知りませんが、我が国のダンジョンは二十個以上あります。シュバイーツ王国にも沢山あるでしょう」
ダンジョンがないなんて考えられない。そんな言い方です。
シーナが言うには、ダンジョンとは、山や洞窟のような魔力の溜まりやすい場所で、地形に突然変異が起き
「なんでそこまでダンジョンに拘るの?魔物ならどこにでもいるじゃないか」
「ダンジョンの魔物の量はここら辺の比じゃありません。それに奥へ行くほど強くなるので、戦う魔物の強さを調節できるのです」
つまり安全に効率よくレベルを上げられるのがダンジョンということです。
「それにお宝が手に入るのです。強力な武器、便利な道具…。先代の勇者様もダンジョンで見つけた装備で戦っていたのですよっ!」
シーナは目を輝かせて言いました。なるほど、ダンジョンは強くなるには打ってつけの場所です。
では当面はダンジョンでレベルを上げ、強力な装備を揃えることから始めましょう。それと、仲間集めも。
「ようやく冒険の始まりですねっ、ユウさんっ!」
出鼻を挫かれましたが、ようやく始まるのです。
「そうだね、二人減っちゃったけど、四人分の元気でやっていこう!」
「はいっ!」
僕は己に檄を飛ばすように大声で言って、真上に浮かぶ太陽に向かって拳を突き上げました。シーナも倣って拳を突き上げます。
二つの拳が太陽でボヤけて、まるで四つの拳に見えました。
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