第五章 天の川に引き離された恋人たちのこと
聖獣はふたなりがお好きのこと
81 悦蛇は洞庭湖の水底でひきこもるのこと
さて、この国には黄河と揚子江が流れていた。
二つの大河の間には、
洞庭湖の広さは千里にも及び、底で大河とつながっているのだという言い伝えがあった。
洞庭湖の水底には、地下洞窟につながる横穴があいていた。
そのずうっと奥で、なにやらうごめくものがあった……。
「
今日は良いお天気ですよ。外に出てみませんか?」
タニシの精霊である
「ううっ……いいよ! 放っておいてくれ!」
悦蛇はそういって、黒い巨体を地下洞窟のなかでうごめかせた。
その体には、布団をぐるぐるまきつけている。
悦蛇は、黒くぬめぬめする体に、繊毛のように何千、何万という触手をうごめかしている。
ヘビみたいな姿といえばそうなのだが、ウロコはなく、竜ともまた違って、カンブリア紀の生物群に含めるのが、最も正しいと思われた。
「まったく。それじゃフレイルになってしまいますよ」
「ふれいる? なんだそれは?」
「この前、『宮廷の医学』で読んだんですよ。
お年寄りが家にひきこもってばかりだと、ますます衰えていくって。
それがフレイルですよ」
小さいタニシの田楽は、見上げるような大きさの主人に対して、ズケズケいった。
「僕は年寄りじゃない!」
「だとしても同じでしょうが!
運動量の減少、疲れやすい、意欲の低下……加齢そのものですよ!
だいたい、この前、外に出たのいつなんです?
五千年前くらいだったでしょう?
いくら湖に住む妖怪だって、そんなの不健康すぎますよ。
さっ、そろそろ湖の上に出て、人間たちを驚かせてやりましょう」
ここでいう「驚かせてやる」とは、未確認生物ネッシーのようにちらっと姿を見せて、人間をワーキャーびっくりさせてやろう、というくらいの意味である。
「いやだ! だって、
――大羿とは弓の名手で、かつてこの国を救った英雄である。
「あいつは、札つきのワルだよ。
地上はこわいんだ! 外にはぜったいに出ない!」
大羿は、太陽たちを射落としたあとも休まずに働いた。
漁へ行って魚をとってくるくらいの感覚で、恐ろしい妖怪を次々に倒していった。
光る豚の化け物は、あっという間にさばかれて、焼き豚にされてしまった。
タカの化け物は、はく製にされて博物館に売られた。
人面蛇身のアツユは「なめてんのかよ」と因縁をつけられて殴られた。
火と水を同時に吹く化け物は、大羿がやってきただけで「すみません、これでかんべんしてください」と、金銀財宝をさしだした。
悦蛇は、血に飢えた恐ろしい英雄がやってくるときいて、すぐに逃げ出し、それからずうーっと、洞庭湖の下に身を潜めていたのだった。
「あれっ? そういえば、この前、大羿が月にいるとの記事を見ましたよ」
「へえ?」
「ちょっと待っててくださいね」
田楽はノソノソはいずって『
そこには「嫦娥のお月見クッキング」という記事があった。
嫦娥がつくった月餅のオリジナルレシピを紹介すると共に、彼女の暮らしぶりをインタビューしている。
――最近、旦那さんと暮らしはじめたとか?
――ええ、ずっと離れて暮らしてたんですけどね。
でもあの人も、地上の化け物はすっかり倒してしまったし。
これからは、夫婦二人で地球を眺めながらのんびり暮らすのもいいかもね、ってなったんです。
――ちなみに、実際に月餅をつくっているのは大羿である……。
かつて大羿は、月へ飛んでいった嫦娥を思い、彼女が好きだった月餅や果物を庭に供えた。
それが月を祭る
「ふーん、あいつ、月へ行ったのか……じゃあ、こっちにはこないよな」
「ほら、大丈夫でしょ。ちょっと外へ出るくらいなら、なんともないですよ」
「……でもなぁ~、外へ出たってなんになるんだ?
どうせカワイイ子なんていないだろ」
「そんなの何億人もいますよ!
若さまがひきこもってから、いったいどれだけの人と妖怪が
生まれては死んでいったと思ってるんですか?」
――実は悦蛇は、めちゃくちゃ、いいとこの坊ちゃんである。
まだ天と地がわかたれていなかった頃、「この世界はせまっくるしーなぁー」といって、天と地をわけた巨人がいた。
それが
盤古の小便は河川となり、糞便は山々となった。
そしてカーッ、ペッ、と吐いた
なんか汚い話ばかりだが、昔はマナーという概念がなく、おおらかだったのであろう。
悦蛇は天地創造神の一人息子であるのだが……。
「どうせ、みんな普通のヤツだろ!
ぼくの理想は、ふたなりのかわいい子なんだ!」
田楽は、ゲンナリしてしまった。
悦蛇の好みはだいぶん変わっていた。
完全無欠なふたなりで、
もちろん美形で、
やさしくて、
かたく純潔を守っていて、
でもエッチで露出狂でいやらしくって、
なんか良い匂いがすること。
という、かなり厳しいものであった。
田楽は「そんな人、
「ま、まあ、若さまがその人を知らなければ、その人はいないも同然ですからな。
森の中で
まずは外の世界をのぞいてみないと」
田楽は、ポータブル型の
彼は深い湖の底に住んでいたが、外界に無関心というわけではなかった。
新型の
――ちょうど、人間界のニュースをやっていた。
「大糖帝国の皇帝、
民間人である金玉さんと結婚することを発表しました。
結婚式は、上弦の月の日に行われる予定です」
そして、金玉の顔がちらりと映った。
「えっ……この子、かわいくない?」
「そりゃそうですよ。なにしろ、皇帝の花嫁ですからな。
若さまも、早く良い人を見つけないと」
「この子、きっとふたなりだよ」
「はあ~? ただの美しすぎる美少女でしょうが」
田楽は、胸があるから女性だろうと、ふつうに判断した。
「田楽、ちゃんと調べてよ。命令だぞ!」
「は、はいはい……」
悦蛇は田楽が去ったあと、布団のなかで
――なにかな、この気持ち。はじめてだ。
もしかして、僕たち、運命で結ばれてるのかも……?
だいぶんこじらせた悦蛇は、初恋に胸をときめかせるのであった……。
以下、次号!
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