あらがえぬ運命が訪れるのこと
78 申陽は、最も見たくないものをのぞき見るのこと
申陽は、一路、都への道をたどっていった。
愛しい婚約者が、ひとり己の体を慰めながら、自分を待っているのだ。
これが急がずにいられるだろうか。
申陽は奮起した。
必ず、己が金玉を満足させてやると決意した。
「――ん?」
袋のなかで、
申陽がそれをのぞいてみると……。
*
「あっ、
午後、金玉の家に帝が訪れた。
「やあ、金玉。今日も美しいな」
「どうして?
「――私がお招きしたんだよ」
父、耐雪が奥から現れた。
「おまえ、帝からお誘いされてばかりじゃないか。
たまにはこちらからもご招待しないとな。失礼だぞ」
「そ、そうだね」
「さあ、こちらへどうぞ」
父は、二人を居間のほうに連れていった。
窓からは、美しいスイレンの池が眺められた。
「あれっ、どうしたの」
その部屋には、二人掛けの長椅子と、三段重ねのお
「父さんが買ってきたんだよ。帝と二人で食べなさい」
「うん! ありがとう」
ちなみに、ぶぶ漬けは「さっさと帰れ」という意味だが、アフタヌーンティーは「午後いっぱい、ゆっくりしていってください」という意味がある!
「では陛下、お人払いをしておきますので、どうぞごゆるりと休憩なさいませ」
「お義父さまのお心遣い、深く感謝いたします」
「いえいえ……金玉、何も心配いらないよ。帝にすべてお任せしなさい」
「う、うん?」
金玉は「帝に、好きなスコーンの味を選んでもらいなさい、ってことかな?」とネジがとんだようなことを考えていた。
「では、私は妻と一緒に原稿書きをしておりますので、失礼いたします」
――婿選びだなんて、香月は何を考えているのだ?
金玉を守れるのは帝しかいないじゃないか。これがあの子のためなんだ!
父はこう考え、狼と子羊を二人きりにした。
*
申陽は、義理の父(予定)が考えていることが、手にとるようにわかった。
都までは、まだ万里の距離がある。
さらに婿取りの冒険の間は、西風大王のお札を没収されていた。
まさに、白昼に稲光が走るの如き衝撃であった。
だが、嘆いているヒマなどない。
申陽は重い弓をかかえ、いっさんに大地を駆けていく。
川をわたり、野を横ぎり、森をくぐりぬけ……。
*
帝と金玉は、二人で長椅子にぴったりくっついて座っていた。
「金玉、食べさせておくれ」
「は、はい」
金玉はスコーンをわって、バターとクロテッドクリームをぬって、帝にあーんと食べさせた。
まるで恋人同士のようだ。
ふと金玉は「こんなことしていいのかな? 婿取り合戦はまだ途中なのに」と思った。
「何を考えている?」
帝は、金玉の視線がそれたのを、目ざとく見つけた。
「え、ええと……肝油が帰ってきたし、あとは申陽さんかな、と思って」
「あやつは帰ってこないのではないか?」
この機を逃す帝ではなかった。
「ど、どうして?」
「知ってるか? 人と妖怪は寿命が大きく異なるのだぞ。
せっかく結婚しても、すぐに相手と死に別れでは、やつもつらいだろう。
今頃は、郷里で婿か嫁を探しているのではないかな?」
「そ、そんなことないよ!」
寿命がちがう? そんなのぜんぜん聞いてなかったよ。
どうして言ってくれなかったのだろう……そんな不信を抱いた。
「金玉……やつと何があった?」
「な、何もないけど」
「では、かまわぬではないか」
帝は金玉を抱き寄せようとしたが――。
「い、いやっ!」
金玉は、帝をぐいと押しのけた。申陽の顔がよぎったのだ。
「ご、ごめんなさい、あの……ぼくなんて、陛下にはふさわしくないんです」
「どういうことだ? 言うてみよ」
帝の声は、あくまでもやさしい。
そして金玉は、帝を生き返らせた、子授けの薬について話しはじめた。
「だから、あの仙丹には、ぼくの初めての精が入ってたんです。
そんなもの飲ませて、本当にごめんなさい。
その時ぼく、肝油と申陽さんと……」
金玉はつっかえつっかえしながら、仙丹クッキングの調理方法について語った。
「ぼく、天佑さまの思うような子じゃないから。この前だって、我慢できずに自分でしちゃって……正妃さまになんて、なれないんです!」
「金玉、落ち着け。
あの二人にこすられてしまったから、もはや自分は清い身ではないと思っているのだろう?
そうではない。その年まで聖童貞(一度も達していない者のこと)を守ってきたとは、立派なことだ。
余など、金玉の足もとに及ぶものではない。
それに金玉は、いまだ処女であり童貞だ。十分に清い身だ」
金玉は、帝の進行を食い止めようとして、この話題を出した。
べつに自分で「ぼくは清い身ではないから」と気にしているわけではなかったが、聖童貞を守ってきたことをほめられて、ちょっとうれしかった。
「では、余としてみようではないか」
「――えっ?」
「今は婿取り合戦の最中だ。それなのに、余だけが金玉の肌を知らない。
これは不公平、不平等であろうが。
やつらだけがシード権を保持しているのか? 非公式の推薦か?
審査員が関係している、某小説講座に通ってるから有利なのか?
それでは法の公正は保たれぬよ」
帝は、金玉に
「心配いらぬわ。余にすべてを任せておけ」
帝は観音菩薩のように、慈愛深く微笑んだ。
*
申陽は、止まった。
見よ、前方の濁流うずまく大河を!
上流でいきなりゲリラ豪雨がどしゃーと降り、山の水源地がざばぁーと氾濫し、濁流がごぅーとながれ、ぐしゃーと橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、橋げたまでを、きれいさっぱり、こっぱみじんに吹き飛ばしていた!
「ああ、しずめたまえ、荒れ狂う流れを!
アフタヌーンティーの時間が終わらぬうちに、金玉の家に行き着くことができなかったら、私の婚約者は、無惨に狼の餌食となってしまいます!」
申陽は祈ったが、無情にも天は何も答えぬ。
川の流れは、ますます激しく躍り狂っている。
そうしている間にも、時は刻一刻と消えていく。
申陽は覚悟した。
――愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮してみせる。
申陽がざんぶと流れに飛びこむと、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う波が、いっせいに襲いかかってきた。
走れ、申陽!
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