76 大羿と逢蒙は弓くらべをするのこと

 ――金玉が火照ほてった体をもてあましている!

 早く、早く帰ってやらないと……!

 

 申陽はすぐにも胡美家コミケを出発しようとしたが、

 その時、頭上から、黄色く光るこんぺいとうのような星がガシャーンと落ちてきた。


「ハハハ、どうだ! 流れ星を射とめてやったぞ!」

 

 大羿たいげい逢蒙ほうもう雌雄しゆうを決すべく対決していたが、ナノマイクロメートルの世界でも決着はつかず、

 ついにはとっぷりと日が暮れ、閉場時刻がきてしまったのであった。


「どうだ、大羿さんよォ。ゆっくり動く太陽なんて、止まったまとのようなものさ」


「フッ、くだらんな」

 

 流星群でも、一度にあててみるか……。

 大羿が九本の矢を同時につがえた時だった。


「そういやァ、先生の奥さん、とってもお上手でしたねえ」

 逢蒙が、意味ありげにいった。


「なっ……」

「あなた、ウソよ! 私の砦は難攻不落! つまようじで攻め落とせるわけありませんわ!」


 だが、逢蒙はさらに続けた。

「いやー、さすが熟女さまだ。水気みずけもたっぷりで素晴らしかったですねえ。

 先生が化け物退治にかまけて、奥様を放ったらかしにしておくから悪いんですよ」


 大羿にとっては、耳の痛い言葉だった。

 ――おれは乞われるまま、化け物退治にいっていた。妻はそれが不満で……?

 若さと顔だけがとりえのこいつと? ありうるっ……。


 大羿の弓を持つ手がふるえた。


「いえ、大羿さま、お待ちください。ここに手がかりが隠されています」


 申陽は『先生の奥さんが童貞のぼくを誘惑してくるので個人レッスンを受けてきます』の本をかかげた。


「この本には、弓道の師匠の奥さんが登場します。

 彼女はうれきった女体をもてあまし、若い童貞の弟子に秋波しゅうはを送ってくるという設定です。

 がしかし、中盤からはいきなりトーンが変わって、レイプものに変貌します」


「それがどうした。ストーリーはどうでもいいから、自分の好きなエロシーンだけつなげるくらい、同人世界ではよくあることだろう」

 逢蒙は、申陽の指摘を鼻で笑った。


「まだあります。この作者の名前は毛包もうほう――MOUHOU、つまり逢蒙のアナグラムです。

 逢蒙さん、この本の作者は、あなたではないのか?

 今回は出店していなかったが、自分の過去作を名刺がわりに配っていたのだろう? 神作家さまに自分を覚えてもらいたくて。その最後の一冊がこれだとしたら……?」


「ふ、ふん……おれはただの一般客だよ」


 ――申陽は、、金玉の呪いを解くためには、夫婦円満になってもらわなければ困るのだ。

 これは大羿に聞かせるための推理なのだ。

 

「この本は、あなたが嫦娥さまにいかがわしい妄想を抱き、そして劣情をぶつけた証拠になるのでは?」


「妄想と現実を一緒にするな! さあ、勝負の続きを……」


「あーら、もしかして、ホウちゃん?」


 突如、七十~八十代くらいの女性たちが現れた。

 バスツアーのついでに、韓ドラのナマモノ同人誌を買いにきた仲良しグループである!

 その中の一人が、逢蒙に親しく話しかける。


「ねえ、ホウちゃんでしょ。うちの保育園に通ってた。

 あっら~、懐かしいわねえ」


「お、お母さん先生ッ……?」


 彼女こそ、逢蒙が通っていた幼稚園の、当時五十代のお母さん先生であり、逢蒙に熟女趣味をうえつけた、最初にして最後の女――黄昏天女たそがれてんにょさまである!


「うちの保育園に通ってた子は、どんなに大きくなってもわかるのよ。

 元気? いま何してるの?」


「え、えと、その……」

 逢蒙は、自分の紙袋を足でおして、隠そうとした。


「これが、彼の著作です」

 申陽は彼女に『先生の奥さんが童貞のぼくを誘惑してくるので個人レッスンを受けてきます』を手渡した。


「やっ、やめろォーっ!」

 逢蒙は動転のあまり、自分で、自分の紙袋を蹴飛ばしてしまった。


 ザアアアアッ、と奔流のように薄い本が飛び出て、そういう系のタイトルが、黄昏天女さまたちの前にあらわに!


「あら、まあ」

「男は母親に憧れるっていうけどねえ」

「ホウちゃん、こんなの好きなの? もっと若い子に目を向けないと」


「……………………ゆ、許さんっ!」

 逢蒙は怒り狂って、申陽に弓をつがえた。

 こういう趣味だが、天下二番目の射手であることは間違いがない。


「わ、わわっ!」

 申陽は体をすくめる――だが、矢は明後日あさっての方向に飛んでいった。


「なにっ? こんな近距離で?」

「――だから、貴様はダメだというのだ」

 

 大羿はつかつかと近づき、散らばった本を拾い集めた。


「『熟女一番!』か。中華料理店の巨乳未亡人が、で店を再起する話だな。


『お母さん先生といっしょ』保育園時代にタイムリープして、当時五十代のお母さん先生と禁断の関係を持つのだな。

 スモックを着て、おしゃぶりをして、鏡張りの下で、自分の息子を撫でてもらうというプレイ内容だな」


 ――なんと大羿は、屋外灯の下、本をぱらぱらめくりながら、口に出して内容紹介をはじめた!


「やめてください、先生! そんな恥ずかしいことを……」


「恥などではないッ! 各クリエーターが、精魂を込めて作り上げた作品だ。恥ずかしいというほうが恥ずかしいのだ!」


  ――確かにどんな作品であろうとも、印刷所選定、紙とフォント指定、校正などの地道な作業が伴っている。

 もしかして大羿は、逢蒙の同人活動をほめてやっているのではないか?


「あなた、平気なの?」

 嫦娥は、夫の平然たる態度にびっくりした。


「ああ、どうってことはない」

「それじゃあ、私の好きな白澤はくたく先生の作品も……?」

「うん、『大きな恋のものがたり』みたいな抒情性を感じるね」

 

 ――大羿にとっては、断崖絶壁の上にある、今にも落ちそうなグラグラした大岩に片足でとびのって、目をつぶって虚空の鷹を射るなど、朝飯前であった。


 つまり!

 どのようなグロ漫画を見せられようとも、修行によって常に心は明鏡止水であったのだ!


「ああ、あなた! 私、この趣味が知られたら、あなたに嫌われるんじゃないかと思って……」

「はっはっは、そんなことはないよ」

 大羿と嫦娥は仲良く寄り添った。


「ちくしょう! 今度こそヤッてやるからな!」

「あのー、逢蒙さん。ちょっといいですか……」

 申陽は逢蒙の肩をつつき、嫦娥の買い物袋の中身を見せた。


 ――逢蒙は固まった。石のように動かない。


「あー、それと逢蒙。おまえ、童貞だろう」

 大羿が唐突なことをいった。


「あら、そうなの? 知らないけど」

「今の矢の外し方を見てわかった――おまえでは、嫦娥の的を射ることはできぬ!」


 ――射裡観徳しゃりかんとく

 矢を射ることには、その者の人間性が反映される。

 一射を射ることによって、自分の力量、精神状態が明らかになるという意味だ。


 大羿は師として、逢蒙の童貞を見抜き、嫦娥の貞節が固かったことを悟ったのだ!


 ……逢蒙は無言のまま、のろのろと立ち上がった。

 そして、散らばった薄い本を予備のエコバッグにつめ、悄然しょうぜんとして立ち去った。


 その後、逢蒙の行方は、ようとして知れない。

 一説では、童貞神のびょうを守護する門番になったともいう……。


 以下、次号!

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