トウヒョウ GO
@kazoo24
序 - 2124年、北京 - G7開会
2124年、中国・北京
先進7カ国によるサミット、G7が開会されようとしていた。
「絶対に成功させます」と感謝の意を表した。上官の迷惑そうに歪めた表情も、流れる涙で気付かないほどであった。
この世界会議を成功させることに、中国外務省の威信がかかっている。いや、議長国としての国の威信をかけたイベントである。十億人の国民のプライドを背負うのだ。
しかし、実際に仕事が始まると、理想と現実のギャップは一気に露わになった。サミット会場を探そうとすれば、上官の友人が経営するホテルを勧められ、視察に出かける準備に入ると、ナニナニ議員の親戚が運営する施設を使ってくれ、カレカレ議員の息子が働く民宿を使ってくれと、賄賂をちらつかせる者まで現れる始末。食事の手配にしても、上官の友人が経営する食料品会社や、ナニナニ議員の恩師が運営するシェフ代行サービス、果てはカレカレ議員の母親の農家からの野菜までを押し付けてくる。どんな選択をしても、透明性を保てるものではなかった。
ただ、こんな国内の調整などは序の口であった。各国の首脳のスケジューリングから航路の決定、セキュリティーの確保など、失敗の許されない重要項目の検討では精神を削られた。ホテルの部屋決めでは、国同士の関係性から、鉢合わせNGの首脳たちの導線の調整、あの国の補佐官とあの国の秘書は怪しい関係にあるという噂を聞けば、部屋の位置を変更した。
「くだらない・・・」
何度もそう思ったが、世界平和と全く関係がないとも言えない。そう言い聞かせて、万全の準備を整えてきたのだった。
そして、とうとうこの日を迎えた。
各関係者が席に着いた。
開催に先駆け、
「ここまで漕ぎ着けた」
一年間の苦労が思い起こされ、劉の目頭には熱いものが光った。
準備に追われ続けた劉であったが、外務省官僚として、会議そのものにも大きな興味を持っていた。今の世界は未曽有の問題が山積だ。世界経済の失われた百年問題、超格差社会、超異常気象、超感染症など。劉が物心ついたころから同じような問題はあった。しかし、今はそのレベルが違うのだ。もう一刻の猶予もならない。環境問題については百年前から猶予が無いと言われているが、今は本当に一刻の猶予もないレベルに来ていると専門家達は警鐘を鳴らす。官僚レベルでは各国への根回しも抜かりなく行っている。超異常気象対策をまとめた北京議定書の合意は、なんとしてもこの会議で達成しなければならない。
北京議定書の採決において、もう一国、鍵を握ると思われる国があった。インドネシアだ。中国では、国策として推し進めてきた太陽光発電政策のもと、多くのソーラーベンチャーが生まれ、飛躍的にソーラーセルの技術革新が進んだ。太陽光による発電コストは、それまで主流であった火力発電の半分程度にまで下がり、国内の発電の7割が太陽光によるものとなっている。これこそが、中国が世界一の経済大国として君臨し続けている根幹でもあった。しかし、新型高効率ソーラーセルの製造において必要になるレアアースの、実に9割をインドネシアからの輸入に頼っている。この弱みをインドが突いてくる可能性は大いにある。インドとインドネシアは、2か国間の自由貿易協定のもと、人と物資の交流が非常に盛んである。両首脳の交友関係も良好と伝わっている。
カリー首相とナシゴレン大統領が水面下で繋がっていたら・・・ 決して無い話しではない。一抹の不安を、劉は払しょくすることができないでいた。ホテルの部屋割りでは、首脳はおろか、両国の関係者が偶然会うことがないように、インドとインドネシア関係者の部屋は、棟を分ける周到ぶりであった。
インドとインドネシアの密約・・・
「それはない」
劉は自分に言い聞かせるように首を振った。ソーラーセル産業においては、中国とインドネシアはウィンウィンの関係だ。レアアースの輸出でインドネシア経済は潤っている。高性能ソーラーセルに関する特許は中国企業が抑えており、他国の参入は難しい。インドネシアが中国を敵に回すことは考えられない。
「ない。絶対にない」そう思いながらも、万が一・・・ 劉の頭は同じ回路をぐるぐると回っていた。
会場内に大きな拍手が起こり、劉は我に返った。
拉主席の開会の挨拶が終わったのだ。
続いて、インドのカリー首相が壇上へ向かった。
いつのころからか、G7開会決意表明式なるものを行うことが慣習となっていた。先進7カ国での話し合いの透明性のアピールと、それぞれの問題に対する各国のスタンスを明らかにすることが目的である。とはいえ、各首脳に与えられる時間は5分程度なので、内容について深く言及することはない。所詮は挨拶の範疇である。
ステージの下で拉主席とカリー首相が取り繕ったような薄っぺらい笑顔で握手を交わした。仮面の裏でどのような思惑が渦巻いているのか、劉には知る由もない。
カリー首相のとりとめのない挨拶が終わると、続いてアメリカのビギズグッド大統領が壇上へと向かった。大きな体をユッサユッサと揺らしながら、ゆっくりと歩を進める。政治の世界に入る前はアメリカンフットボールのスター選手だったそうだが、現在の体形からはその面影を感じる事はできない。
「何を食べたら、あんなに太れるんだろう?」そんな疑問が頭をよぎった劉はハッっとして手で口を覆った。
「声は漏れなかっただろうか」こわばった顔をじっと動かさないようにして、恐る恐る回りに目をやった。誰も劉を見ている様子はない。大丈夫だ。声は漏れていない。
「太っている」は国際的に差別用語とみなされている。中国の外務省官僚がアメリカ大統領に対してこんなタブー用語を使ったなどと報道されれば、たちまち外交問題に発展するだろう。G7の開会式を迎えて気が緩んだか? 劉はゲンコツを作って小さくこめかみのあたりを叩いた。
ビギズグッド大統領の体形については十分承知のことであった。現に、彼のことを考慮して、壇上へ向かう階段の高さを通常よりもかなり低くしていたのだ。小さな配慮だが、劉の心配りのおかげでビギズグッド大統領は杖もつかず、自分の足で演壇についた。
「何を食べたら、あんなに背が横くなるんだろう?」壇上の大統領を見て、同じ質問が劉の頭に浮かぶ。
肥満に関しては、特にアメリカの学者の間で多くの研究がなされていた。肥満体形は個人の責任ではない、というのが学会のコンセンサスとなっていた。
食物に含まれる脂肪が体内で消化されると、脂肪酸とグリセロールに分解される。これらはエネルギーとして使われ、余った分は再合成され中性脂肪となり、血液を介して脂肪細胞中の脂肪滴に取り込まれる。脂肪細胞は、いざという時に生命を維持するために蓄えられたエネルギーであり、この細胞を持つことは生物としては重要なことである。脂肪細胞は、体内に浮遊する中性脂肪を非常事態用エネルギーとして取り込んでは分裂を起こして数を増やす。つまり、脂肪細胞を多く持つことは生存競争を勝ち抜くためには有用な能力であり、褒められることはあっでも恥ずることではない
「油物の食べ過ぎと運動不足なだけではないのか?」などと思ったとしても、決して口にはしない。他国の食文化を批判していると解釈されようものなら、たちまちカルチャーハラスメントだと訴えられてしまう。そもそも、その道の専門家の言うことにケチをつけるつもりもない。どうでもいい主張は心の中にしまっておく。平和維持とはそういうものだと劉は思っている。
続いて、ナイジェリアのアフロビート大統領が壇上に向かう。ナイジェリアが属する西アフリカ経済共同体は、中国の新高効率ソーラーセルの大口輸出先となっている。その縁もあって、劉はアフロビート大統領とは面識があり、何度か個人的な会話を交わしたこともあった。彼の豊かな人間性に裏打ちされた優れたビジネスセンスに、劉はいつも感嘆させられた。同時に、自分の凡庸さを思い知らされるような気分にもさせられた。
「何を食べたら、あんなに賢くなれるのだろう?」
劉は時々考えた。元の脳みその出来が違うのか? だとしたら、大人になってから食べる物を変えても、恐らく遅すぎる。
「オレが胎児のときに、母ちゃんが食べていたものが影響しているに違いない」
劉は心の中で責任を母親になすりつけ、心の平常を保った。
米大統領と握手を交わし、アフロビート大統領が壇上へ上がる。
今日に至るまでの過去50年間はナイジェリアの半世紀であったといっても過言ではないだろう。自国の発展のみならず、ナイジェリアは近隣の西アフリカ諸国の発展にも大きく寄与してきた。歴史に残るであろう国家事業として、ナイジェリアは北隣のニジェール共和国と共同で、サハラ砂漠に10キロ四方の巨大太陽光発電パークを建設した。このソーラーパークは西アフリカ諸国に安価な電力を供給することとなり、経済共同体の発展の重要な原動力となった。そして、この巨大ソーラーパークに使われている全てのソーラーセルを中国が輸出しているのだ。
かつては原油産出国として資源の輸出に頼っていたこの国も、今では技術やサービスの輸出国へと変貌を遂げた。そのナイジェリアを、経済産業大臣時代から舵取りしてきたのが現大統領のアフロビート大統領だ。
劉はそっと会場を出た。彼の挨拶を聞きたい気持ちもあったが、この後の会議室の確認や夕食の準備など、やらなければならないことがある。劉は各専門家会議が行われる会議室の設営状況の確認に向かった。
渡り廊下の窓を激しい雨が叩きつけている。数日前に、観測史上最大級の台風が発生したというニュースを聞いたことを思い出した。G7閉会の頃に北京を直撃するという予測もあるようだ。
「期間中は雨が続きそうだな・・・」
例年の大水害を思うと、劉は少し憂鬱な気持ちになった。しかし、毎年のように報道されている異常気象が今年も例外なく訪れていることに的外れな安堵も覚えた。
「サプライズはいらない。このまま、いつも通りで終わってくれ」
そう祈りつつも、山と積まれた目の前の作業をこなすべく、開会式会場を後にした。
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