第10話 背中を押す者⑧

 手渡された絵を見たユノーは、僕とその絵を何度か見比べる。沈みかけた夕日に照らされた顔には、恐怖の色が浮かんでいた。


 ユノーの手元にある絵。そこには、ユノーと見知らぬ男が、酒場で膝を突き合わせて話している姿が描かれている。


 もちろん話の内容までは分からないけれど、この絵にタイトルをつけるのならば“密談”と言う言葉が最もしっくりとくる。


 とはいえあくまで絵を見た僕の印象であり、ユノーに後ろ暗いところがなければ、なんてことはない光景。


 酒場で男が二人、顔を近づけて話をす一幕なんて、その辺にいくらでも存在するだろう。


 ただ、この絵の中に一つだけ、気になる所がある。相手の腰元の紋章だ。腰に下げた剣の鞘にあるそれは、絵でもはっきりと確認できた。


 アザミに四つ目の小鳥。


 ユノーが仕えているグラスノ家の紋章は、双剣と蝶だ。僕らも何度も館で目にしているので間違いない。つまり、ユノーと会話している人物は、グラスノ家とは別の家の誰か。


 もちろんただの知り合いという可能性もある。いや、あった、か。たった今、僕らに見せた反応、どうも単なる知人とは言い難い。


 襲われた貴族。計画的な犯行。たった一人生き残った護衛。密談に見える絵画。ここまでの経緯を考えれば、嫌でも浮かび上がるふた文字、 “黒幕”という言葉。


「どうして貴様がラングリッサ様のことを知っている!?」


 ユノーは叫ぶ。なるほど、絵に描かれた人物はラングリッサというのか。ユノーは『様』をつけた。ならそれなりの立場の相手なのだろう。


「その、『アザミに四つ目の小鳥』の紋章は、どの家の物ですか?」


 僕の言葉にユノーは答えない。


「質問しているのは俺の方だ! 答えろ! お前ごとき流浪の者が、なぜあのお方を知っている!? ラングリッサ様とどんな関係だ!」


 完全に陽は沈んでしまったけれど、ユノーが目を血走らせて激昂しているのが伝わってきた。


 ユノーが一歩足を出す。同時にレルタとセレネが僕の前に立つ。


 レルタは細身の剣、セレネはモーニングスターを持っている。あと3歩も近づけば、ユノーの左腕は切り落とされ、右腕を粉々に砕かれる。


 だけどユノーはそれ以上は近づいてこなかった。こちらを睨みながら、


「……おかしな格好をしているが、女どもは手練れか。つくづく妙な奴らだ」


 と、苦々しげに吐き捨てる。


 レルタとセレネの実力を見抜くあたり、腕に覚えがあると言ったのは嘘ではないみたい。


 牙を剥く野犬の様なさまを見て、僕はふと思い当たる。


「……もしかして、コルリウスの両親を襲った連中の、手練れっていうのは君のことかい?」


 自分の実力を褒められたと思ったのか、ユノーは少しだけ愉快そうに笑う。


「間違っちゃあいねえが、正しくもねえ。あの場にいた刺客は、全て手練れだからな」


 ああ、自分から刺客というのか。これで完全に確定した。コルリウスの両親は政治的に殺されたのだ。でなければ、刺客なんて言葉は使わない。


 さて、どうしようか。ユノーの背後には、何らかの力を持った人物がいるとはっきりした。貴族を殺す事に躊躇ちゅうちょしない相手が。


 理由を知りたくてここまで泳がせてみたけれど、思ったよりも厄介そうだ。なら、ここらで穏便に済ませたい。


 こちらの実力を踏まえられるなら、無理せず退いてくれないかな? ちょっと説得してみよう。


「君がそこで立ち止まったのは懸命だね。君は多分、レルタとセレネには勝てないから」


「だろうな。尤も、二対一なら、という意味で、だがな」


「そうかもね。でも、勝てない事に変わりはない。だから一つ取引をしない?」


「取引だと?」


「僕達は君を見逃す。代わりに君は、コルリウス様にこの一件の全てを話す」


「何を言っている? 俺になんの得ある?」


「……ここまで知っている僕が、コルリウス様に何も伝えずに去ったと思う? 今頃は、君を捕縛するために兵士が探し回っている頃だ。当然、僕らの方にも向かっているさ。君が正直に話すなら、殺さないように口添えをしてもいい」


「随分と上から目線の提案だな」


「これでも友好的に話しているつもりだけど?」


 何がおかしかったのか、ユノーは「くくっ」と笑った。


「交渉は成立しない。俺は、あの街の間抜けどもに捕まることはないからな」


「なら僕らが捕まえようか?」


「……それも無理だ。おそらくだが、お前の護衛はお前を放置して俺を追うことはない。少なくとも、一人はこの場に残るだろう。二人を振り切るのは少々難儀だが、一人なら……逃げ切れる」


 言葉の端々に自信が見え隠れしている。虚勢ではなさそうだ。それに、ユノーの見込みは間違っていない。


 しばしの睨み合い。


 そうしていると、街の方から「いたぞ!」という声が聞こえてきた。コルリウスの部下がやってきたのだ。


「……これ以上追うな。そうすれば、お前らのことも見逃してやる」


 ユノーは身体を揺らしながら、そう言うと、すぐに闇夜に溶けるように消えてゆく。


「追うか?」


 セレネが殺気を放ちながら、僕に問うた。


「……これ以上はやめておこう」


 多分、セレネなら捕えるだろう。けれど『関わらなければ手を出さない』とユノーがいうなら、無理をする場面じゃない。


 仮にユノーが逃げ切ったとしても、もうザリナスの街には戻らない。すぐにコルリウスの身に危険が迫るような心配もないはずだ。


 今後はコルリウスも十分に警戒するだろうし。僕らにできる事は、この辺りが限界だと思う。


 僕らは、ユノーが消えていった方向をしばらく眺め、そして気持ちを切り替える。


 こうして少しばかりの心残りを残しながら、今度こそ僕らは次の街へと進み始めた。

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