第7話 背中を押す者⑤
依頼を受けてからの数日間、僕らは午前中を領主館で過ごし、午後は街を散策する生活を続けた。
「ああ、フェルメ様。おはようございます。今日は良い天気ですね」
廊下を歩く僕らに、館の廊下の掃除をしていた女性が、気軽に声をかけてくる。
「おはようございます。今日もお邪魔します」
「ええ。どうぞどうぞ。ごゆっくり」
パラッサさんが言っていた通り、僕らが絵を見に行っても、みんな快く出迎えてくれる。
どころか、手の空いた人たちが代わる代わるやってきては、次々に先代との思い出を語り、仕事に戻ってゆく。
ちなみに現当主のコルリウスを悪く言う人も全くいない。そのコルリウスだけど、最初に会って以来、一度も見かけた事はなかった。
「ふーむ」
僕はお昼前に領主館を出ると、腕を組みながら街を歩く。
「フェルメ様、お悩みなら無理に描く必要はありません」
「いっそこのまま街を出るか?」
レルタとセレネが僕を気遣ってそのように聞いてきた。確かに二人の言う通り、悩んでまで描く義理はない。宿代くらいの恩はあるけれど。
しかし、別に描きたくないから悩んでいるわけではないのだ。ただなんとなく“しっくりこない”だけ。
何か足りないのか、何か余計なのか。僕がそのように説明すると、セレネが僕の肩を揉む。
「たまには外に遊びに行こう。気分転換だ」
「そうだね。それも良いかもしれない」
僕らは街の入口の方へと足を向けて、ぽくぽくと歩いてゆく。
入口では街に来た時と同じように、オランが暇そうにあくびをしていた。大きく口を開けたまま、僕らに気づくと軽く手を上げる。
「おや、街の外に出るのか?」
「ええ。ちょっと散歩に。どこか良いところはありますか?」
「そうだなぁ。なら、あの丘の上に、大きなネモの木があるだろう。この街が一望できるんだ。今日は風もいい。丘は心地良いと思うぞ」
と言いながら指差した先。小高い丘の頂上に、一本だけ大きな木が生えている。確かに見晴らしは良さそうだ。
「ありがとうございます。じゃあ、ちょっとそこまで行ってきます」
「ああ。だが、くれぐれも野盗には注意してくれよ。この辺は比較的治安が良いとはいえ、あんな事があったばかりだ」
「ええ。気をつけます」
まあ、レルタとセレネがいる限り、僕が心配する必要なんてないのだけど。
のんびり風景を楽しみながら進むと、丘の頂上までは半刻くらいかかった。オランの言った通り、心地良い風が汗ばんだ体を撫でてゆく。
テキパキとお茶の準備を進めるレルタと、スルスルとネモの木に登って、周囲を見渡すセレネ。
大きく息を吸い込んで、改めて眼下に広がる景色を見れば、期待したとおりにザリナスの街が一望できる。
穏やかな日差しの中、人の出入りもちらほらと確認でき、平穏そのもののような風景だ。
けれど、この街は静かに、そして緩やかに崩壊を始めている。コルリウスが立ち直らない限り、いずれは様々なところに綻びがで始めるだろう。
そう考えたら、すっと頭の中に“絵が浮かんだ”。
「あ、これだったのか」
僕が一人呟くと、レルタとセレネはすぐにその意図を察する。
「今から描かれますか?」
「すぐに準備しよう」
セレネが画材の入ったケースを差し出した。彼女はわざわざこんなところまで、画材一式を抱えて来てくれたのだ。
「そうだね。下書きだけでも今やってしまおうか」
僕は、街が一番良く見える場所にキャンバスを設置した。
そうして腰を据えてキャンバスと向き合えば、頭に浮かんだ光景が、段々とはっきりとした形になってゆく。
僕はそれらを取りこぼさないよう、優しく手で包み込むようにして、ゆっくりと木炭を手に取った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
絵ができたのは、その翌日の事。さらにもう一日絵の具の乾燥を待つと、館に出向いてパラッサさんに完成を伝える。
すると、パラッサさんはすぐに見たいと言い、宿屋まで付いてきた。
宿の部屋の真ん中には、白い布を被せた絵が一枚。
よほど気が急いていたのか、少し肩で息をしていたパラッサさん。一度呼吸を整えると、「これが完成した絵ですか」と呟きながら絵に手を伸ばす。
「布をとってもよろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
僕の許可を得て慎重に布を外した直後、パラッサさんはの布を手にしたまま固まってしまう。
しばらくして、ぎこちなくこちらに顔を向けるパラッサさん。
「これは? 一体どう言うことですか?」
困惑の顔を向けてくるその反応は、ある程度予想できていたもの。
「“これ”が、僕がコルリウス様に渡せる唯一の絵です。もし気に入らなければ料金は要りません。見せるかどうかも、パラッサさんにお任せします」
あとはパラッサさん次第。いや、コルリウス次第か。
僕の言葉を受けたパラッサさんは、そのまま深く唸りながら、しばらくその場に立ち竦むのだった。
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