26.自由に、かえしてやるんだ

      ***


 通された奥の部屋には、小上がりが、しつらえられてあり、ハムロの妹――マムロは、そこに敷かれた布団に寝かされていた。小上がりのふちに腰をかけて、バッソがマムロの具合をみる。脈をはかったり、寝息をきいて、「大丈夫そうだな」と、小さくささやいた。


 それから、バッソは台所をかりて、こんぶ出汁とワカメの吸い物を、作りはじめた。


「今から墨抜きをするが、そのあと、すぐに食べさせられるようにしておきたいんだ」


 鍋で湯をわかしながら、どんなものを食べさせたらいいか、バッソは母親に説明する。


「基本的に、この吸い物以外は、白いものを食べさせておけば、まちがいない。えんぼくは黒いすみだから、白いものと打ち消しあうんだ」


 説明を、母親と一緒に聞いていたハムロが「ああ」と、納得の声をあげる。


「だから紙鉄砲は、白いのか?」

「そう。真逆の存在だから、結びつくと打ち消しあってしまうんだ。まあ、それ以上に、怨墨は怨墨どうしで強く呼びあうから、白いものと怨墨とがあれば、まずは同じ墨どうしで結びつこうとする。まあ、この宇宙の摂理だ」

「なんか、料理なのに、難しい話になってきたな」


 苦い顔をするハムロに、バッソは笑いながら、鍋のなかに、吸い物のもとを入れた。


「紙鉄砲も、一度えんぼくを吸いこんだら、もう、もとの白い紙には、もどれない。怨墨も、墨には、もどれない。ひとつのものになったそれは、燐寸マッチの火を使って燃やして、彼岸へ送る。そうして、自由に、かえしてやるんだ」

「自由……」


 マムロのそばに、すわっていたウタマクラが、小声でつぶやくと、バッソは背中をむけたまま「ああ、自由だ」と、つぶやいた。


「じゆうか……」


 ウタマクラは、しずかな寝息を、たてている、マムロの頭をなでた。真っ赤な長い髪が、つやつやときれいだった。まだ十歳か、もう少し上くらいの年ごろだろう。


 ハムロが、そのようすを見て「ウタマクラ、あんた、子ども好きなんだな」と笑った。ウタマクラも、ほほえんで、「ええ。大好きよ」と、またマムロの頭をなでた。


「子どもが好きなら、保育の仕事とかは、考えなかったのか」


 ハムロの疑問に、ウタマクラは肩をすくめた。


「たくさんの子たちのお世話をしたい、っていうことでは、ないのよ」

「じゃあ、母親になって、自分の子どもを育てたいっていうほうか」


 その言葉に、一瞬、ウタマクラはつまった。


「――そうね。母みたいなお母さんに、いつかなってみたいって、夢は――あったわね」


 小声での答えに、ハムロは「ふぅん」とうなずいてから、鍋に目をむけて「あっ」と小さくさけんだ。


「バッソ! これ、煮立ちすぎじゃないのか?」

「あ? ――あ、ああ。そうだな」


 ぐつぐつと、鍋のなかで、吸い物のワカメがゆれている。バッソは、あわてて鍋をかまどから、おろした。


 次の瞬間だった。


 どおおおおん!


 地響きとともに、すさまじい轟音がして、ウタマクラは、とっさにマムロの上に、覆いかぶさった。ゆれと一緒に、ぱらぱらと、上から砂のかけらが、落ちてくる。


 振動が、おさまると同時に、周囲から悲鳴が聞こえてきた。恐るおそる、ウタマクラが顔をあげようとすると、背中に、なにかあたった。目をむけて、思わず息をのむ。マムロを、かばったウタマクラの上から、それをかばうように、バッソが覆いかぶさっていた。


「――大丈夫か」

「え、ええ。ありがとう」

「なんだ今のは!?」


 ハムロが、家の外へ飛びだしていった。バッソとウタマクラも、それに続く。


 外に出たふたりの目に、真っ先に飛びこんできたのは、もうもうと立ちのぼる土煙と、それを吸いこんでゆく、一か所が突き破られた、天井の緑のネットだった。それから、土煙をたどって視線をさげると、それは集落の中央の、花飾りの舞台から、はじまっていた。


「――あれ、なに? くるま……?」


 ウタマクラの言葉に、バッソは仮面の下で目を細めた。


「飛行車だ」


 よく見れば、赤い色をした飛行車が、舞台の真ん中に、つっこんでいる。そこから、がたがたと音をたてて、何人かの人が、もぞもぞと出てきた。次の瞬間、ばあん! と、後部座席が開き、白銀色のかたまりが、空中に飛びだしてきた。


「ぴぴぴぴぴぃぃぃぃっ!」


 土煙と遊ぶように、空を飛びまわる生き物に、ウタマクラが「あっ」と声をあげた。


「あれ、竜体りゅうたいの子じゃない?」


 はっとして、バッソが顔をむける。


「ウタマクラ、それは」

「〈出世ミミズ族〉の、人になる直前の子よ」


 見ていると、竜体りゅうたいの子に引きつづき、車のなかから、2メートルはありそうな、茶色いヒゲもじゃの大男と、「やあやあ! 生きて着陸できたねぇ」と、ふらふらしながらも、えらそうな態度の、茶金色の髪をした男が出てきた。そして。


「ミズ! あぶないから、よく知らないところで飛びまわっちゃだめだ!」


 マムロと年の変わらなさそうな、男の子の声がした。その声に反応して、竜体りゅうたいの子が、「ぴにゃっ」と一声鳴き、車のほうへ、もどってゆく。


 落ちついてきた土煙のなかから、最後に姿をあらわしたのは、緑のキャップと、アイグラスつきのヘッドホンをかぶった、やっぱりまだ若い男の子だった。その男の子は、竜体りゅうたいの子を背中におぶうと、じっと、ウタマクラのほうへと視線をむけた。ウタマクラは、ごくりと、生つばを飲みこむ。


「あの子……あの男の子、〈音読おとよみの一族〉だわ」




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