2.兄ちゃんのお下がりってだけだ。

      ***


 それは、すさまじい台風だった。〈シマエナガ〉と名づけられたその台風は、まちがいなく近年で一番の大型台風で、南北に弓なりに長い島国である、このアキツシマ連合王国を、南から北まで、ていねいに、なぞるように通過していった。木々は押したおされ、田んぼのイネは水に浸かり、河の水はあふれて、家や建物は泥だらけになった。カイトが暮らすヒルミ村にも、〈シマエナガ〉は直撃した。カイトの家は丘の上にあるので、水の被害は受けなかったけれど、代わりに、庭のソメイヨシノの太い枝が、一本おれてしまった。


〈シマエナガ〉台風が通りすぎた翌朝、ばあちゃんは玄関から出てまず、家の後ろにそびえる、ミガクレ山を見あげて、心配そうに眉をよせた。


ほこらさまは、大丈夫じゃろか」


 カイトも、ばあちゃんの横にならび、少しだけ目を細めて、お山の中腹あたりを見つめた。台風がすぎさったあとは、いつだって騒がしい。あちこちから音が重なって響いてくるから、〈おと〉がすごく「読み」にくいのだ。だけど、ぎゅっと、眉間に意識を集中する。


 ああ、「読め」る。小さな、小さな、歌うような〈おと〉が。



 ルーフルー バールファー



 ささやくような、だけど、たしかでやさしい〈音〉。それで、カイトもほっと息をもらす。


「ばあちゃん。ふうきんさまの〈音〉、今日もおだやかだよ。多分、ひどいことにはなってない」

「そうか。カイトがそういうなら、きっと大丈夫なんだろう」


 そういって、ばあちゃんは「ほう」と、小さく安堵のため息をこぼした。


 ミガクレ山には、ふうきんさまのほこらがある。風琴さま、というのは、カイトのご先祖さまの名前だ。正式には〈風琴オルガン〉という。


 カイトの母方の家系は、このふうきんさまのほこらを、ずっとお守りしてきた。母さんはひとり娘で、本当は家に残って、祠さまを、お世話しなくては、ならなかったのだけど、人一倍頭がよくて優秀だったから、今は連合王国の首都、〈しゅよう〉で、竜骨りゅうこつの研究をしている。


 竜骨りゅうこつ研究所で働くのは、母さんの長年の夢だったらしい。カイトが五歳の時に、政府から招かれて、その夢は実現した。名誉な仕事だし、断る理由はどこにもない。それに、もし断ってしまったら、もう二度と、さそわれることは、ないだろう。最先端の場所で研究する大チャンスは、母さんにとって、たった一度きりの、あの時にしかないものだった。


 それに――実のところ、カイトたちにとっても、それは「渡りに船」の話だったのだ。


 きらりと、足もとの水たまりのなかで、太陽が光った。


「じゃあカイト、なかにもどって、朝ごはんにしようか」

「うん。あ、でも祠自体はどうなってるか心配だから、オレ、ちょっとようす見てくるよ」

「今からかい? ごはんは」

「あとでいい」


 祠さまは、急いで歩いて、十五分くらいのところにある。


「そうかい。すまないね。もし、とちゅうで山道が荒れているようならば、無理はしないで、もどるんだよ。役場のかすがいさんに頼んで、やってもらえばいいんだから」

「うん」


 カイトは玄関をあがり、二階の子ども部屋に飛びこむと、PCを立ちあげた。グローブをはめ、空中エアーディスプレイに〈クラスルーム連らく用アプリ〉を表示させる。「出席・欠席」のボタンをクリックすると、「出席」の下に「フレックス」のバーがあらわれたので、これをスワイプ。文字の色が白から黄色に変わったのを確認して、電源を落とした。これで今日の授業は、保存記録アーカイブを使ってやる、フリータイム学習を選択したことになる。まあ、カイトはもともと学校に通えなくて、ふだんから自宅学習だから、たいしたちがいはない。


 たしかに、担任の湯葉ゆば先生の対応は柔軟だ。だからって、いいかげんな勉強のしかたをしてるわけじゃない。月に一度は、理解度チェックテストもあるのだから、勉強をサボったりしたら、すぐにバレて母さんに連絡がいってしまう。――それだけは、絶対にだめだ。〈しゅよう〉から母さんを呼ばれるくらいなら、家出したほうがマシだ。


 階段を、かけおりる。おりたすぐ先には台所がある。入り口にはピンクや黄色、緑、青、白と、カラフルなビーズの暖簾のれんが、かかっている。そのむこうから、お味噌汁と、お米の炊ける良い匂いがした。ばあちゃんは土鍋で米を炊く。黒光りする五合炊きの土鍋が、旧式のガスレンジの上でしゅーしゅー、ぶくぶくと音をたてるのは、毎日のことだ。母さんも、この音を聞いて育ったのだろうか、いや考えるなと頭をふって、廊下を足早にかけた。台所のとなりは居間で、点けっぱなしになっているテレビが、ニュースを伝えていた。


 ――〈薄明光線クレパスキュラー・レイズ


 視界を横切った青いその文字に、カイトは思わず足を止めた。いきおいを残した白いソックスが、廊下の上を、きゅっとすべる。その四つの漢字は、どんなときも、カイトの頭から離れたことがない。「〈薄明光線クレパスキュラー・レイズ〉号、消息不明から五年」という、残酷な一文が、ニュースキャスターの顔の下に、流れていた。


 キャスターの、茶金色の髪がなびき、純白の犬歯が、きらりと光る。


『宇宙のかなたより、未知の生命体が発してきたという〈おんが地球で受信され、その発信源として特定された、惑星アンドロトキシア。彼の星へむけて旅立った、移住探査船〈薄明光線クレパスキュラー・レイズ〉号が、その行路から行方を絶って、今年で、まる五年が経過しました』


 胸の奥が、ぐっとつまる。いつもは明るく親しみやすいと感じているニュースキャスターのおじさんが、急に憎らしくなり、カイトは顔をしかめた。たまりかねて、ぐるりと居間に背中をむける。居間の反対がわには、ばあちゃんの寝室をかねた仏間がある。お仏壇には、お線香があげられていて、その前に十代半ばくらいの少年の笑顔の写真と、お供え物の干し柿があった。カイトは少しだけ止まってから、やっぱりいつものように、お仏壇の前にちょこんと正座して手をあわせた。その目は、じっと写真の少年にそそがれている。


 手なんかあわせてるけど、オレ本当は信じてないから。兄ちゃんは死んでなんかない。ただ、宇宙で迷子になってるだけなんだ。みんな、他人ひとごとだと思って好き勝手言うよな。


 カイトは立ちあがると、玄関の壁にしつらえてある帽子かけから、緑のキャップをとりあげた。それをぎゅっと目深にかぶり、前をにらみながら家を飛びだした。


 形見の帽子だなんて認めない。これは、ただ兄ちゃんのお下がりってだけだ。


 その内がわには、はでな黄色で「くれツナグ」と書かれた、刺繍の縫いつけがある。



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