ショートショート「天才外科医のジレンマ」

十文字ナナメ

天才外科医のジレンマ

「分からん。なぜだ!」

 天才外科医は机を叩いた。女性看護師はため息まじりに作業の手を止めた。


「どうしました、先生」

「1031号室の患者のことだ。いつまでっても回復せんのだ」

 医者が担当するその患者のことは、看護師も知っていた。


「十分回復したと思いますが」

 ところが、医者はそうは思っていないようだった。自分の治療に誤りがなかったか、必死に思い返す。


「手術にミスはなかった。術後の処置も万全なはずなのに」

 事実その通りであったため、看護師は機械的に同意した。


「先生の治療はいつも通り、素晴らしいものです」

 しかし、医者は声を大にして疑問をていした。


「ならば、なぜおかしな数値が出るのだ!」

 もう退院してもいい頃なのに、検査で異常な数値が出てしまうことは、看護師も承知していた。


「私が測る時は、決まって正常値ですが」

 医者は驚いたように目を見開いた。まじまじと看護師を見つめる。


「それは本当か。測るのに特別なコツでもるのか?」

「特別なのは私ではありません」

 外科医は沈痛な面持ちになると、みずからの責任の重さを呪った。


「私は完璧でなくてはいけないのだ。患者のためにも」

「おそらく、それが原因かと」

 医者は立ち上がった。


「ますます分からん。資料をあたってくる」

 古今東西のデータをあさろうと、医者は白衣をひるがして部屋を出ていった。残された看護師は、あきれたようにひとり呟く。


「資料には載っていませんよ。だって――」

 問題の患者のカルテを引き出して、その数値に目を落とした。


「きっと、恋の病ですから」

 カルテの項目のうち、心拍数だけが高かった。

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ショートショート「天才外科医のジレンマ」 十文字ナナメ @jumonji_naname

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