第38話 明太子のおにぎりと無地キャップ③


 10月中旬の土曜日。

 淡い陽ざしが木々の合間に差し込んで、だいぶ色付いた楓の葉が、秋風に揺られそよそよと泳ぐ。


「桃子、何かあったら電話入れるのよ?」

「分かってるって」

「匠刀くん、桃子のこと、よろしくね」

「はい」

「いってきます」

「いってらっしゃい」


 玄関ポーチで母親に見送られ、桃子は匠刀と共に自宅を後にした。


 今日は久しぶりに匠刀とのデートの日。

 先月末に、定期検診以外で久しぶりに受診したこともあって、両親にだいぶ心配をかけたけれど、財前先生のアドバイスもあって、ちょっとだけ前向きになれている気がする。


「今日は5時起きして作ったんだからね」

「中身は?」

「それはお昼までのお楽しみだよ」

「やべっ、めっちゃ楽しみ」


 生まれて初めて匠刀にお弁当を作った。

 付き合い出してから匠刀がうちで食事するようになって、何度か母親と一緒に食事を作ったりしたけど、今日は母親抜きで、1人で全部作ったのだ。


 匠刀がテーマパークの入園券を用意してくれて、今日はそのテーマパークで1日デートを楽しむ予定。

 匠刀は右手でお弁当が入ったバッグを持ってくれて、左手で私の右手をぎゅっと握ってくれる。


「聞きたいことがあるんだけど」

「あ?」

「この間病院で、先生と何話したの?」

「……あぁ、あれか」


 チラッと向けられた視線が、あからさまに逸らされた。

 やっぱり、私のことを話してたんだ。

 匠刀は私の歩幅に合わせながらゆっくり歩き、十数秒してチラッと視線を寄こして来た。


「守秘義務っていうのがあるから、聞きたいこと全部は教えて貰えなかったけど」

「……ん」

「まぁ、俺なりに知りたかったことの半分くらいは解決できた」

「何それ。……だから、先生と何を話したの?」

「守秘義務で話せません」

「匠刀は医者じゃないじゃん」

「彼氏の守秘義務だよ」

「はぁ?そんなもんあんの?」

「あるね~~」

「意味わかんない」


 匠刀の腕を小突いて不服を訴える。

 すると、握っている手が引き寄せられた。


「俺ら、お似合いだって」

「っ……」


 顔を寄せた彼が、耳元にそっと呟いた。



 最寄り駅に辿り着き、電車の到着を待つ。


 あの日、先生から貰ったアドバイスは……。

『心臓に負担をかけない恋人との過ごし方』だった。


 好きだから、一緒にいたい。

 一緒にいたいから、相手のこともちゃんと考える。

 親にも聞けなかったことが聞けただけで、心の中の靄が晴れた気がした。


「なぁ」

「ん?」

「ちゅーしちゃダメ?」

「ダメ」

「ちゅっもダメ?」

「ダメ」


 口癖のように、甘える時に聞いてくる。


「向かいのホームに男の子がいるじゃん」

「……じゃあ、これで」


 くるりと体を回転させた匠刀は、電車待ちの男の子の視線を遮るように前に立ちはだかった。

 もう、……仕方ないなぁ。


「ん」


 『早くして』と言わんばかりに目を閉じて、顔を目一杯持ち上げる。

 すると、繋がれている手が離され、大きな手が私の後頭部を支える。

 

「……ん~んっ……っ……ッハァっ、長いよっ」

「いいじゃん、別に」


 にやりと口角を上げた彼は、満足そうに片手で私を抱きしめた。


『ドキドキを軽減したらいいだけよ』財前先生のアドバイス。

 盲点というか、灯台下暗しというか。


 今まで注意と回避しか策を講じて来なかったけれど。

 ドキドキすることも、きゅんきゅんすることも、日常化したらいいというアドバイスだった。

 だから匠刀とは、いつでもいちゃいちゃしてラブラブしていたら、ドキドキも薄らいで心臓に負担をかけなくなるという財前理論。


 いきなりホラー映画を観るとか、ジェットコースターに乗るとかはできないけれど。

 手を繋いで、ちゅーをして、ぎゅ~っもしてたら……。

 いつかその先に、ちゃんと未来へと繋がる道があるはずだと。

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