ラスボス暗黒騎士を餌付けしたら、なぜか聖騎士になりました。え? 私に一生尽くしたい?

三船十矢

第1話 見習い聖女アリシア

 大聖堂は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。

 前世は一般的な日本人である私は、いまだに宗教心というものを持ち合わせていないけれど、ここにある霊的な何かを感じ取って、いつも無意識のうちに背筋を伸ばしてしまう。

 古い石造りの壁には数百年の歴史が刻まれていて、壁の高い位置に嵌め込まれたステンドグラスは、昼時であれば女神の祝福を思わせる鮮やかな光を纏って美しく輝いている。


 ……今は夜なので、暗く沈んでいるけど。


 聖堂内には、かすかに香の香りが漂っている。甘く神聖な香りが、私の鼻をくすぐる。深呼吸をすると、その香りとともに、この場所の持つ荘厳さが胸に染み渡るようだった。

 重厚な木製の長椅子が整然と並ぶ中央通路。その先には、大きな祭壇が置かれている。祭壇の上には、繊細な彫刻が施された巨大な十字架が、威厳を持ってそびえ立っていた。

 この聖堂は、ずっと長い間、多くの信者たちの祈りと希望を受け止めてきたのだろう。その重みと威厳が、空気そのものにも染み付いているように感じられた。


 この建物は宗教都市カラドナにあるツァイトシュロス大教会――

 カラドナの中でも1、2を争うほどに格式のある教会だ。


 歴史ある建物において、広さと格式は比例関係にあって、ツァイトシュロス大教会はまさにありがたさの極みにあるわけだけど、今の私にはあまり嬉しくはない。


 なぜなら、これから掃除をするからだ。

 こんな夜更けに、たった一人で。


「頑張らなきゃ、ね」


 くよくよしていても仕方がない。それに、この肉体――私が宿っている『本物のアリシアの肉体』には宗教心が根付いている。おまけに根気の強さもあるようで、前世の私ほど、うへぇ、めんどくせぇ、な気持ちにはならないのだ。


 頑張り屋さんだね、アリシアちゃんは。


 バケツの水に雑巾を浸し、絞る。

 冬の水の冷たさが痛みとなって肌を刺す。エアコンも手軽なお湯もない、中世ファンタジーな世界観は、前世の便利さを知る私にはなかなかハードだ。


 だいぶ慣れたけどね。

 8歳のアリシアに憑依してから10年も経ったんだから。


 雑巾で机を拭いていく。広い聖堂の中は実に寒く、雑巾は冷たく、拭くべき対象がたくさんあるけども、手は抜かない。アリシアちゃんは生真面目な性格らしく、なかなか几帳面なのだ。

 なかなか大変だけど、掃除そのものは嫌いじゃない。綺麗になっていくのは気持ちがいいし、無心で作業に没頭するのは楽しいから。


 少しずつ聖堂を綺麗にしていると、何者かの足音が聖堂響き渡った。


 視線を向けると――

 そこには、私と同じ聖女見習いのエレノアが立っていた。


 だが、服装は全く違う。一般的なシスター服を着ている私と違って、まるで別世界から来た貴婦人のようだ。

 エレノアは、深紅のベルベットのドレスに身を包んでいた。胸元には金糸で繊細な刺繍が施され、裾には真珠が散りばめられている。普段のシスター服とは打って変わって、その姿は目を見張るほどの華やかさだった。金色の長い髪は、優雅に上げられ、真珠の装飾物が煌めいていた。


 さすがは、エレノア・クランデネロ『侯爵令嬢』といったところか。


 背後に立つ実家が貴族家の取り巻き3人も、煌びやかなドレスに身を包んでいる。

 ……彼女たちが参加予定のパーティーは、基本的にはシスター服での参加なのだけど――エレノアは、特別だから。


 この王国には『聖女』という役割が存在する。人々のために国の安寧を祈り、祭事を司る重要な役職である。

 当代の聖女が引退する関係で、次代の選出が近づいている。まもなく聖女候補者が選抜されて、その中から最終的な聖女を選出するとされている。

 このツァイトシュロス大教会から、代表として選考されるのはエレノアではないかと言われている。高貴なる家柄も、成績トップの実力もケチのつけようがないから。

 唯一の欠点といえば――


「この晴れの日に大変ね、成績が最下位の人は」


 口元に嫌味な笑みが張り付いている。

 ……こういう人物なのだ。万人を慈しむ聖女を目指す人材として、それはいいのだろうか……?

 くすくすと、追い討ちをするかのように取り巻きたちの笑い声が大聖堂に響く。


「でも、ヴィクター先生を恨まないでね? 出来の悪い――最下位のあなたが悪いのだから。成績の悪いあなたは、こういうことでもして功徳を積まないと。女神様に愛されないのだから」


「わかっております、エレノア様」


 ……それはその通りだ。成績という絶対的な評価において、劣等である私が悪いのだから。

 エレノアは、磨いたばかりのテーブルに近づき、視線を落とした。


「やり直しね」


「……え?」


「やり直し。拭きが甘いのではなくて?」


「そんなはずはないと思いますが……?」


 アリシアちゃんはマメな性格なので、その辺に抜かりはないのだけど。


「そんなはずはない……?」


 声色にも表情にも不愉快が満ちた。


「私が言っていることに、逆らうの? 貴族ですらない、あなたが?」


 全てが聖女見習いである以上、建前上は貴族も平民も……元貴族も全てが同じ立場なのだけど、実際は違う。やはり貴族には貴族の強さがある。特にエリートであり、平等であるはずがない、と全身で主張するエレノアには。


「……はい、エレノア様」


「そう、それでいいのよ。子爵令嬢のアリアナ?」


 エレノアの言葉に重なって、取り巻きたちの笑い声が続く。

 エレノアの言う通り、アリシアは元貴族家の人間だった。エレノアの公爵家と同じく、代々、教会と深い関係を持つ家柄である。

 だけど、今はもうない。

 ちょうどアリシアの体に転移した前後くらいに、家の取りつぶしが決定したのだった。

 ……ひょっとすると、そのショックでアリシア少女は精神的に死んで、私の意識が入り込んだのもしれないけれど。


「ちょうど掃除が長引きそうでよかったじゃない。パーティーには出席できない言い訳ができて。

 だって、着ていく服がないんだものね?」


 ひとしきり笑ってから、指でトントンと机を叩く。


「綺麗に掃除しておきなさい」


「わかりました」


 ようやく私に興味を失ったのか、エレノアが取り巻きたちを連れて出ていく。エレノアは振り返りもしなかったが、取り巻きたちの私に対する小さな嘲笑が、聖堂に響いた。

 ……彼女たちが目指す会場は、別にここを通る必要がないのに。

 もちろん、私を辱めるためだろう。エレノアは昔から、私に対する当たりが明らかに強い。気に入らないなら放っておいてくれればいいのに。


 どうして、そんな思いまでして聖女を目指しているのか?

 聖女を目指す――それは本物のアリシアの身に宿った強い意志だ。


 彼女は人に対して奉仕したい気持ちが強い人物らしく、今のところ、私はその意思に従って生きている。

 ……まあ、早くに両親を亡くしたので教会を頼るしかなかったのも事実なのだけど。


 いかんいかん、考えが暗く沈んでいく。

 無心で掃除をしよう。気分を変えるには実にふさわしい作業だ。


 黙々と掃除を進めていく。

 黙々と掃除を進めていく。

 黙々と掃除を進めていく。


 ……うん、ずいぶんとバケツの水が汚くなったね。水を取り替えるために教会の外に出た。


「……寒い」


 もうすぐ冬が来る時期だ。厚手のシスター服を着てはいるが、現代日本で買える服に比べると防寒性能は比べるまでもない。暗い気持ちに追い討ちをかけるかのような冷たさに背中を押されて、教会外の水道に近づく。


 汚水を捨てて、新しい水を汲んで――

 重いバケツを下ろした開放感のせいだろう、肩に軽さを覚えた私は、うううんと唸りながら両腕を伸ばして、ぐるりと周りを見渡し――


 ああ、そんなことするんじゃなかったなあ……。

 と後悔した。


 なぜなら、教会最上層の一室、ガラス窓からこぼれる煌々とした灯りが目に入ったから。

 なるべく見ないでおこうと思ったのに……。

 あの灯りが、エレノアの言っていた『パーティー会場』だ。今日、主だった教会の人々はあそこに集い、酔って笑って歓談を楽しんでいるきっと、とても暖かくて心地の良い空間なのだろう。

 なんでも、まだ20歳ほどの聖騎士が『第一位』に叙勲されたらしく、それを祝うためのパーティーが行われているらしい。

 エレノアの、あの気合の入った格好も、そのエリート聖騎士様に気に入られるためのものだ。邪推ではない。だって、数日前からずっとエレノアがそんなことを言っていたからだ。


 ……落ちこぼれの私には関係のない話だ。


 ああ、関係のない話だと割り切っていたのに――

 私の頬に一筋の涙がこぼれた。


 冬の寒い空の下、こんなものを見せられたのだ。意識しないでおいた惨めさが風のように立ち昇ってくる。身を切る寒さの、なんと辛いことか。

 ああ、異世界に転生したのはいいけれど……孤独だな……。

 寂しくて寂しくて、心の最も柔らかい部分がフォークでプスリプスリと刺されるような気分だ。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。わざわざ転生させておいてこの所業。女神様は私を憎んでいるのだろうか。

 ……前世は普通の会社員で、品行方正な生き様だけが自慢の女子なのだけど。

 女神様、恨む相手、間違えていませんか?


 ――そのときだった。


「ひょっとして、アリシアか?」


 男性の声がした。


「はい、そうですけど」


 反射的に応じ、涙を拭きながら視線を向ける。そこに若い男が立っていた。黒い髪と、意志の強そうな黒曜石に似た瞳。やや押しの強さを感じさせる人相だが、浮かべている表情の柔らかさが、少し毒を中和している。

 ――!?

 自分の心臓が爆発でもしたのか、という衝撃を覚えた。

 なぜなら、その顔には見覚えがあったからだ。


『くくくく、世界を滅ぼす? それだけでは足りぬな。暗黒に沈めて汚し、絶望させて、ゆっくりと滅ぼす。それくらいでちょうどいいだろう?』


『ああ……その音色はとても気持ちいい。もっともっと俺のために泣き叫んでくれ、お前の悲しみが俺の心を楽しませる!』


 そんなロクでもない言葉で有名な、RPG『エリクシアの花冠』のラスボス暗黒騎士ルシウス――

 顔の造形が全く同じだから。おまけに、声も。

 セリフの通り、最強かつ最悪なキャラであり、その容赦のなさと非道っぷりは過去のゲームでも屈指のもので、偏執的な側面において突き抜けたキャラクター性はネットで話題になったものだ。

 その、ルシウスが目の前に、いる?

 いやいや、そんなはずはない。

 なぜなら、その胸に輝いている勲章がおかしい。あれは、第一位に選ばれた聖騎士にのみ与えられるもの。

 世界を滅亡に導く暗黒騎士にはあまりにも似つかわしくない。

 であれば、別人――


「ル、ルシウス……?」


 そんなことを思いつつつも、うっかり私の口からこぼれた声を聞いて、若い男の表情がパッと華やいだ。


「覚えていてくれたんだね!」


 ……え?


「ラグーナ村の森で出会ったルシウスだよ!」 


「――!」


 その記憶は確かに私の中にあった。

 あのとき出会った黒髪黒目の少年と、目の前に立つ青年の面影が重なる。

 出会っている、確かに。

 私の脳裏にラグーナ村での過去が広がった。

 

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