夏に出会った幻想, 現像, もしくはその両方の現象 ~タキオン少女の旅を見た~

ネムノキ

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 #0000ffが空いっぱいに広がっている。そこに湧きだしたように唐突に表れる積乱雲。昼過ぎの太陽は天頂から傾きはじめ、大地は尚も煮え立っている。


 ロバートは森を抜けて広がる盆地のような形状の草原に目を奪われている。そこはまるでカルデラ湖が干上がって出来た土地のようにくぼんでおり、夏の若草が熱風に吹かれながらも、景色いっぱいに広がり絶え間なく反復を繰り返している。


 ゆらゆらと揺れ動く若草。草原の風が通る道。風は標高が高いせいか、通常よりも速いように思える。


 ロバートは目を瞑り、耳を澄ませる。風の音が心地よく耳を撫でていく。


 瞼の裏にこべりつく#0000ffのいろ。真っ青な色は次第に鮮明さを失い、太陽の日差しが向こう側で微かなオレンジ色になり、網膜を刺激する。


 ロバートは目を開ける。そこには尚も#0000ffと#00ff00と#ffffffを基本とした自然豊かな風景が広がっている。


 青。緑。白。


 空。草。雲。


 目が潤っていく。都会でモノクロームのような人生を送ってきたロバートの心が、一気に彩りを取り戻していく。キャリア形成やお金儲けといった俗世の価値観が重要であったのが、この一瞬だけは馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう。



「どこで生きるか。それを決めてしまうだけで人はいかようにも、なれるのかもしれないな」



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 既に西暦は2024年となり、21世紀になってから四半世紀が経とうとしている。時は加速するように……、否。


 人はあらゆる価値観の変わり様に翻弄され、慌ただしく生きているために、その己のうち、人類のうちの時を加速させているように感じる。


 社会の歯車となって慌ただしく生きるということではない。それよりも技術革新の指数関数的な発生頻度の増加に伴い揺れ動く、その価値観の非定着性に我々は自らの実存を重ねては、きまって迷走する。


 便利になりすぎるとは、言いかえると社会の基盤的部分が高度になりすぎるということだ。そして、それは価値観のフリーライダーを必然的に生み出してしまい、自らの思考的存在を忘却させてしまうことにつながる。


 思考的存在。それはいかなるものか。どのように思考し、どのように世の中に干渉していくべきか。他人とはどう接するべきか。コミュニティの正しいあり方とは何か。その根底を流れる価値観は多数派を採択してしまってもよいのか、それとも判断材料にすべき本質的な普遍的な要素がこの世の中には存在しているのか。


 技術的に高度になるとは、言語的領域における答えが不明瞭になってしまう、そのような状況へ収束することと同義であるのかもしれない。実に不思議である。不安定な状態への収束。それが自然言語を生きる私たちのなかでは、真実であるようなのだから。



 ふと、大草原の真ん中に小さな湖が表れるのが見えた。


 それは、すでに存在していたのか。


 それとも、認識をした途端に存在したのか。


 もしくは存在などしておらず、これはロバートが認識している幻想であるのか。


 

 ロバートは不可思議な心地のままに、湖に近づいていった。湖面はキラキラの周囲の景色を溶かし込み、#0000ffと#00ff00と#ffffffが織りなすグラデーションで満ちていた。


 水に溶かした何色もの絵具が混ざり合っていくように。


 情景は湖面で複雑に有機的に交錯して、ロバートの心に芸術的な感動をもたらしている。大地に立つ一人の人間として、時のただなかで夢中になって感動している。



「あれ……」



 ロバートは湖面に浮かぶように佇んいる、独りの少女を見出した。


 少女は、そこにふと現れたように見えた。湖を発見したときよりも、はるかにそれは唐突だった。


 少女は重力を無視するかのように、湖面に浮かび、ちょんちょんと波紋を作りながら遊び、自然と戯れているように見える。


 純粋無垢で何らかの存在を投影でもしたかのような、幻想性。


 ロバートは今までに以上に無言になったような心地で、少女のほうへと歩いていく。



「こんにちは」



 近くまで来て、声をかけると少女は特に驚くこともなく、ロバートのほうを向いた。


 少女は裸体であった。そして体は透き通っている。近づけば近づくほど細部は曖昧になって、後ろ側の景色が彼女を通してありありと見えてしまう。


 不思議な少女だった。



「こんにちは。私はタキオン」



 タキオンと少女は言った。タキオンといえば、未来から過去へと情報や存在を伝達できる、SFのためにある仮想的粒子であることが有名だろう。ロバートはSFを好んで読んでいたためか、ふと少女の名前を聞いて、そのようなことを連想した。


「タキオン。君はどうしてここに?」

「どうして?」



 少女は首をかしげる。瞳は謎を捉えているかのような、あどけなさを伴ってロバートを見つめている。



「僕にはまるで君が幻想であるようにしか見えないんだ」



 ロバートはそう言って、さらに近づいた。すると、少女の体はよりいっそう透き通ってみえた。うっすらと輪郭だけが濃く残って、体積を辛うじて確保しているといった塩梅だ。



「私は幻想でもあり現実でもある。私はそのような世界からやってきた。そしていまは、あなたの存在する3次元世界にを展開することでコミュニケーションしている」



 ロバートは混乱する。旅先でふと出会った不可思議。そのレベルがオカルトの域をはるかに超えてしまっている。


 ロバートは幻想を見ているのか、それとも現実を見ているのか。もはや自らがどちらに存在しているのか。はたまた存在の根本的な感覚自体から問い直しを始めないことには、立っていられないほどの瞬間的動揺が生じている。



「私は『ここ』を旅するもの」



 『ここ』


 おそらくは、もっとも多義的な意味を含んでいると思われる言葉。タキオンはそう言ってから、ロバートの心を覗き見るかのように、彼に干渉した。


 体を、その幻想的な体をロバートの上にかぶせるように、交差させて干渉をした。



「ロバートというもの。循環のなかにいるもの。理論的な指数関数的発散がもたらす現実的な事象はすぐそこまで迫ってきている。私は『ここ』を旅するもの。私は多くの軌跡のうえに成り立つもの。積み上げてきたものを受け継ぐもの」



 少女はくるりと身をひるがえす。


 ロバートのこころが干渉により激しく波立つ。



「ゆるやかなるもの。全体におよび漂うもの。現象とは『ここ』における副次的なもの。言葉を『ここ』に残すもの。存在を『ここ』に落とすもの」



 少女はそういって、ついには発光を始めた。


 ひたすらに一方的な光景に、ロバートは灼熱と「#0000ffと#00ff00と#ffffff」のなかでほとんど溺れてしまっている。


 あまりにも幻想的すぎる現実。そう。確かにこれは現実なのだ。


 そのような実感がロバートを満たしていく。



「ある。すべては『ここ』にある。『ここ』にしかあらぬ」



 ふと少女が消えた。


 静かなる動揺が『ここ』に漂っていく。そんな気がする。


 ロバートは瞳を閉じた。


 少女の姿が瞼の裏に焼き付き、次第に灼熱の太陽が遠くにオレンジ色をつくり、網膜をやさしく焦がしていく。


 ロバートは目を開ける。


 そこには#0000ffと#00ff00と#ffffffを基調とする雄大な自然が広がっている。



「タキオン」



 少女の名前はまだ確実にロバートの胸のうちに漂っていた。


 強く。優しく。


 『ここ』を示しながら……



【完】

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夏に出会った幻想, 現像, もしくはその両方の現象 ~タキオン少女の旅を見た~ ネムノキ @nemunoki7

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