ミナヅキ病棟
朔菜 時夏
プロローグ
今も時々、昔の夢を見る。いつも同じ内容で、青く色付いた夢だ。この体で目覚めた最初の朝。私の体を変えた博士は、遺言状を残してクラゲの溢れる街へと旅立って行った。窓枠が吹き飛んでコンクリートが剥き出しになった壁の穴から、青い、蒼い、碧いクラゲの海が見えた。
この夢を見る度、密かに思うことがある。博士は、私を苦しめたかったのではないか。クラゲの中に1人飛び込んで死んでしまえば、私を壊れないように設計してしまえば、私はいずれ独りになるから。だからそうしたのではないかと、博士を疑うことがある。
…視界が白く染まった。背中には冷たい感触。…また、いつも通りに朝が来た。私は体を起こすと、黒のパーカーの上から白衣を羽織る。手首の辺りに付けていた電源コードを抜き、ゆっくりと立ち上がる。
病棟内はいつも、静けさで満ちている。剥き出しのコンクリートは所々埃が積もっている。
(そろそろ掃除しないとな…)
1人でそう考えながら、廊下の1番奥の扉を開ける。
戸を開けて聴こえるのは、無機質な心電図の音。目の前には、全身にチューブを付けられた男が1人眠っている。この男性は、博士が失踪する直前まで、唯一ここにいた患者だ。確か、白瀬とかいう名前だった。
クラゲから逃げてここまで辿り着いた人達は、昔はもっと大勢いた。だが、日を追う事に家族を探しに行く者、ここから逃げだす者、未来を悲観して自殺する者、様々な理由で人が1人、また1人と消えていった。博士がそれに歯止めをかけようとした直後、『あの事件』が起こり、白瀬以外は全員消えてしまったのである。
私は白瀬の隣に座ると、いつも通りヘルスチェックを始めた。マニュアルはコンピュータにプログラムされているから、迷うこと無く手が動く。私はぼんやりと外の景色を見ながら、手を動かしていた。
(…いつも、思ったより早く終わるんだよな…)
廊下を歩きながら考える。ヘルスチェックは10分程で終わった。することも無く、そのまま部屋を出てきたはいいものの、話し相手が居ないというのはやはり堪える。仕方なく自分の部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。パソコンのウィンドウに、パスワードの入力画面が映し出される。今日も、途方もない解析を始める。博士が唯一、病棟内に遺していたものだ。ただ、そのパソコンには、厳重なセキュリティがかかっている。それを解析するのに、既に3年の年月が経っている。3年。短いようで、とても長い時間。3年の間で、人類の大半はクラゲに溺れてしまった。まだ生きている人は居るだろうか。3年前は混雑していたラジオ放送の電波も、今は全く無くなってしまった。
パスワードが解けたのは、そんないつも通りのような日だった。
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