【アップ】2023年11月26日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
天川裕司
【アップ】2023年11月26日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります
【本日の礼拝メッセージ】
https://www.youtube.com/live/8Q6ZQNx2gdg?app=desktop
【アメーバブログ】
聖書や讃美歌の内容などは、こちらのブログより閲覧できます。
ぜひお気軽にお立ち寄り下さい^^
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12830902629.html
前奏
招詞 イザヤ書63章15,16節
頌 栄 たたえよ、主の民[こ改25]
開 会 祈祷
主 の 祈り(週報裏面)
十戒・祈祷(週報裏面)
子ども説教
子どもと親のカテキズム問63
「神さまを礼拝する」
こどもさんびか
みんなでたたえましょう[改8(1節)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 503番
聖書
使徒言行録18章24~28節(新約P250)
ゼカリヤ書8章11~17節 (旧約P1487)
説 教
「福音の立証~平和の種を蒔きつつ」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 531番
みことばの交読文 詩編122編6~9節
感謝のささげものと執り成しの祈祷
頌 栄 542番
祝 祷
報 告
讃美歌~♬
「はるのあした」讃美歌503
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=qPaFm1Q5DSw
1
春の朝(あした)夏の真昼
秋の夕べ 冬の夜も
勤(いそ)しみ蒔(ま)く 道の種の
垂穂(たりほ)となる 時来たらん
2
御空(みそら)霞(かす)む のどけき日も
木枯(こが)らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の
垂穂となる 時来たらん
3
憂(う)さ辛(つら)さも 身に厭(いと)わで
道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を
神は愛(め)でて 見そなわさん
(Refrain)
刈り入るる 日は近し
喜び待て その垂穂
刈り入るる 日は近し
喜び待て その垂穂
讃美歌第531番「こころの緒琴に」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=DUgzEBHIi_Y
1.こころの緒琴(おごと)に み歌のかよえば、
しらべに合せて いざほめ歌わん。
(おりかえし)
あぁ 平和よ、 くしき平和よ、
み神のたまえる くしき平和よ。
2.天(あめ)よりくだれる きよけき平和は
まどえる心の 固(かた)きいしずえ。
(おりかえし)
3.主イエスを君とし かしこみ仰げば、
こころに溢るる 天つみめぐみ。
(おりかえし)
4.みそばにはべれば 平和は絶えせず、
なみかぜさわがじ こころの海に。
(おりかえし)
2023年11月26日 礼拝説教 中心聖句
このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
使徒言行録18章26節
万軍の主は言われる。平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び 大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。
ゼカリヤ書8章11,12節
はじめに
来週からアドベント(主の待降節)に入る今日、主の福音に思いを向ける。
1
「さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人」「アポロ(アポロース)」とは、北アフリカの港町で、当時、世界で最も多くのユダヤ人離散民が住んでいたアレクサンドリア生まれのユダヤ人のギリシャ名(元は太陽神の名)。ちなみに、ユダヤ人哲学者のフィロンも「アレクサンドリアのフィロン」と呼ばれる。フィロンは、旧約聖書注解において、ギリシャ思想哲学から出た「ロゴス(語りうるもの)」「イデア(見える形)論」を適用した。アポロは、「聖書(旧約聖書)に詳しく」「雄弁家(ロギオス)」であった。このアポロが、「エフェソに来た」。すでにパウロは、第二回伝道旅行を終え、第三回伝道旅行で「ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけ」(23節)ていた。エフェソはガラテヤ、フリギアの東側、アジア州の通商港。アポロは、アレクサンドリアからエフェソへ地中海を渡って来た。「彼(この人)は主の道を受け入れており(広め)、イエス(主)のことについて熱心に語り、正確に教えていた(沸き立つ思いで詳しく語り教えていた)」。しかし、「ヨハネの洗礼のことしか知らなかった」(「預言者と呼ばれたイエス」ルカ24章19節、「洗礼者ヨハネ」ルカ3章1~20節)。アポロは、主の教師としてエフェソで働きを開始する。
2
「このアポロ(人)が会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に(より注意深く)神の道を説明した」。アポロは、「ヨハネの洗礼のことしか知らなかった」とは、イエスの受難(死)と復活、昇天と聖霊降臨を知らなかったとも言える。プリスキラとアキラは、ローマを追われ、パウロとともにコリント伝道に励み、エフェソに滞在し、北アフリカから来たアポロに、聖書の証しするキリスト・イエスを伝えた。洗礼者ヨハネは「悔い改めと罪の赦し」のしるしとして洗礼を施したが、復活の主イエスが、弟子たちに命じられた福音宣教における、洗礼は「父(御父)と子(御子)と聖霊の御名の中に」施される(マタイ28章19節)。
3
「それから、アポロ(彼自身)がアカイア州に渡ることを望んで」、「兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた」「彼が聖書に基づいて、メシア[キリスト]はイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである」。アカイア州のコリント教会へ手紙をエフェソから書き送った使徒パウロは、ある者たちの党派心を戒め、「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか」(コリント第一2章16節)と問い、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神」(同3章6節)と伝え、「イエス・キリストという既に吸えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(同3章11節)と諭した(福音の「所有者」は神御自身、同3章21~23節)。
おわりに
万軍の主の激しい熱情により、神の所有(もの)とされた民の[残りの者」に「平和の種が蒔かれ」「ぶどうの木は実を結び」「大地は収穫をもたらし」「天は露をくだす」。世の激動の中でも、主の民として、平和の福音を、互いに、証ししたい。
(Mynote)
二〇二三年一一月二六日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『子供と親のカテキズム 問六三』
「第一戒で、神様は私達に何を求めて居られますか?』
「ただ一人の誠の神様だけを、私達の神様として崇め、信頼し、心から礼拝する事を求めて居られます。他のどんな偶像も神様として礼拝してはいけません。これが最も大切な戒めです。」
『出エジプト記』でモーセが神様の導きに依り、エジプトの奴隷の地から民を導き出し、十戒が全ての人々に与えられ、神様と人との関係に於いて基本と成る大事が教えられた事を引用されて居た。
(公同礼拝)
『使徒行伝』(第一八章二四〜二八節)
『ゼカリヤ書』(第八章一一〜一七節)
この両箇所は、キリストの真実に於ける福音の立証に就いて教えて居る。
『使徒行伝』の箇所では、アレキサンデリア生まれで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロと言う人物が登場する。このアポロはユダヤ人で、それ迄の人生経験からエペソ地方へ来て居た(これを神様の導きに依りエペソに来たとして良い)。
このアポロは主(しゅ)の道に通じて居り、又、霊に燃えてイエス様の事を詳しく語ったり教えたりして居た。けれど、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。その状態で、アポロは会堂で大胆に語り始め、人々に信仰に就いて教えて廻る。
これをプリスキラとアクラ(アキラ)とが開いて、彼(アポロ)を招き入れ、更に詳しく神様の道を解き聞かせた。
それからアポロがアカヤ(アカイア)地方に渡りたいと思って居たので、兄弟達は彼を励まし、先方の弟子達に、彼(アポロ)を良く迎える様にと、手紙を書き送った。彼(アポロ)は到着して、既に恵みに依って信者に成って居た人達に、大いに力に成った。彼(アポロ)はイエス様がキリストである事を、聖書に基づいて示し、公然と、ユダヤ人達を激しい語調で論破したからである(『使徒行伝』第一八章二四〜二八節までをほぼ引用)。
幾ら信仰に詳しく「自分は信仰厚く正しい人だ」と自負して居ても、信仰に於ける大事が無ければ、当然その人の信仰の在り方・姿勢は不足したもの、或いは間違ったものに成る事がある。アポロは子供の頃から雄弁家に成る為の教育を受けて居た様で、その弁論法を以て人の耳目を集める事も出来る上(これは神様に初めから与えられた賜物としても良い)、その時の自分の精一杯の状況・信仰の状態を以て人々に説き明かして居た。けれどそれが上記の理由で「イエス様の存在が抜け落ちて居る点に不足が在る事」をパウロと共に福音活動して居たアクラとプリスキラに教えられ、その事をアポロは素直に受け入れ、それ迄の自分に在った不足を充分に知った。人はそれなりに自信を持って居たり歳を取って経験を積む事で、大抵の場合は頑なになったり、プライド(自尊)により「自分を少しでも否定する内容」を退け、その非難に似た注意を持って来た人を恨む事もある。それから見てこの時のアポロの姿勢とその後の行動は立派と言え、又それ故にアポロが救われると共に、アポロがその後教えた人達も救われる事になる。この全体を通して神様の導きであると言え、この「不足を教えられる上で、本当の救いの福音に出られる様に」と成長させられる為にアポロはこのエペソに来たとも取れる。
ここで最も重要な事は、「イエス様の事をどう理解して居るか?」と言う事である。
『ルカによる福音書』(第二四章一三〜五〇節まで、特に一八節〜二二節を参照)では、イエス様が十字架に掛かられてから三日目に甦られ、その時にエマオ地方でイエス様が共に歩かれた二人の人が言った事、その会話の中で「現実の人々がイエス様の事をどう考え思って居たか?」が語られる。この時二人は、
「ナザレのイエスの事です。あの方は、神と全ての民衆との前で、業(わざ)にも言葉にも力ある預言者でしたが、祭司長達や役人達が、死刑に処する為に引き渡し、十字架に付けたのです」と語った。
詰りイエス様の事が救い主ではなく「預言者」留(ど)まりになって居り、他の預言者達、即ち他の人と変わらない存在として捉えて居た事に成る。この点で「イエス様は人で在りながら唯の預言者ではなく、飽くまで人を罪の内から救い出す救い主としての認識」が必要と言う事であり、この二人にしてもアポロと同様に「イエス様の事を知って居てもその認識が不足して居る事」が明かされて居る。これは現代にも当然同じく言える事であり、ただキリストの真実を知って居ると言っても、そのつもりになって居るだけの事が多く、イエス様を「本当の救い主、死から復活されて、全ての人を罪の内から救い出す救い主である事」をどれだけ本気で信じる事が出来て居るか?…が問われるのである。
イエス様の事を、単なる預言者留まりの認識で、他の人と何ら変わらない存在に捉えて居れば、イエス様も罪人と同じ存在に成り、救い主とは成り得ない。この点を間違って覚えては成らず、イエス様は罪の無い存在として神様から一人子として人の間に遣わされたのであり、他の罪人の内から生まれた預言者とは全く違い、純粋な救い主として認識する事が先ず必要に成る。でなければ、パウロの福音活動や、その前にあったペテロを始め十二弟子に依る福音活動も、救いの当てを見失った儘での活動と成り、虚しいものに終わってしまう。その罪人が求める先に救い主が存在して初めて罪人は救われるのであり、この事を先ずどれ程の信仰を以て本気で信じる事が出来るか?イエス様の事を正しく認識する事が出来た上で信仰を持つ事が出来て居るか?…が問われるのである。神様がイエス様を通して人に与えた恵みに就いて、どれだけ正しく理解して居るかと言う事である。
アポロはこの事を、パウロを始めアクラとプリスキラから諭され教えられ、その「自分に不足して居た『イエス様への正しい理解と知識』」を得た上で、その後、更に力強く多くの人の中に福音を以て歩き、神様の導きに身を委ねて罪からの救いを伝えた。この信仰に於ける正しい姿勢と知識の持ち方が、クリスチャンだけでなく、全ての人にとって大事と成る。大雑把にイエス様の事、信仰の事を学び知るのではなく、注意深く学び知る事に大事が在る。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎牧師 ミニ説教18 「人と異なることをもあえて」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zJN_HPUMu0E
[ドキュメンタリー]放蕩息子たちの帰る場所
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gfhre6IfM8Q&t=1126s
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
チャーリーズ・グレート・ディクテイター・スピーチ・リミックス
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=tWYJLUKjmlQ&t=5s
((お気に入りのチャップリン映画 お暇な時にぜひどうぞ)
【アップ】2023年11月26日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji
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