サン‐サーンスと『動物の謝肉祭』

清瀬 六朗

第1話 サン‐サーンス

 サン‐サーンスは、「白鳥」が飛び抜けて有名なこともあって、小編成の小品の作曲家という印象が強いのではないかと思う。

 少なくとも私自身はそういう印象を持っていた。

 しかし、実際には、むしろ重々しい本格的オーケストラ作品が「本領」ではないか。

 もっとも、私が聴いたサン‐サーンスの曲はそれほど多くないし、その聴いた曲がオーケストラ曲が中心だった、という事情は考えなければいけないだろう。ただ、そういう事情があるとしても、やっぱり、サン‐サーンスは重厚なオーケストラ作品を主に志向していたんじゃないかと思う。

 その理由はというと、サン‐サーンスがフランスの愛国者だったから、少なくとも「フランス文化を愛する人」だったから、だろう。

 サン‐サーンスの時代のフランスは、いま私たちがクラシック音楽と呼んでいる音楽の分野では、ドイツに後れを取っていた。音楽の「進む‐後れる」の基準なんてあいまいだから、ほんとうに後れを取っていたかどうかはわからないけど、音楽家のなかにはそういう「後れ」意識をもった人たちがいた。

 その一人がサン‐サーンスだった。

 ドイツとオーストリアでは、ベートーヴェンが登場し、そのあと、シューベルトやメンデルスゾーンやシューマンが登場し、一九世紀後半にはワーグナー、ブラームス、ブルックナー、そしてマーラーやリヒャルト・シュトラウスの時代へと続いて行く。ビッグネームばっかりである。とくに、一八八〇年代には、ワーグナーの音楽はフランスでも広く知られていて、それがその「後れ」意識をかき立てた大きな要因になった。

 もちろん、それ以外に、今日では作品があまり採り上げられない作曲家もいろいろいたわけで、「クラシック」の主流はドイツ(オーストリアを含む「大ドイツ」、「ドイツ語圏」)という雰囲気になってしまった。

 それに対して、フランスでは、その時期、「重厚なオーケストラ作品」の作者として今日まで名が残っているのはベルリオーズぐらいだ。

 しかも、ドイツやオーストリアではベルリオーズの作品は正当に評価されたとは言いがたいようだ。指揮者の岩城宏之は、『フィルハーモニーの風景』(岩波新書、一九九〇年)で、二〇世紀後半にウィーンフィルでベルリオーズの「幻想交響曲」を指揮したところ、「貴方はこんな現代的な曲も演奏するのですか?」などと言われたという。ベルリオーズの「幻想交響曲」は一八三〇年の作品なので、二〇世紀に演奏して「現代的」ということはないはずだが、ウィーンの(ウィーンフィルを好んで聴くような)聴衆はあんまり聴いたことがなかったのだ。

 一九世紀後半の前半(第三四半期)のフランスはオペレッタ全盛時代だった。いまのミュージカルにつながる、もしかするといまのミュージカルより軽くておしゃれな「音楽つき舞台劇」だ。そのうち、いまもポピュラーな代表的な作品が「地獄のオルフェ」、もっとよく知られているタイトルで言えば「天国と地獄」だ。

 サン‐サーンスは、そういう「軽妙なフランス音楽」、「カルいフランス音楽」ではない、重厚なフランス音楽を作り出そうとした。それも、当時は「重厚な音楽と言えばドイツ音楽」であったのに対抗して、「ドイツ音楽のコピーではない、重厚なフランス音楽」を目指した。

 その成果である大曲の一つが交響曲第三番「オルガン付き」だろう。

 普通は四楽章の交響曲を、「前半」(第一楽章と緩徐楽章)の第一楽章と「後半」(スケルツォと最終楽章)の第二楽章の二楽章にまとめ、「前半」の後半からオルガンが伴奏的に入る。「後半」の前半(普通はスケルツォ楽章にあたるところ)までは伴奏またはオーケストラの一楽器としてあまり目立たず演奏してきたオルガンが、「後半」の後半で独奏楽器として壮麗な響きを奏で、オーケストラも大音量でそれに応じ、オルガンとオーケストラとで対等に曲を盛り上げていく。エンターテインメント性も高い感動大作である。

 四楽章を二楽章にまとめたところにも「ドイツ音楽のコピーではない」という性格は出ているのかも知れないが、実質的な曲想は「前半の前半」・「前半の後半」・「後半の前半」・「後半の後半」の四楽章なので、私はそれほどオリジナリティーがあるとは思わない。

 楽章構成のオリジナリティーとしては、最終楽章の前に「不安、動乱、やけっぱち的な高揚感」を表す第四楽章を挿入したベルリオーズの「幻想交響曲」のほうが上だろう。なお、最終楽章の前に「不安、動乱」の「嵐」的楽章を追加するという楽章構成は、ベートーヴェンの交響曲第六番「田園」でも同じで、「幻想交響曲」の五楽章構成がたいへんオリジナリティーが高いとも言えないのだけど。

 サン‐サーンスがこの曲で「ドイツ音楽とは別方向」で重厚さを狙っているのはよくわかる。しかも、「軽妙なフランス音楽」の系統も引き継いで、ともかく派手だ。オルガンが加わっているだけでなく、ピアノも入っていて、それが二人の連弾で、印象的に目立つパッセージがある。

 ただ、このころになると、フランスでも、今日でもよく演奏されるセザール・フランクの交響曲や、ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」(私は聴いたことがない)など、重厚なオーケストラ音楽が現れるようになる。だから、サン‐サーンスだけが「ドイツ音楽のコピーではない、重厚なフランス音楽」を実現した、というわけでもないのだけど。

 なお、同じ一八八〇年代半ばから後半に作曲されたフランス以外の交響曲には、ブラームスの交響曲第四番、ブルックナーの交響曲第八番、チャイコフスキーの交響曲第五番、ドヴォルザークの交響曲第七番とかがあって。

 サン‐サーンスの「オルガン付き交響曲」も含めて、私の好きな曲が多くて、なんか、この時代、すごい、という感じである。

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