第55話 さよなら羞恥心

「ドミニク伯爵……お、お久しぶりです」

「ええ、お久しゅうございます、聖女様。

この度は父が大変世話になったそうで、遅れてしまいましたが御礼とお詫びを申し上げたく存じます」

「そのような……」


何だ今度は一体何が始まる。

身構えるヘリアンサスを他所に、伯爵は長老に話しかけた。


「ここのところ、父上のお噂は盛んに耳に入って参ります。

聖女様と楽しく語らい、日に日に若返っておられるようだと執事からも聞きましたよ」

「あ、あやつめ余計なことを……」


長老は顔を引き攣らせる。

しかしそれで、少しばかり生気が戻ったように思われた。

その間に伯爵は足を進め、長老の差し向かいに腰を下ろす。


「……クロードアルト殿が、この街の発展について何かと興味深いことを語ってくださいましてね。

私はそれを拝聴し、検討の末国王陛下に与することが最も我が家にとって有益であると判断しました」

「…………そんなこと一々報告せんでいい。

既に家督はお前のものだ、お前の思うようにするが良かろう」

「いえ、是非父上に聞いて頂きたいのです。

クロードアルト殿はこの領地のため父上が成した功績を称え、観光拠点としてのさらなる繁栄を考えていると仰ったのです」


それまでに語られたという一連の展望。

それらを一通り語り終えたところで一度言葉を切り、伯爵は首を傾げた。

前提を確認するような口調で後を続ける。


「……これまでの経緯において。

私が中立派に留まったのは、陛下がどのような御方であられるのか……それが掴みかねたというところもあります。

ですがああした方がお傍におり、我が家に差し向けて下さるならば、お味方するに否やはありません。

実際、戦争が激化しても領地には何の益もないのですから」

「それが一体何だというのか、お前の好きにすれば良いと先程から――……」

「まあそう焦らずに。

更に先日はベアトリスをお連れになって、そこで色々と話をしたのですが。

そこで分かったのは、ベアトリスは音楽の素晴らしさを広めることに大変意欲的だということです。

クロードアルト殿には、このベアトリスを軸に音楽の街として名を挙げることを勧められました。

カエルムにまつわる展望の集大成。

それが神殿と和解し、その証たる聖女の劇場を建立することです。

元々カエルムは聖女の伝説が残る土地でありますし、当代の聖女様の演目を真っ先に上演したとあれば話題性に不足はありません。

神殿との融和、音楽都市としての発展。

これによってカエルムは生まれ変わります。

ベアトリスも故郷をより豊かなものとしたいと、大変やる気があるようですが、聖女様御本人の承諾が得られていないとのことでした。

それについてクロードアルト殿に問い合わせたところ、聖女様は快くご了承下さったと……聖女様、そうですよね?」

「…………」


…………い、い、いや、この流れで否定はできない――――!!

視線が集まる中、ヘリアンサスは必死に愛想笑いを維持して言葉を絞り出す。


「……は、はい……そうです……」


……さようなら羞恥心。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、泣く泣くそう返すしかなかった。


「……う、うむ。

仕方があるまい、そういうことなら……古い柵を脱し、カエルムが更に栄えるというのならばワシとしても文句はない。

い、いや別にベアトリスに会いたいというわけではないがな……!」


愕然とした様子だった長老は、しかし我に返るとすぐにそう言った。

こうした言葉がするりと出てくる辺り、やはり長老の領地への愛は本物なのだろう。

伯爵もその答えに表情を緩めた。


「……ではそれも含めて、今夜は親子で静かに語らいましょう。

思えば家を継いでから、じっくりと話す機会もありませんでしたし」

「そ、そこまで言うなら……

皆に支度をさせるとするか、少し待て」


長老がそわそわと呼び鈴を鳴らそうとする横で、伯爵に静かに目配せされた。

……確かに、ここからは親子が対話すべき時間だろう。

ヘリアンサスはリリウムの手を引っ張って、席を外すことにした。

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