第50話 神官との会話

「……クロードアルト殿のこと、ですか?」

久しぶりの会話で水を向けたそれに、カエルムの神官マルクは目を瞬いた。

そんな怪訝そうな表情とは別に動きやすい服でせっせと美化活動に勤しむ彼を、ヘリアンサスも横目に見つつ手伝う。

彼には少なからず仲間意識があるので、時間の許す限り手伝うようにしていた。

リリウムは近所の子供達に誘われて、そちらを手伝いに行っている。

いつの間にか顔見知りになっていたようだ。


麗らかな初夏の陽気の中で、今人々は川ざらいをしている。

そんな中で話題に出したのは黒髪男のことだ。

長老の方はこれ以上どうして良いか分からないし、気分を変えて別側面から探りを入れてみても良い。


そうですねえとマルクは、記憶を探るように遠い目をした。


「大変優秀な方でしたよ。

元々飛び級だった上、短時間で卒業していったもので机を並べる期間も短かったですね……

噂に聞いたところによると、母君が中央貴族であり、グラディウス家の縁者だとか」


どうやら黒髪男は父が北部貴族、母は北部との紐帯を強めるために嫁した中央貴族であるらしい。

その母親がラウラの乳母になったことで彼女や、グラディウス家で育てられていた国王と幼馴染の関係になったようだ。


「では現陛下とは幼い頃から親しい仲で、今は側近であられると……

そうであれば、余人には測れぬような強い絆で結ばれているのでしょうね」

「恐らくはそうでしょう。

陛下はほら、色々と大変なお立場ですし……

数少ないお味方であろうと思いますよ」


では、裏切り者の線は薄い……のだろうか。

確かにヘリアンサスからしても、黒髪男が国王に仕える姿に不審さは見られない。

長い付き合いだからこそ積もり積もったものがあるのかもしれないが……

いや、あれは多分嫌いな相手とはさっさと距離を置く人種だろう。

他国と戦になって勝ち目が薄いとなれば、寧ろさっさと内通して被害軽減を狙う口だと思う。

こんな局面になっても付き合うのなら、相応の思い入れがあると思う。

結局敵味方のどちらだろうと、一筋縄ではいかなさそうだが……

そんなことを考えながら相槌を打ちつつ、続きを促してみる。


「まともに話をしたのはこの前が初めてでしたが、随分と心を砕いてくださって。

私にできる協力など聖女様をお呼びするくらいですのに、これを機に是非支援させて欲しいと。

神殿関連のことは、正直自分でもどうして良いか分かりませんでしたので……

昔の知人の親切が胸に染みました」


何やら感じ入っているらしい神官には悪いが、ヘリアンサスはそれを鵜呑みにはできなかった。

曖昧に話を合わせて手を動かしながらも、頭に浮かぶのは黒髪男のこれまでの言動だ。

以前会った時に見せた、陰湿な瞳の輝きを思い出す。

あれを思うと、どうにも胸中に警戒心が立ち込めるのだった。


「ですが最近は、大分街での風当たりも弱まっておりまして。

この頃は歴代聖女様のことや、教えについて聞かれることも増えてきているのですよ。

それもこれも、全て聖女様がお出で下さったお陰です。

ですから聖女様には一番感謝しております」

「そんな、私など些細な切っ掛けでしかありませんわ。

常日頃から励んでいらっしゃる方の真心が伝わったのでしょう」

「その切っ掛けが何より肝要だったのです」と神官が言って、それからは暫くお互い無言で作業を続けた。


長老が整備したという立派な水路を見つめる。水路。

水と言えば、そう言えば。ふと思いついたことを聞いてみる。


「そう言えばこちらの街には、聖女の逸話がございましたよね。

確か七百年ほど前の……」

「ああ、それは……ご存知でございましたか」

「一応調べて参りましたわ。

ですが今となっては、皆様忘れ去っておられるようですけれど……」

「それはまあ……

今では寧ろ、神殿関係者くらいしか知らないことかもしれませんね」


苦笑しあって、以前学んだことを思い返す。

時は七百年前、アダルベロとの領土争いが最も激しかった頃だ。

争いの最中、激闘によって武器を始め前線が物資不足に陥った。

国王の命を受け、その頃も王国の物流拠点であったカエルムは――当時はその名称ではなかったが――湾岸から船を出して物資を送り届けようとした。

したのだが、湾の出口に当たる辺りで嵐が発生し、船が出せずに往生する羽目になった。

そこで祈ったのが当時の聖女である。

嵐は静まり、それによって物資を調達することができた――というあらましである。


「ここがカエルムと呼ばれる前、それこそドミニク家も興っていなかった頃のことですがね……

ああ、そう言えば。聖女様は長老様のお屋敷に滞在なさっているのですよね」


僅かに声の調子が変わった。

それに引かれるように顔を上げて横を見る。

「はい、そうです」と返すと、マルクは何かを思い出すように遠い目をした。


「仰る通り、長老様の元に身を寄せておりますけれど……それが何か……?」

「いえまあ、……今ふと思い出したのですが、以前私もあそこへご挨拶に赴いたことがありまして。

その時、少し変わったことがあったのですよね」


「それはどんなことですか?」と聞くと、マルクは一度手を止め首を傾げる。

今でも疑問を消化できていないのか、本当に不思議そうな顔だった。


「長老様と神殿の経緯が経緯でしたので、私も石を投げつけられる覚悟で参ったのですが……

長老様御自身は、たまたまご不在で。

帰ろうとしたところ、執事の方が出てきて小銭を渡されるという出来事がありました」

「小銭……と言いますと」

「それがまた不可解な額でして……銀三枚だったのです」


思いがけない話に眉を寄せる。

何だそれは。

名門貴族ともあろうものが喜捨でそんなしょぼい額を渡すはずがないし、そもそもそれまでの経緯からしてそんなことをするとは思えない。

執事の私用とも思えない。

貴族の家に仕える執事が、勤務時間中にそんな真似をするはずがない。


「そんな半端な金額でしたから、当時の私はてっきり、侮蔑だとか難詰だとか、まあそんな意味合いの施しだろうと思ったのですが……」

「そうですか……確かに、それは不思議ですね。

ですが、長老様がそうしたことをなさるとも……

あの方ならばご自分で罵るなり追い立てるなりするでしょうし」


そうですよね、だから今でも少し不思議なのです。そう言って神官は笑った。

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