第45話 町の人々の話

……あれ以来、長老から何かを言いつけられることはぱったり止んだ。

そうなればヘリアンサスたちは本来の客分に立ち戻るだけで、忙しない日々は途端に退屈なものになった。

朝支度をしながら、何となくそんな話になる。


「長老様も、この二三日めっきりお部屋から出てこないわね。

あの大声が聞こえないのは、安心するような落ち着かないような」

「そうですね……でも、何だか寂しいです」

「……そうなの?ここでのことは、色々辛かったのではない?」

「……いえ、嬉しかったです。最近は何だか昔に戻ったようで……。

お掃除や雑用は良くしたものですし、正直少し楽しかった」


それを聞いたヘリアンサスは少し驚き、続いて微笑する。

そんな風に思っていたとは。

ヘリアンサスも懐かしかったし、ここの生活は悪くなかった。

それはそう、紛れもない本心だった。


けれど、いつまでもこのままではいられないのだ。


「……時間を無駄にしてもいられないわ。

町の方々に、話を聞きに行きましょうか」


結局大切なものは情報なのだ。

よく分からない流れでこういう状況になったが、本来の目的を忘れてはいない。

以前最終目標は、ドミニク伯爵家を味方につけることだ。

そのために神殿への悪感情を緩和させなければいけない。

本人が口を割らないなら尚の事、可能な限り手掛かりを集めて、落とし所を考えていかなければ。

黒髪男だけに投げるわけにもいかない。

鏡を見直して身嗜みを確認し、いよいよ町中に繰り出した。

いつの間にか避けられることも少なくなっており、何人かから話を聞くことができた。


「長老様のことですか?

神殿とのあれこれは、私が生まれた時にはもう決着していたので何とも……」


「ああ、あの騒ぎならよく覚えております。

神殿の小者が伯爵邸にまで日夜押し売りに行って。

ですが当初は長老様も、頭ごなしに撥ね付けるわけではなかったのですがね」


「あの方は領民のことを常に考えて下さいますから。

民が楽しんでいるなら……と、ある程度は目溢し下さっていたようです」


「ある種の祭り騒ぎのようなものでしたよ。

今でこそ悪しきことのように語られますが、結構楽しんでいた者もいましたね」


「……いやまさか、神殿の霊験など話半分です。

時にはそういうあやふやなもので盛り上がりたい時もあるのですよ」


「……とは言えやはり、伯爵家の貿易取引先と揉め事を起こしたというのはねえ……」


長老様がお怒りになるのも無理はない、最後に話を聞いた一人はそう笑って締めくくった。



「……少し、意外でしたね。ヘリアンサス様」

「……ええ。完全な悪行のように思われている、というわけでもないのね」


勿論、こういう一面的な話を鵜呑みにするわけにはいかないが。

当時を知っている者は高齢で、神殿への忌避感が残っている者も多いようだった。

だが、割りかし気さくに相手をしてくれた者からは、意外なことを聞き出せた。

やや草臥れた気分でついた帰り路で、ふと見覚えのある顔を見かけた。

野外の舞台で、夕暮れに歌を披露するようだ。

ふらりと引き寄せられるようにそちらへ向かうと、先程顔を合わせた町人がいた。


「おや、聖女様」と会釈する彼に挨拶を返し、「あの方は……」と聞いてみる。


「ベアトリス様をご存知なのですか?もうお会いしていましたか」

「ええと、はい。以前劇場で、歌声をお聞きする機会がありまして……

とても美しい御声でした。こちらでも歌唱をなさるのですか?」

「ああ、そうですね。我が街が誇る歌姫ですから。

以前は勧誘を受けて王都で活動なさっていたのですが、半年前にこちらへ戻られたのですよ。

慈善活動にも熱心な方で、この辺りの者は皆あの方を知っています。

今から開催されるのも、市民のための無償の舞台でして、おひねりも全て慈善団体にと……」

「まあ。王都で歌うほどの御方が……」


舞台を見つめると、貴婦人と呼ぶに相応しい微笑で奏者に語りかけている。

続々と人は集まってきているようで、薄暗い中で各々携えた明かりが揺れる。

まるで星が集うようだ。

興味がないではないが、そろそろ帰った方が良いだろうと考える。


「リリウム、逸れないようにね」と声を掛けて、人波をかき分けようとした時だった。

どんという音と衝撃とともに、何かにぶつかって転倒する。

リリウムの慌てたような顔の向こうには、フードを被った小柄な人物が見えた。


「ど、どこを見ておるこの――!!」


と言い掛け、ふと口を噤む。視線を感じる。

一瞬硬直してから、人影は勢いよく身を翻し、人波に消えてしまった。


ヘリアンサスはその背を見送って、見えなくなってから目を見開いた。

見間違いかと思う。続いて人違いかと思う。

暗かったし、目の錯覚が生じてもおかしくない。

いやでも一瞬見えたあの顔は確かに。


「ちょ、長老様……?」


なんでここに?と言いたくなるのを、堪えるのがやっとだった。


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