第127話 そのとき、誰もが夜空の花を見上げていた 10-13



 なにか考えがあってのことじゃない。

 ただ、そうするしかなかったというだけだ。



 強引に子ネコを胸の中に抱き入れたとき、あたしはもはや自分が致命的なまでに出遅れたことを悟っていた。


 もう爆発範囲からのがれることはできない。



 あたしはわずかな可能性に賭け、梯子はしごの下に飛び込んでいる。


 鐘楼しょうろう内部ないぶの踊り場に肩を打ちつけ、脱臼だっきゅうしそうな衝撃に全身をきしませながら螺旋階段らせんかいだんを転げ落ちていく。



 それでも子ネコを傷つけないようやさしく抱き、少しでも空気に触れる面積を減らすよう包み込んでいた。



 あの爆弾がスナイパーキラーと呼ばれるのは、遮蔽物しゃへいぶつの内側だろうと、建物の中だろうと関係なく、空気が通る場所すべてを焼き尽くす性質を持っているからだ。


 案の定、先ほど以上に強烈きょうれつなガソリン臭が瞬時に周囲へ満ちるのを感じた。



 ごめんねオジ、失敗しちゃった。


 急にシリアスめの過去なんか思い出すのも、死亡フラグだったわ。



 せめて子ネコくらいは助けられないかと思うけど、正直あたしはあまり運がいいほうじゃない。



 でもまあ、少しはなりたい自分に近づけたかな。


 胸の中に柔らかな体温を感じながら、生命とはこんなにも温かったんだと思い出す。



「ああ、今度はキミと夜明けを見たかったな」



 次の瞬間、白い光が網膜もうまくの受容限度を超えてはじけ、砂漠の街を凄まじい猛火が包んだ。




 ――それは月なき夜に日がのぼるがごとく、天上を焼いてげられた。


 鐘楼しょうろうを中心に家々をみ、街の一角を悲鳴と炎によってつぶしてしまう。



 一瞬前まで神殿や鐘楼しょうろうの周辺には騒ぎを聞きつけ、数多くの人たちが様子を見ようと集まっていた。


 だが数千度の高温は瞬時に彼らの表皮を焼き尽くし、何百もの人たちが凄絶せいぜつな爆圧によって内臓を液体状にシェイクされる。



 超高温・超高圧の爆風は家々の中にもくまなく吹き込み、レンガ造りの家を凶悪なオーブンに変えてしまう。


 耳をろうする爆音は一千にも届こうという悲鳴をアンサンブルにおぞましい葬送曲そうそうきょくかなでて、残った遺体さえも瞬時に火葬してのけたのである。



 それでも星々をも掻き消し、夜空さえもだいだいに染めて駆け上がっていく火柱は、いっそ悲壮なまでに美しかった。


 あたかも、巨大な炎の花のごとく。



 宵闇よいやみいて、咲く。




 ――その瞬間なにが起きたのか、幼いファラオにとっても到底理解の及ぶものではなかった。



「うわぁああああああッ!!?

 み、美弥子みやこっ、いったいなにを!」



 背中から吹きつけられるげつきそうな熱波にうなじを焼かれたかと思えば、次には吹き戻しの風が氷点下で顔に叩きつけられてくる。


 激しく乱れる大気によってみくちゃにされながら、セトは必死にドローンにしがみつくことしかできない。



『王子、一分間は息を止めていてください』

「えっ!? わぁぁッ」



 最低限の説明で、いきなり水の中に放り込まれる。



 それでもセトには、言いつけ通り限界まで息を止めてることしかできない。



 もともと言いつけ通りにするだけなら得意なほうだ。


 なにより、それ以上に恐ろしいなにかが起きたことだけは理解していたから。



「はあっ、はアッ!? も、もういいのか?」



 やがて勢いよく水面から顔を上げ、ここが誰かの家のプールだと気づかされる。


 美弥子みやこのドローンも近くに待機してくれてるわけではなさそうだ。



 カガラムでは金持ちの家には必ずと言っていいほどプールが備えつけられている。


 この街では水を大量に持つことこそ、豊かさの象徴だからだ。



 けどもちろん、今の彼にそんなものは目に入らない。


 豊かさなど、社会的地位や金をどれだけ持ってるかなど、どうだってよくなるような光景がそこに広がっていた。



「な、なにあれ……? なんなの、あの雲?」



 爆弾による炎は、ほとんど一瞬で消え去ってしまったようだ。


 代わりに真っ黒い爆煙が途轍とてつもない質量を持って天をがり、キノコ状の雲となって夜空をおおっていた。



 脳が必死にフリーズしようとするのに、身体の震えがそれを許さない。


 あまりにも、あまりにも爆発の範囲が大き過ぎる。



 そのとき、遠くで上がった悲鳴が街を包む奇妙な沈黙を破ってしまう。


 たちまちいくつもの悲鳴が折り重なり、必死に家族の名を呼ぶ声まで聞こえ始める。



「はあっ、はあッ、お、お姉さんは?

 ま……街の人は、ど、ど、どうなって?」



 このプールは小高い丘に建てられていて、爆心地に向かって必死に駆け戻っていく人が小さく見えた。


 おそらく家族の名を叫んでいたであろうその人が、突然、のどきむしるようにして倒れてしまう。



 逃げてくる人も、近づいてく人も、黒く血管を浮き立たせ、次々と倒れていくのだ。



「なんで? なんで??」



 理解できない。


 理解したくない。



 それでも、あの爆発の近くに生きてる人はひとりもいないとわかってしまう。



「……お母さんが、やったの?」



 どうして……どうしてなの?

 あんなにやさしいお母さんが、どうして?


 教えてよ、お母さん……お母さん……



 けど夜闇よやみ深淵しんえんに取り残され、もはや答えてくれる者などどこにもいなかった。



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